第一章 閑話

竜と神


「……眠ったか」


 迷宮都市の西の空。


 沈む夕日を目指して飛行する白銀竜は、背中の幸助が眠ったことを確認すると、風音で起きてしまわないよう彼の周囲に強力な防音の魔法を展開した。


 毒に侵されていた幸助を魔法で治療した白銀竜。


 だが、肉体的な損傷や疲労は取り除くことはできても、精神的な負担までは取り除くことはできない。


 その気になれば目的地への転移も可能である白銀竜が、わざわざ空を飛行して移動する理由は、長距離転移による幸助の身体の負担を考慮しての選択だった。


 そしてもう一つ。


 滅多に人前に姿を現さない珍客を呼びつけるためでもあった。


「――そろそろ出てきたらどうだ」

「あれ? 気付かれちゃった」


 白銀竜の呼びかけに、虚空から返答があった。


 幸助の隣に次元の裂け目が生まれ、そこから現れた人物。


 それは彼を異世界ファンタジアに送り込んだ張本人である神――フェイトだった。


「やはり、貴様が関わっていたか……」

「久しぶりだね、ルイン」

「止めろ。私をその名で呼ぶな」


 親し気に白銀竜へと声をかけるフェイトだが、当の本人は心底嫌そうな顔をする。



――零落竜ルイン


 それはかつて幾つもの文明を滅亡へと導き、歯向かう魔物の悉くを殺し尽くした《竜王》の名。


 竜種が魔物の頂点に君臨するのは、偏に《竜王》の存在あってのこと。


 生来戦闘を好む竜種の多くは零落竜との戦いに敗れて命を落とし、その苛烈さを恐れた人類は、竜種でないが姿かたちが似通う魔物を畏怖を込めて『亜竜種』と呼称した。


「あんなにやんちゃだった君が人族を背に乗せて飛ぶなんて、一体誰が想像しただろうね?」

「売られた喧嘩を買ったまでのこと。それに、貴様も同じようなことをしているだろう?」

「言い方! ボクのはちゃんと世界の均衡を護るっていう大義名分の下にやってることだよ。言ってみれば神様としての仕事だよ、!」

「どうだか」


 嫌味……というより、もはや敵意にも等しい感情を向ける白銀竜。


 対するフェイトはつれない態度を取られているにもかかわらず、心底楽しそうに会話を続ける。


「でも、良かったの? せっかく頑張って1000階層まで作ったダンジョンなのに、10分の1も使われないまま棄てちゃって」


 超高難度ダンジョン【絶望の虚】。


 幸助たちが第300階層で白銀竜と遭遇したダンジョンは、実際の所、1000階層から構成される他に類を見ない巨大なダンジョンだった。


 その目的は、白銀竜が己に比類し得る存在を育て上げるために創り出したダンジョン。


 真実を知るのは、ダンジョンマスターである白銀竜本人と、世界の全てを見通す神であるフェイトのみだった。


ダンジョンあそこを閉じたのは、幸助君をいじめた冒険者ギルドへの当て付けかい?」

「ダンジョンから永遠に利益を得られると考える愚か者どもに灸を据えたまでのことだ」

「じゃあ、今回の事とは全く関係ない?」

「……以前から目に付く者が居たのは事実だ。今となっては、アプローチの方法を完全に間違えていた」

「ほら、やっぱり幸助君のことが原因じゃん」

「……フン」


 図星を突かれ、面白くなさそうな白銀竜。


 一方のフェイトは、言葉に詰まった白銀竜を見て、ニコニコと微笑む。


「ダンジョンはもう良い。目的は達成した」

「それが幸助君ってことね。世界を敵に回すような竜と友達になっちゃうなんて、凄いな~幸助君は」

「惚けたことを……。貴様だろう、コウスケをダンジョンに送り込んだ張本人は」

「ん~?」


 並の生物ならそれだけで絶命させる白銀竜の威圧。


 それは物理的な作用すらもたらし、周囲の空間が耐え切れず軋みを上げる、


 威圧の対象でないノアですら身動きが取れない状態であるのに対し、それを受けるフェイトは素知らぬ顔で幸助の乱れた髪を手で漉いている。


「我に悟られぬようダンジョン内に現れるなど、貴様とあの気障な男しか思い当たらない」


 白銀竜は頭の中に二人の人物を思い浮かべる。


 一人は目の前の薄気味悪い神。


 捉えどころがなく、何が楽しいのかいつも笑みを絶やさない。


 そして、もう一人は神出鬼没の風来坊。


 突然現れては土産の品を押し付けたり世界各地で見聞きした話を一方的に喋り、気が済むとどこかへと去っていくお調子者。


 今回のような手の込んだことを後者がするはずもない。


 やるならばもっと、直接的に行動してくるはず。


 となれば、消去法で目の前の神による、何らかの意図を持っての行動ということになる。


「……何が目的だ?」

「ん~ノーコメント!」

「はぐらかすのか?」

「少なくとも、今は答えるつもりは無いかな?」

「食えない奴だ」


 問いに対し、否定も肯定も、その目的さえも明かさないフェイト。


 その様子に白銀竜は苛立ちを滲ませる。


 かと言って、何かできる訳でもない。


 背中に幸助を乗せている以上、荒事を起こせば彼に被害が及ぶであろうことは明白だ。


 それ以前に、万全な状態かつ幸助がこの場に居ない状況であっても勝算は無いにも等しい。


 零落竜と呼ばれる白銀竜の力を以てしても、目の前の神は底が知れなかった。


「さて、話は終わりかな」

「元より貴様と話すことなど無い」

「冷たいなー。じゃっ、ボクはこの辺りで! 仕事が残っているからね」


 気さくな挨拶をしたフェイトは、現れた時と同じように次元の裂け目へと消えていった。


「……」

「どうしたノア?」

「……!」

「そうだな。彼奴は積極的にこちらには干渉しないだろうが、万が一を考えて武器を持つことは悪くない。……どれ、落ち着いたら私が稽古でもつけてやろう」

「……!!」

「ああ、幸助を護る手段を増やすことに越したことはない」

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