第14話 夢みる少女とみない少女
仄暗い部屋の中、普段とは異なる天井が見える。私はすぐに、ここが研究所であることを思い出した。
瞳を閉じ、楽しかった夢の余韻に浸り始める。胸に手を当てて物語の続きに戻ろうとしたけれど、それは叶わなかった。
いつものように夢の解釈を始める。
祖母、人形、猫、時計塔……たしかにそれらには憶えがある。夢とは大概、近ごろ意識にのぼった〝素材〟を組み合わせて作られるものだ。悪夢にも思えた、二匹の猫がお尻を浮かべて流れていく場面は、おそらくネルが樹から落ちてきた際に見た一瞬の記憶が元になったに違いない。
でもどうして最後にクジラたちが現れたのかは、まるで見当もつかなかった。ここ数ヶ月はそれらの映像を見たわけでも考えた記憶もない。それなのに夢のなかで現れるなんて、突拍子もなく不自然だ。いったいどのような因果があり、何を意味しているのだろう。
悪夢は必ずしも悪いことを意味しているわけではない、とエレーナさんは言った。それならば幸運に感じたクジラたちは、逆に凶兆を示している?
それはない、断じて違う。
これはきっと夢の神さまが私に与えてくださった贈り物。どう考えたって吉夢だ。
いつまで経っても夢の続きには戻れないので、名残惜しいが起き上がり、伸びをする。こんなに気持ちのいい朝は初めてだ。窓を開けると、朝日がちょうど昇り始めているのが見えた。鳥のさえずりに耳をかたむけながら、すがすがしい空気を思いきり吸い込んだ。
ふと、起きてすぐにレポートを書く必要があると思い出す。忘れないうちに、『クジラの夢』と題した内容を記した。
着替えをして、昨夜に会議をおこなった大部屋に行ってみると、すでに起きていたエレーナさんが私の顔を見るなり尋ねた。
「ミアちゃん、おはよう。もしかしてもう明晰夢をみれたのかしら?」
「おはようございます、エレーナさん。はっきりとそう言える自信はありませんが、近いものだったと思います。夢の確認をした記憶はないけれど、夢であると自覚し、空を飛ぼうとしたんです。でも、上手くはいきませんでした」
「本当に? すごいじゃない。ぜひ詳しく聞かせてちょうだい」
私はレポートを渡すと同時に、かいつまんで夢の記憶を語った。
「今朝はお婆ちゃんが出てくる夢をみました。幼いころに亡くなっていて、顔もろくに憶えていないのに。写真とちょっと違った気もするけれど、絶対にお婆ちゃんだったんです」
「ふんふん。夢は概念だから、顔の知らない人も普通に出てくるのよね」
「たぶんこの前、姉の部屋に飾られた人形を見たときに、それを作った祖母を連想したんだと思います。でも、どうして今になって夢に現れたのかはわかりません」
「そうね、東洋の夢解釈にこんなものがあるわ。人が夢に現れるのは、その人に愛されているからだって」
「逆ではないんですか? 自分が想う人が出てくるならわかるけど」
「だから興味深いのよ。すてきな考え方だと思わない?」
「そうかもしれませんね。考えたこともありませんでした」
「これはもともと奥ゆかしい恋愛に結びついた解釈と聞いているけどね。ミアちゃんはそのあたりどうなのかしら。ねえ、ほかにどんな人が出たのか教えて?」
エレーナさんは大きな目を見開いて、わずかに身を乗り出した。
「白と黒、二匹の猫が出てきました。最初はぬいぐるみだったのに、触った途端、本物に変わったんです。私は魔女になって、彼女たちを使い魔にしました」
「……そっかあ、猫かー。猫かわいいもんね~……」
期待と違ったのか、がっかりした表情で肩を落とす。
「はい! 私、ネコを飼いたいんです」
「うん、それはただの願望の夢だね。ど直球の」
「それに、クジラも出てきましたよ」
「クジラ?」
「たくさんのクジラが出てくるのはどういう意味があるんでしょう? 不思議なんです、クジラのことなんて最近まったく考えていなかったのに」
「どんなふうに出てきたの?」
「私は海の中にいて、奥からいっぱい向かって来たんです。すごく幻想的でステキな光景で、夢なのに感動しました」
興奮気味に話す私を興味深そうに見つめていたエレーナさんは、あごに手を当て、考えるように答えた。
「ふうん。大きな出会いがこれからたくさん訪れるとかそんな感じかしら。おおむね良い夢だと考えられるわね」
「やっぱりそうなんですか? だから私、今朝からなんだかとても楽しいんです」
「だからうれしそうな顔をしてたんだね。あっ、私は夢占いは専門じゃなくて、あくまで望みの夢を見るための研究をしているだけだから、間違ってるかもしれないよ」
「いいえ、いいんです。どんな意味があったとしても、私は幸せに思えたから」
ちょうどそのとき扉が開かれて、寝ぼけまなこのネルが現れた。機嫌が悪いのかと思うほど低いテンションで「おはようございます」と言った。
「ネルちゃん、おはよう。どうだった? なにか夢をみれたかしら」
「ごめんなさい、ぐっすり眠ってしまってみれませんでした。お役に立てなくて申し訳ございません……」
「うんうん、健康的な証拠ね。誰しも夢はみるけれど、精神が安定していると記憶に残らないとされている。そういう割合も記録したいから、気負わなくていいからね。それじゃあ私は朝食に行く支度をしてくるわね。ふたりはここで待っていて」
エレーナさんはにこやかに部屋を出ていった。しょげている様子のネルを心配して、私はそっと腕に触れた。
「おはよう、ネル。体を動かして疲れてたんじゃない? そんな日もあるよ」
「どうしよう、ミア。このまま夢をみなかったら、実験に協力しているとは言えないよ」
私は「らしくないよ」と言おうとしてやめた。ひょっとしたらこの子は強がっているだけで、本当は繊細な部分を隠しているのかもしれない。
「もともと私がお願いして来てくれただけだもん。エレーナさんもああ言ってくれてるし、焦らなくても自然にしていれば大丈夫だよ。それより、ネルはいったいどんな夢をみようと思ったの?」
「うーん……」
ネルは口ごもって、言いたくはないようだった。昨日、エレーナさんが彼女の情報を言わなかったのは、ひょっとしたら言えない事情があったのかもしれない。私は無神経に人の内面に踏み込もうとした失礼さを恥じた。
「言いたくなかったらべつにいいよ。ごめんね」
そもそも知り合ったばかりで、お互い相手のことなんてほとんど知らない。ネルは猫屋敷にひとりで住んでいる特殊な環境の子だ。たまたま保護者が長期間留守にしているだけかもしれないが、どうにも聞きづらくて話題にはしてこなかった。
勝手に親しみを覚えて巻き込んでしまったが、もうすこし時間をかけるべきだったのではないか。私が馴れ馴れしく触れていた手をそっと離すと、ネルはぼそりと口を開いた。
「あたしは夢で、もっとミアと仲良くなりたいって思ったんだ。でもそんな夢はみなかった。それだけだよ」
「え?」
伏せていた面を上げてネルを見上げると、彼女は赤面してそっぽを向いているので、こっちも恥ずかしくなってしまった。
「他意はない! あたしは今、毎日が充実しているから夢なんて必要がないんだ。学校に行って、勉強をして、ボール遊びをして、友達をつくって……それで充分幸せなんだよ。ほんとそれだけだから、変なふうに思わないで……」
背の高い少女があまりにもかわいらしく思えて、私は思わず吹き出してしまった。
「ふふふ。なんだ、心配して損しちゃった。それってすごく良いことだね。私は楽しい夢をみるのが良いことなんだと思い込んでた。でも、それを現実にするべきなんだもん。私も頑張らなくっちゃ……」
「ミアは頑張ってるよ」
ネルが不意に私の頭をなでる。私はなぜか流れていた涙をぬぐった。楽しくて涙が出たのか、それともべつの感情のせいなのか、自分にはわからなかった。
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