聖女
――アーカティア神聖国
異世界ファンタジアの創造主である神フェイトを奉る、最大の規模を誇る神聖教。
その聖地である首都エンデの大聖堂にて、一人の女性が祈りを捧げていた。
彼女こそ神聖教の教皇であり、人々から聖女と崇拝される人物、フィリアだった。
「聖女様、ご苦労様です」
「……言葉には気を付けなさい、カルロ。貴方が私を労おうとしてくれているのは分かりますが、その表現は我が主に対して些か失礼ですよ」
「し、失礼しました」
カルロと呼ばれた男性はフィリアに失言を詫び、神にも己の非礼を謝罪する。
カルロは若いながらも大司教となった、敬虔な信徒の一人である。
彼の主に対する真摯な姿勢をフィリアは大いに買っていた。
「それで、どうしましたか?」
「まもなく正午となりますので、お知らせに伺いました」
「もうそんな時間ですか。午後の集会の準備もしなくてはなりませんね」
「はい。私どもが準備しますので、一度お休みになられてはいかがでしょう?」
フィリアがあと少しで礼拝を終えると伝えると、カルロは一礼して大聖堂を後にする。
再び元の姿勢に戻るフィリア。
手を組み、瞼を閉じ、己の信じる神へと祈りを捧げる。
だが、すぐに周囲の違和感を覚えた。
――鳥のさえずりが聞こえない
遠くで聞こえていた人々の喧騒が、風が運ぶ花の香が消え失せる。
そこでフィリアは、背後に一つの気配があることにはたと気付き振り向いた。
「久しぶりだね! フィリアちゃん」
フィリアは急ぎ居住まいを正すと、声の人物に対して平伏する。
それもそのはず、彼女に声をかけたのは、神聖教の主神であるフェイトだった。
「!! 我が主に見え――」
「相変わらず固いな~。もっと楽にしてくれればいいのに」
「で、ですが……」
「それに、立ち話も何だからさ。はい、ここに座って」
「……」
「ほら。ここ」
「……はい」
仰々しい挨拶をしようとするフィリアを制し、フェイトは大聖堂の長椅子に腰掛ける。
そして、自身の隣をフィリアに勧めた。
フィリアとしては信仰する神と会話をするどころか側に近づき、あまつさえ同じ長椅子に腰掛けるなど恐れ多いと感じていた。
しかし、それ以上にフェイトを待たせることは不敬だと考え、覚悟を決めて大人しく長椅子に座った。
「最近、調子はどう?」
「申し訳ありません。我が主を讃えるはずの神聖教ですが、近頃は信徒の間で邪な思いを抱く者も多く……己の至らなさを恥じるばかりです」
「そういうことじゃなくて……まあ、いいや。フィリアちゃんはよくやってくれてると思うよ」
「勿体ない、お言葉です」
フェイトとしてはフィリア自身について聞いたつもりだったのだが、彼女は見当違いな返答をする。
会う度に近況を訪ねている経験から、これ以上会話を続けてもフィリアの負担になりそうだと考えたフェイトは、話しを本題に切り替える。
「今日は仕事を頼みに来たんだ」
「仕事、でございますか?」
「うん、仕事。――これは神託と思ってくれて構わない」
「ッ!!」
それまでの飄々としたフェイトの態度が変わる。
その刹那、対峙しているフィリアには、聖堂内の気温が氷点下を下回ったかのように錯覚した。
いつも笑顔を浮かべていたフェイトが、今は能面のような無表情をしている。
――神罰
その言葉がフィリアの頭に思い浮かんだ。
「神聖教だろうが個人の信仰だろうが、ボクは好き勝手にしてもらって構わない。ボクは教義とは関係なしに、気に入った子に祝福をあげたり、ちょっとした手助けをしてる」
「理解しております」
「別に聖職者の誰が私腹を肥やそうが、教義に反した行いをしようが知った事じゃない。教義なんてものは所詮、キミたち人が勝手に決めたものだ」
「……仰る通りでございます」
何か、フェイトの逆鱗に触れるようなことが起きた。
フィリアは震えながら、ただフェイトの言葉に肯定の意を示すことしかできなかった。
「――だけどね、ボクにも1つだけ癪に障るものがある」
「……」
「それはボクの名前を使ったり、ボクの意向を軽んじることだ」
「……差し支えなければ、主がお怒りになる因をお教えいただけないでしょうか?」
「すぐに分かる。後の対応はフィリアちゃんに任せるよ」
「それはどういう――」
フェイトが消え、時の流れが元に戻る。
茫然とするフィリアだったが、しばらくして大聖堂にカルロが転がり込んできた。
「た、大変です、フィリア様!!」
「落ち着きなさい。どうしましたか?」
「マドラス帝国のダンジョン――あの大迷宮【絶望の虚】が崩壊しました!!」
――ダンジョンの崩壊
それが意味するのは、ダンジョンの主に何か起きたということ。
一般的なダンジョンは放置することによって魔物の氾濫を招く場合があり、早急にダンジョンの主を討伐する必要がある。
しかし一部のダンジョンでは、ダンジョンの主が魔物を統制することで氾濫が発生せず、冒険者が内部を探索することによって莫大な経済効果をもたらしていた。
その中でも【絶望の虚】は、他のダンジョンとは比べ物にならない程、マドラス帝国及び周辺の国家に潤いを与えていた。
それは白銀竜がダンジョンに冒険者を呼び込むためのものであったことに、人々は知る由もない。
フィリアは考える。
このダンジョンの崩壊がフェイトの怒りを買った何かと関係していることは明白だった。
【絶望の虚】が閉じることで、今まで冒険者がダンジョンから持ち帰っていたからアイテムが途絶える。
そうすることによって、帝国や周辺国家に多大な影響がもたらされることは想像に難くない。
「また、こちらは未確認の情報らしいのですが……」
「何ですか?」
「【絶望の虚】の崩壊直前、ドラゴンの姿を見たとの証言が多数あるようです」
ドラゴンは高い知能を持つ生物である。
その中にはダンジョンを支配していると考えられる個体も存在した。
(【絶望の虚】はドラゴンが管理していた? なら、ドラゴンがダンジョンを棄てるような何かが起こり、それが我が主の怒りの原因になった? ……分からない。一体何が――)
「いかがなされますか?」
「……マドラス帝国に向かいます」
「聖女様自らですか⁉」
「はい」
「では、訪問の先触れを――」
「そのような時間はありません。急ぎ、準備を行ってください」
「は、はい!!」
フィリアは焦っていた。
フェイトは寛容だ。
しかし、その寛大さは、人々に対して無関心であるからという理由に他ならない。
それはフェイトが神である為だ。
フィリアは数少ない、フェイトに認識されている存在の一人。
彼女はフェイトの在り方の一端を理解していた。
興味があるか。
それ以外か。
フェイトの琴線に触れる人間には、フィリアのように気さくに話しかけたり、時に加護を与えたりもする。
しかし、それ以外の人間は、例え己の信徒であろうとも、フェイトにとっては皆同じ。
人も、魔物も、道端に転がる石でさえ等価の存在であるとして認識している。
つまるところ、フェイトの怒りの矛先は、当事者以外の人間――下手をすると、神罰は都市や国といった規模で降りかかることになりかねない。
不穏な予感を抱きながらも、フィリアはマドラス帝国へと向かった。
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