第6話 夢占いの館

「……あれ?」


 気づけば知らない場所にいた。ネルの家からひとりで帰る途中、わたしは迷わずに帰れるという目算を誤ったらしい。ネコと触れ合ったことで浮かれていたのだろうか?


 もともと来たことのない場所であっても、脳内でえがく地図にそれなりの自信はあった。幼いころからひとに懐かなかったわたしは、道筋を他者に委ねることはしてこなかったつもりだ。皆に心配されるほど周囲におびえながらも、そのじつ不安にならぬよう、常に前もって立てた計画のもとに行動してきたのである。


 たとえ本当に迷子になったとしても、自らの力で帰る程度の知識は持ち合わせている。だから不思議とこの状況に恐れをいだくことはなかった。今はまだこの状況を楽しむ余裕さえある。押し寄せる情報にいつも目を背けてきたのだから、心にゆとりがある今この時ぐらいは、それを甘んじて受け入れてみようではないか。


 すると世界がぱっと明るくなったように感じた。いまわたしが立っている通りのまっすぐ行った突き当たりに、美しい時計塔がそびえているのが見える。道の左右には小売店が果てまでずっと並んでいて、普段は入らないような店にふらりと立ち寄ってみるのも面白いなと思った。


 わたしはいつも姉のおもちゃとなって、好き勝手に飾り付けられてきた。たまにはそのお礼に、逆にこちらがプレゼントを贈るというのもいい。そうだ、すばらしい考えだ。そうと決まれば、この立ち並ぶ不思議な商店街のなかから一件の店を探さねばなるまい。

 軽やかな足取りでショーウィンドーをのぞき込むと、アクセサリーを身に着けたマネキンの姿が目に留まり、途端に買う気が失せてしまった。人形なんて今は見たくもない。


 次。今のわたしは流れるように先へ行く。悪い気分を引きずったりはしない。

 お隣はクリスマスショップだった。たまに季節を無視して一年中ずっと飾り付けている店もある。そのこだわりは嫌いじゃないけれど、今はそんな気分じゃない。次。


 そのお隣は本屋だった。近ごろはみんなネットで済ませるから、こういう小さな店はどんどんと減っていって、気づいたときには無くなっている。じかに触れることでわかることも多いけれど、荷物になるのでさようなら。


「思ったよりすぐには見つからないものね」


 ふと辺りを見まわせば、周囲には人っ子一人いなかった。珍しく雲ひとつない素晴らしい天気だというのに、君たちはなんだ、夢の世界に引きこもりか。外では借りて来た猫のくせに、顔を隠せば虎みたいなことばかり言いやがって。いらいらいら。


 そんな尊大な気持ちも、一歩進めば急に虚しさへと変わる。なんだか今日は、いつもより情緒がおかしい。

 見上げれば、天は一気に曇り空。これがメタファーというやつですか? 雨や曇りが憂鬱だなんて誰が決めた。カタツムリやナメクジの気持ちを知れ。勝手に人の感情を決めつけるんじゃない。わたしは猫を吸ってきたんだ、猫をキメてきたんだ。


 雲は風に流されて消えていき、照りつける日差しとともに、雨がぱらぱら降ってきた。本格的に自分は壊れてしまったのだろうか。みんなの当たり前は、わたしにとってはそうではない。どうせ泣き虫ぶりっ子のお人形さんですよーだ。


「あはははっ!」


 急に楽しくなってきた。鞄をぶんぶん振り回し、道のど真ん中を歩いてやる。どうだ、恐れ入ったか、そこのけそこのけわたしが通る。


「ああ、もう! みんないったいどこに行っちゃったのよ! 誰かいないの? 誰でもいいから出てきてよー!」


 たまらずわたしは天に向かって叫んだ。きっとここは変な夢の世界に違いない。こんな現実は認められない。諦めて文明の利器スマホに頼り、さっさとおうちに帰るとしよう。

 そう思って正面を向いたとき、目の前にひとりの女性が立っていた。私は一気に血の気が引いて、姿勢をぴんと正した。


 その人はとても背が高く、優に百七十センチはあるように見えた。亜麻色の髪を片側だけ三つ編みにする、小顔に大きなこげ茶色の瞳を浮かべたとびきりの美人。細い体に沿った純白のドレスには金色の刺繍が施され、まるで花嫁のような出で立ちをしている。

 彼女はこちらを不思議そうに見つめていたが、わたしがぽかんとしていると、やがて優しそうな声で呼びかけてきた。


「こんな所でどうしたの? 何かあった?」


「あなた東欧の人?」


「え? ええ、そうだけど……」


 わたしはいったい何を言っているのだろう。初対面の人に、いきなり出身地など尋ねるものではない。続けて喉から、思った言葉が勝手に出てきた。


「わたし迷子になっちゃったみたい。ここはどこ? あなたは誰?」


「迷子? まあ、それは大変ね。ここはアルト・クルート。わたしはニーナ」


「アルト・クルート? 聞いたことない。ニーナさん、あなたとっても美人ね」


「あら、ありがとう」


「美人と言われて、ありがとうと返すのは、言われ慣れてる証拠なんだって」


「そう……? うふふ。かわいいけど、おもしろい子ね」


「ありがとうって返しておくね」


「まあ!」


「えへへ!」


 わたしたちは互いに笑い合う。出会ってすぐに相性がいいと感じた。


「とりあえず、ここはなんだから、私のお店に来る? 目の前のここよ」


 そう言って彼女が指差した小綺麗な建物には、木製の看板がぶら下がっていた。


「『ニーナの夢占い館』……?」


「ええ、そうよ。私は夢占い師──オネイロマンサーなの」


「オネイロってなあに?」


「夢の神さま、オネイロスのことよ」


「ふうん、それならちょっと知ってる。わたし、夢に興味があるの」


 すると彼女はにっこりとほほ笑んだ。扉を開き、わたしに入るよう促す。

 中はまるで森にいるかのように緑であふれていた。たくさんの植木鉢には淡い白の花がつつましく咲いていて、遠くからさらさらと流れる水の音が聞こえている。新鮮で水気を含むすこしひんやりとしたマイナスイオンが、じつに心地いい。

 中央の机には二脚の椅子が据えられていて、わたしが席に着くと、ニーナさんはゆっくり向かいに座った。


「あなた、お名前はなんていうの?」


「名前? えーと、なんだったっけ……?」


「自分の名前がわからない?」


「ううん、ガブリエラ。そう、わたしの名前はガブリエラ」


 知らなかった。生まれて初めて、自分がそんな名前だと知った。


「わかったわ、ガブリエラ。あなたはどこから来たの?」


「わたし、猫の王国からきたの。ケイスネスっていうの」


「え? なんですって? もういちど言って」


「ケイスネスだよ。わたし、そこへ行ってきた帰りなの」


「なにかの間違いではなくて?」


 それまで優しかったニーナさんは初めて否定をしてきた。むっとしたわたしは頬をふくらませて答える。


「間違いじゃないもん。猫の王国ケイスネスにお呼ばれして行ってきたんだもん」


「うーん、夢でもみたんじゃないかしら。だって……ケイスネス王国はとっくに滅んでしまったもの」


「そんなことない! 絶対にあれは夢なんかじゃない!」


 夢占い師は頬に手を当て、心配そうに考え込んだ。


「質問が悪かったのかもしれないわね。あなたはどこに住んでいるの?」


「わたし、ジェッドワースに住んでるの」


「まあ、ずいぶん遠くから来たのね」


「あれ? 違ったっけ。うーん……。女子校に通うために、何年か前にカーライルへ引っ越してきたんだった」


「なるほど、そこならわかるわ。迷子になって、ここまで来ちゃったのね」


「迷子じゃないよ。だって帰ろうと思ったらすぐに帰れるもん。ほら、鞄に……。あれれ? 私の鞄どこ? 無くなっちゃった……」


 そういえばさっき、ぶんぶん振り回したときにどこかへ飛んでいった気もする。


「わたしどうしたらいいの? おうちに帰れる?」


「大丈夫。私が必ず送り届けてあげるから、安心して」


 ニーナさんはこちらに顔をすこし近づけて、優しく言った。たちまち不安は消え去って、わたしは笑顔で「うん」と返した。


「素直ないい子ね。十二歳ぐらいかしら?」


「ううん、十四歳。いつも年下に間違えられる」


「あら、ごめんなさい。それなら妹と同い年ね。妹もあなたと同じぐらい幼く見えるの。歳はすこし離れているけれど、私たちとても仲が良いの」


「妹さんがいるんだ? わたしも大人のお姉ちゃんがいるよ。とっても優しいから大好きなの」


「なんだか気が合うと思ったら、そういうことなのね」


 そう言って優しくほほ笑んでくれたので、またお互いに笑顔を交わす。そこでふと、彼女の髪を魅力的に見せるある物が目に留まった。


「そうだ、わたしお姉ちゃんに髪飾りを買ってあげたいと思って、お店を探してたんだ。ニーナさんの白いお花の髪飾り、とってもすてきね」


「これ? これは昔、母から頂いたとても大切な物なのよ」


「そうなんだ。わたしもそういうの欲しい」


「形見だから譲ることはできないけれど、いちど着けてみる?」


「うん!」


 彼女は三つ編みに留めていた髪飾りを外すと、席を立って、わたしの横髪に着けてくれた。


「とてもきれいな金髪ね。白い花が映えて、とても似合っているわ」


「ほんと? ねえ、鏡どこ? 自分でも見てみたい」


「そっちに洗面所があるわ。ごゆっくりどうぞ」


 そう言って奥の灯りを点けてくれた。わたしはお礼も言わず、走るように鏡のもとへ向かった。今すぐにでも確認したい、自らの姿を。


「え……?」


 鏡のなかをのぞき込んで絶句する。そこには、わたしの知らないわたしがいた。

 金と黒が入り交じる髪をした、気の強そうな少女。背格好と顔立ちは、見慣れたものとよく似ているけれど、虎のような自信に満ちた表情で、じっとこちらを見つめている。


「あなた、誰……? ち、違う! わたしこんなんじゃない!」


 わたしは思わず前のめりになって、自分の髪の毛をつかむ。

 目の前の少女は、こちらを見てニタリと笑った。

 その瞬間、わたしの髪の毛がごっそり抜けた。


「ひぃっ!」


 思わず飛びのいて、わなわなと手の中を見つめる。すり抜けた金髪がさらさらと床に舞い落ちていく。


「いやあああああ!」


 わたしが大きく口を開いて鏡に叫ぶと、今度は犬歯がぽろりと抜け落ちた。

 恐怖のあまりよろよろと後ずさり、壁に背を預ける。口元に手を添えて確認しようとすると、前歯が揃って折れた。わたしは床にずり落ちて、天に向かって泣き叫ぶ──

 叫べなかった。奥歯にいたるまですべての歯が抜け、喉になだれ込んでくる。


(おえっ……)


 息ができない、息が……。


(くるしい……、たす……けて、だれか……、たすけ──……)


 突然、目の前が真っ暗になった。

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