第9話 卒業
ほんの数日間、勉強を理由に顔を合わせるのを避けてきただけなのに、ドリーはまるで何年も会えていなかったかのように私を迎え入れた。ドアを開くなり抱きかかえられて、ベッドの上に座らせられると、また抱かれて頬ずりをされた。
「うぅ……ミア、お姉ちゃん寂しかったよう。ずっとしゃべってくれないから、嫌われたのかと思っちゃった」
「勉強してただけだってば……くすぐったいよ」
本当のところは部屋でぼんやりしてただけで、本を開いてすらいない。私は内心、ドリーが結婚について話をしてくれなかったことを悲しむと同時に憤りを覚えていたが、なんだかばかばかしく思えてきた。
周囲から人形扱いされている原因を姉のせいにして、無言でささやかな抵抗を示す。それでいて母に直接言えないからと、頼ってのこのこやって来たのだ。
「はぁ……こうしてると落ち着くね。ねえ、ほっぺ触ってもいい?」
「もう、いいかげん離れてお姉ちゃん。私、言いたいことがあってきたんだから」
「言いたいこと? もしやそれって悪いこと?」
「べつに悪いことじゃないよ。お母さんにお願いするのを手伝ってほしいだけ」
「なーんだ、心配して損しちゃった。なにか欲しいものでもあるの? それならお姉ちゃんがなんでも買ってあげる」
「そういうのじゃないの。私、バイトを──」
「ダメよバイトなんて。ミアはまだ十四歳じゃないの」
「う~。お手伝いというかなんというか……」
言い訳をすると余計こじれていきそうな気がして、おかしいと思われない程度に真実を話すことにした。
「本当は私の方からお願いしたの。夢を研究している研究所があって、そこで望みの夢をみる実験をしたいの」
「何よそれ。怪しい薬でも飲まされるんじゃないでしょうね」
「違うよ、そんなんじゃないって。お姉ちゃんには言ってなかったけど……」
私が声のトーンを落とすと、ドリーは急に神妙な面持ちになった。
「私ずっと、ひどい悪夢をみているの」
「まあ、かわいそうに……」
「全部が全部というわけじゃなくて、途中までどんな良い夢を見ていても、最後は悪夢になって終わるの。頭がおかしいんじゃないかと思って……」
「そんなことを言わないで。怖い夢をみることなんて誰にでもあるわ」
「でも私、外じゃちゃんとしゃべれない……」
そう言ってうつむくと、ドリーは私の手をとって「ミア」と優しく言った。
「なあに?」
「私もミアが産まれるまではそうだったのよ。でもね、あなたに言葉を覚えてもらおうと話しかけていたら、いつの間にか人前でも話せるようになったの。ぜんぶミアのお陰なのよ。だからあなたもきっと大丈夫」
「うーん……。じつは最近、お姉ちゃんのほかにしゃべれる人ができたの」
「本当? すごいじゃない」
「ううん。私も変われたんだってちょっと思った。でもそうじゃなかった。結局、悪夢をみるのは変わらなかった。それで明晰夢の研究所を見つけたとき、運命を感じたの。この悪い夢を終わらせることができるかもしれないって」
しばらくのあいだ、ドリーは不安そうな面持ちで私を見つめていた。やがて諦めたように口を開いた。
「そこについて教えてちょうだい。まともなところか調べるわ」
明晰夢科学研究所が有名な大学の関連施設であり、所長が精神学の権威であるとわかると、姉は私のがわに立って母に掛け合ってくれた。日頃から私を打たれ強い人間にさせたがっていた母は、おとなしい娘の大胆な行動に驚きながらも、この不思議な試みを歓迎して喜んだ。
こうして姉と母から許しを得た私は、春休みを利用して、明晰夢の研究をしている怪しげな施設に出入りすることになったのである。しかしさすがに最後まで、夢で借りたままの髪飾りを返しに行くとは言うことができなかった。
「お姉ちゃんもミアと一緒に、研究所に行ってみようかな?」
「絶対ダメ!」
「えー、お姉ちゃん寂しい」
「おとなしく家で待ってて」
「はあい……」
拗ねるように口をとがらせたドリーに対し、心のなかでつぶやく。
(これはお姉ちゃんから卒業するためでもあるんだから、来たらダメなの)
そうじゃないと──。
自分の部屋に戻ってから、ふとドリーが家を出ていく光景を想像して泣いた。
私が強くならないと、姉は安心して家を出ることができない。弱いままだと、彼女は幸せになれない。私がこんなだから、自分の悩みも言えずに抱えていたのだ。
己の弱さが愛する人を傷つけていたなんて思いたくもなかった。私はずっと自ら望み、進んで、壊れそうな人形であり続けていた。姉が愛してくれる、儚い人形を。
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