第11話 お誘い
今日の授業はあっという間に終わった気がした。朝からずっと同じことを悩み続けて、いつも以上に教師の話が頭に入ってこなかった。あのいやな文学の時間もあった気がするけれど、まったく記憶に残っていない。
足早に校舎の隅にある倉庫へと向かう。もちろん目当てはあの二匹ではなく、ネルに会うため。連絡先は交換してあるが、この話は直接会ってしたかった。そうでなければ、顔を合わす理由もつくれないから。
気が急いて確認もせずに角を曲がったのが間違いだった。そこにはそのどちらもおらず、代わりにサッカー部の先輩たちがいた。
「ミアちゃん、やっほー!」
「わー、ほんとに来た!」
「かわいい~! お人形さんみたい」
背の高い少女たちに取り囲まれる。その数ざっと十人ほど。私は血の気が引いて、思わず下を向いた。
「ミアちゃん、サッカーに興味があるの? よかったらうちらのマネージャーやらない?」
「ネコに会いに来たんだよね。ほら、あのおデブとハンサムのコンビ」
「なんだー、オトコに会いに来たのか~。おとなしそうに見えて、なかなかやりますなぁ。このこの~」
「ちょ、ちょっと、おびえてるじゃん。かわいそうだよ」
口々に言葉でつつかれる。暴力を振られているわけでもないのに、いじめられている気がした。彼らが優しくて良い人たちだとわかってはいても、とてもとても怖かった。
「こらー、お前らあっちいけー!」
縮こまってやり過ごしていると、遠くからネルの声が聞こえてきた。ほっとして顔を上げると、先輩たちの背中が見えた。
「先輩に向かって『お前ら』とはなんだ、ネル。口の利き方には気をつけろ」
「勧誘してるだけだって。学園のアイドルを独り占めすんなよ〜」
「ミアはこういうのが苦手なの。いいから早く練習してきなよ」
「そう言って今日もサボる気じゃないだろうな? もう試合が近いんだぞ。他校となんて滅多にやれないんだから」
「そういやあんた、この樹に登って枝を折ったでしょ? 先生カンカンに怒ってたよ」
「うぐ……」
正義のヒロインは瞬く間に劣勢に陥った。どうやらサボっていたのは先日だけではないようだ。思えばいろいろな部活から引っ張りだこと聞いた気がする。なんでもそつなくこなす印象があるが、ほどほどに手を抜かねばやっていられないのだろう。
「すぐやるから。ほら、今日はちゃんと着替えてきてるでしょ? だからちょっとあっち行ってて!」
そう言って、不満をこぼす先輩たちの背中を押してグラウンドへと追い払う。彼女たちが遠ざかっていくのを確認すると、ネルは安堵した表情で振り返った。
「ふー、行った行った。ミア、大丈夫?」
「うん、びっくりした……」
「ったくもう、あいつら待ち伏せしてやがったな。悪いけど今日は一緒に帰れそうにないんだ、ごめん。猫たちも来てないなあ」
「ううん、いいの。部活、大変そうだね。じつは聞きたいことがあってここに来たの。私、春休みに、ある研究所のお手伝いをすることになったんだけど……」
「へえ、あのおとなしいミアちゃんが。偉いじゃない」
「本当のところはちょっと違うの。私は目的があって、そこの実験に参加しようと思ったの」
「実験? いったい何の研究所?」
「明晰夢科学研究所」
「なんだそれ。平気なの? 怪しいとこじゃない?」
「家族にも言われたけど、調べてみたら、ちゃんとした研究施設なんだって。それで、よかったらネルも一緒にどうかな、と思って……」
「え、あたしも?」
「やっぱりダメ? 春休みもサッカーで忙しいのかな」
「うーん、べつにそういうわけじゃないけど。いったいどんなことをするの?」
「明晰夢ってわかる? 望んだ夢をみて、自由に動きまわる感じ」
「それはわかるよ。ミアはどうしてそれに応募したの?」
「えっと、ばかにされるかもだけど……」
彼女は私を子供っぽいと思っている節があるので、家で会話の練習してきたにもかかわらず、すこし不安になってきた。
「私、夢のなかで人の物を盗ってきてしまったの。もちろんわざとじゃないのよ。急に夢から目が覚めて、気づいたらこれをこっちの世界に持ってきちゃったの」
私は右手で自分の側頭部を指差す。ネルはポカンと口を開け、首をかしげた。
「……うん?」
「きれいでしょ、白いお花の髪飾り。夢で出会ったニーナさんという夢占い師の女性に着けてもらったの。お母さまの形見で、とても大切なものなんだって。だから私は、返すためにどうしてもまた同じ夢をみないといけないの」
ネルは
「やっぱりおかしいかな。自分でも変なこと言ってるのはわかってるの」
「夢、か……」
「うん。ネルはみたい夢とかある?」
「あたしはない。今が、自分の望んだ夢だから」
「え? それはどういう意味?」
「そのまんまの意味だよ。あたしは明晰夢になんて興味はない。でも、ミアが誘ってくれたのなら行くよ」
「それじゃあなんだか申し訳ないよ……」
「いや、あたしはミアの夢とやらに興味が湧いたんだ」
「私の夢?」
「そう、ミアの夢。なんだかおもしろそうじゃないか。どんなこと考えているのか、もっと知りたいしね」
ネルはにっと笑ってみせた。想定していたのとはすこし違うけれど、望んでいた結果になったので、私も笑顔で返した。
「ほ、ほんと? ありがとう、ネル!」
「それにしても不思議な話。夢で出会った夢占い師、ね……」
「そう、亜麻色の髪ですらっとした、すごくきれいな人だったの」
「時間は夜なのかな? 日中はしばらく部活があるんだけど」
「うん、私は昼もお手伝いするけど、夜に研究所で寝泊まりして、夢の内容を報告するんだって」
「寝てればいいなんて楽な仕事だね。あたしには向いてるかも」
「ふふ、どうかな。私はとっても忙しい夢になりそうな予感がしているの。それじゃあ、追って連絡するね」
約束をとりつけた私は、喜び勇んで鞄を手にくるりと一回転してみせた。
「……あ、先輩たちに見られた。わ、私、帰るね。部活がんばって!」
「うん、気をつけて帰りなよ」
ネルに軽く手を振ると、グラウンドを見ないようにしてそそくさと学校を出る。ぐるりと囲まれたときは焦ったけれど、無事に目的を果たして心は浮かれていた。
良い事があれば良い夢をみれるわけではないのが難儀なところ。私はまた悪夢をみてしまうかもしれない。それでも、自分の望む未来に一歩近づけた気がして、春の日差しが心地よく感じた。
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