第10話 別れ

 月曜日。自宅から大通りに向かう小道の入り口で、いつものようにガートルードは静かに待っていた。彼女は両手で持っていた鞄を片方の手に移し、小さく手を振った。


「おはようございます、ミアさん」


「……おはよう」


 目の前の少女は目をぱちくりした。そういえば、いつも挨拶の代わりにうなずいていたのを思い出す。考え事をしていて自然に言葉が出ただけだから、良いことなのに「しまった」という思いにかられた。


 私たちは連れ立って、人けの少ない裏通りを歩き始める。左右の民家からはときおり住民が出てくるが、大抵すぐに大通りへ向かう。だからこの道は、人目を気にせずに歩けて、かつ安全だった。


 私は早くネルに会いたくて仕方がなかった。明晰夢科学研究所の話をしたら、あの子はなんて言うだろうか。でも授業が終わるまで、話しかけるのはためらわれる。内容もそうだが、私なんかがクラスの人気者と話すのを誰かに見られるわけにはいかない。


 ほんのすこし距離を置いて隣を歩くガートルードを横目に、私のなかであるひとつの考えが浮かび上がってきた。それを言うには勇気がいる。自分の言葉を相手がどう捉えるか、不安で仕方がないからだ。

 悩みながら歩き続けていると、あっという間に学校の近くまで来てしまった。ほかの生徒の気配を感じた私はようやく決意して、大きく息を吸って「あの」と呼びかけた。彼女はまるで待っていたかのようにすぐに反応した。いつものように顔を寄せ、私は耳元にそっと口を近づける。


「グッドフェローさん。級長は忙しそうだね」


「ええ、最近やらなければいけないことが多いですね。昨日は申し訳ありませんでした」


「ううん。それで……」


 本題を前に詰まりそうになる。私は思い切って言った。


「しばらくひとりで登下校しようと思う」


「え? 昨日は一緒に帰れなかったけど、毎日というわけでは……」


「なんだか申し訳ないし。それに今はちょっと、ひとりになりたい」


 彼女はわずかにうつむいて、なかなか言葉を返さなかった。なんだかショックを受けているように見えて、私は血の気が引いてきた。

 だがしばらくすると、ガートルードはほほ笑みながら言った。


「そうですね、そういう時もあります。気を使っていただいて、ありがとうございます。でもなにかあったら、すぐに声をかけてくださいね」


「う、うん……」


 冷や汗が垂れる。彼女は大人だ。とても良い子だ。

 歩くのを再開し、校門が近づいてきた。いつの間にか周囲には子供たちがいて、教師が挨拶をしているのが見える。頭を下げて無難に通り過ぎると、彼女は最後に言った。


「それじゃあ、また」


「うん、またね……」


 声が相手に届いたかはわからない。軽く手を上げて別れると、すぐに自己嫌悪が襲いかかってきた。


(私は最低だ。ネルと一緒にいるために、ガートルードちゃんを傷つけた)


 私はどうやら、同時に複数の人間に心を開くことができないらしい。この不器用さが、優しくしてくれる周囲の人間を傷つけているんだ。黒髪の少女の後ろ姿を見つめながら、激しい後悔の念に包まれる。


(べつに三人いっしょでもいいじゃない……)


 どうして自分は普通になれないのだろう。いつだってみんなの当たり前は、私にとってそうではない。友達の多いネルがまた私と話をしてくれる保証なんてないのに、またひとりになってしまった。


 岩を避けるせせらぎは、良い道を選んで流れている。私は恐怖におびえるふりをしながら、自ら悪い道を進んでいる。照りつける朝日がちりちりと身を焼いて、心が痛く感じた。

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