第5話 猫屋敷

「ここがうちだよ」


 私の住むアパートの前を通り過ぎて、立派な邸宅が立ち並ぶエリアの一角に、ネルの家はあった。まだ出来てから時間が経っていないような、赤いレンガ造りのきれいな家で、たくさんの花に彩られた庭はとても広い。玄関に続く階段を前にして、思わずぽかんと口を開けてしまった。


「ケイスネスさんの家、大きくてすごいね」


「大家族だからね」


「そうなんだ。なんとなく一人っ子なのかと思ってた」


 ネルは呼び鈴を鳴らしてから、応答を待たずに自ら鍵を開けた。


「ちょっと玄関で待っててね。すぐ戻る」


 中に入ると彼女はそう言って、ひとり奥へと消えていった。


(やっぱりみんなお金持ちなんだなぁ)


 自分には場違いな学校に入ってしまったことをあらためて痛感する。もうすこし大きな声を出せるだけで両親の負担を減らせたのではないか。なんだかとても申し訳なく思えてきた。

 生まれて初めて同級生とまともに話すことができたものの、ここ数日は姉と会話をしていないのでとんとんだ。待っているあいだに自己嫌悪が次第にふくらんでいく。


「やー、ごめんごめん、お待たせ。散らかっててねー、申し訳ない」


「押しかけちゃったみたいで、ごめんね」


「いや、ほんとうに来てほしかったんだよ。準備が悪かっただけで。ここだよー」


 そう言ってネルは大きな扉を開く。すっかり気を抜いて部屋に入った私は、目の前の光景に思わず絶句した。

 広いリビングのあちらこちらに、想像をはるかに超える数のネコであふれ返っているではないか。


「すごい。いったい何匹いるの……?」


「んー、三十ぐらいかなあ。あっ、飼育崩壊してるわけじゃないよ」


「大家族って、もしかしてこの子たちのこと?」


「うん。家に人間……は、あたししかいないんだ」


「えぇ!?」


 いったいどういう家庭環境なのだろうか、まるで想像がつかない。今まで他人の家がどうなっているのかなど考えたこともなかったが、きっとネルの家は特殊なケースに違いない。


「みんなきれいだね。とても高そう……」


「……値段はつけられないんだ。値段なんてない」


「う、うん。そうだよね、ごめんなさい」


 うっかり失礼なことを言ってしまったと気づき、私はすこし焦った。せっかく友達になれたのに、この関係を壊したくはない。


「ずっと一緒の家族だからね。あ、触っていいよ。みんな人懐っこいんだ」


 促されて部屋の中央に進むと、ネコたちはわっと取り囲んできた。


「わー!」


 私はしゃがんで、寄ってきた子の頭をなでまわす。みんなふわふわで温かくて、お日様のようないい匂いがした。


「ミアはとてもいい子だって言ってるよ。あたし猫語がわかるんだ。ミアはあいつらなでるときもちゃんと許可取ってたからね。猫のことを一人前に扱ってくれた」


「えへへ」


 猫の人格、いや、猫格など意識したわけではなかったが、図らずも好意的に受け取ってもらえたらしい。「なでろ」と言わんばかりに次々と押し寄せるネコの群れに囲まれ、私はもふもふの幸せに包まれた。


「おーよしよし、かわいいでしゅね~」


 一匹をなでると次の一匹が割り込んでくる。気づけば足の踏み場もない。


「ここ? ここがいいの?」


 あの子はおでこ、その子は耳まわり、この子はあごの下がいいらしい。

 このまま死んでもいい、もとい、ずっとここで暮らしたい。思わず涎が垂れそうになり感情が爆発した。


「あーん、もう、食べちゃいたい!」


『!?』


 その瞬間、ネコたちは私から逃げるように、一斉に離れていった。皆おびえるように毛を逆立て、ネルの足元に集まっている。


「え? すごくかわいいって意味で、ほんとに食べるわけじゃあ……」


 慌てて取り繕うと、ぴんと張り詰めた空気はまた元の和やかな雰囲気に戻り、再び寄ってきたネコを見て、私はほっと胸をなでおろした。


(びっくりしたあ。まるで私の言葉がわかったみたい……)


「も、もう~、ミアは怖いことを言うなあ」


「えへへ、ごめんね。つい……」


 色とりどり、よりどりみどりなネコたちをなでるのを再開した私の目に、ふと風変わりなものが留まった。


「──あれ。あの子、お洋服着てる?」


「えっ!」


 よそ見をしていたネルはまさに飛び上がって驚いた。すぐに見まわし、一匹ずつ確認していく。私はそのネコの前脚を抱き、目の高さまで持ち上げた。


「ほら、この子。わー、メイド服だ。かわいい~」


「わー!」


 ネルは奪うようにその子を取り上げて、背後に隠してしまった。


「ごめん! この子、じつは噛み癖があるから、印の意味で着せてるんだ」


「あら、そうなんだ」


「うん! だからごめんね。ほら、お前はこっち」


 かわいいメイドはご主人によって、隣部屋へと押し込まれてしまった。しかし扉が開かれたその一瞬の隙に、私はそれを見逃さなかった。


「待って、ネル。そっちの部屋、ほかにも洋服を着た子がいたよ?」


「あれは人形だよ、人形! こいつら毛がいっぱい抜けるからさ、勿体なくてぬいぐるみを作ってるんだ」


「えー、見たい! ネルってそんな乙女な趣味があったのね」


「だめ! が出ちゃってるのがあって、今はまだ見せられない。あたしは完璧主義者なんだ。出来上がったら見せるから、またの機会にね」


「そっかあ。それじゃあ今度の楽しみにしておくね」


「うん!」


 たくさんの本物に加えていっぱいのぬいぐるみに囲まれるなんて、いったいどれほど幸せなひと時なのだろうか。多芸なネルには、そんな少女らしい一面もあったとは。やはりクラスの子たちが憧れるのも無理はない。


「人形かあ……」


 ふと急にドリーの部屋に並ぶ人形たちの姿が思い起こされた。中身が出てしまっているから見せられない、とネルは言った。そうだ、人形とは中身を隠すものなのだ。自分がそれらと同じ扱いされてしまうのは、内面をひた隠しにしているにほかならない。


「ミア、どうしたの急に考え込んで」


 気づけば動きが止まっていた。ネルが私の顔を心配そうに見つめている。


「私、じつは人形なんだ」


「え? どういうこと?」


「中身をずっと隠してる人形なの」


「えっと、それはつまり。人形が人間になったって話? ミアは元は人形だったの?」


「うん?」


「違うの?」


 賢い少女の反応にしてはすこし違和感があった。私はしゃべり慣れていないから、きっと説明が悪かったのだろう。自らの出来の悪さに呆れつつ、何とか上手く言おうとする。


「私、いつも周りから、お人形さんみたいって言われてるの。ちゃんとみんなに意思表示ができなくて、自分でもそうなのかなって、ふと悲しくなることがあるの」


「なんだ、そういう話か。大丈夫、ミアは人形なんかじゃないよ。だってもう私とは話ができているし、自分の意思でここまで来たじゃない」


「うん、そうだけど。毎日のように変な夢をみるの。ネルは平気なのに、みんなのことが怖くて怖くて……。ねえ、私ってどこかおかしいのかな?」


 ネルは何かを言おうとして口を開いたが、何も言葉を発さずに、また閉じてしまった。急に一歩前に進んだかと思うと、私のことを強く抱きしめた。


「そんなこと言わないで……」


 また私の悪いところが出た。どうしてこんなに心が弱いのだろう。ネルとせっかく友達になれそうだったのに、変なことを言ってしまったせいで、これまでのように保護される存在へと自ら仕立てようとしている。

 情けなくて情けなくて、自分自身がいやになる。人にどんな悪く言われようと気にならない。私は私のことが、世界で一番きらい。


 ネルは無言で私を抱きしめ続け、なかなか放そうとしなかった。彼女がいま何を思ってこうしているのかを想像しても、まるで思いつかない。ただ高い熱だけを感じる。自分は守られるばかりで人の役に立てたこともないのに、どうしてこの子は、こんなにも強くて優しいのだろう。


 ふと鳴き声が聞こえて、ネルは腕の力を弱めた。私たちが抱き合ったまま振り向くと、たくさんのネコたちがこちらをじっと見つめていた。


「だーっ!」


 彼女は急に私を振り払った。動物とはいえずっと見つめられていたことに、自分もとても恥ずかしい思いがした。


「わ、私、そろそろおいとましなきゃ」


「お、送ってくよ」


「ううん、だいじょうぶ。道は覚えてるから、ちゃんとひとりで帰れるよ。それじゃあ、またね」


「そっか、また来なよ。さっきのも、今度までに仕上げておくから」


 最後に変な状況になってしまったが、ネコにたくさん触れることができてとても満足した。名残惜しいけれど、次に来るきっかけもできて楽しみになった。


「あ、そうそう。家に帰ったら手を洗ってね」


 去り際にネルがそう付け加えると、ネコたちが一斉に抗議のような鳴き声を上げた。


「あはは……」


 彼女たちは、お互いが見えなくなる距離まで私を見送ってくれた。身も心も羽のように軽くなり、スキップしながら帰りたくなるほどだった。

 今日はとても充実感があった。近ごろ変な夢ばかりみているけれど、今日はとてもいい夢が見られるに違いない。いったいどんなものになるのか、こんなに楽しみなことは生まれて初めてだった。

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