【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ20
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私はあまりのことに呼吸も忘れて、スキレットを握りしめたまましばらく固まってしまった。
ふと、我に返り、椅子と雪だるまの間に立つようにして、大きく立ち回り、入り口からテントの中をのぞき込む。
そして、また悲鳴を上げた。
レイジがぬっと出てきた。
何食わぬ顔で。
入り口から出ると、大きく伸びをし、まわりを見渡す。
「よっしゃ。そろそろはじめっか」
そう言うと、レイジはドサリと椅子に座った。さっき派手に倒れたはずの椅子が、いつの間にか戻っている。
私はおそるおそるレイジに近づく。
レイジは私を見ようとしない。いや、きっと気づいてもいない。
レイジは自然な動作で上着のポケットから白いスマホを取り出した。私がのぞき込んでいるのに、暗証番号を打ち込み、画面を開く。慣れた手つきでYtubeのアプリを起動させると、自撮りのようにスマホを構え、録画モードを押した。
「みなさん、こんにちはー! レイジでーす。ごめんね。なんか炎上騒ぎから2週間もたっちゃったね。SNSで言った通り、あれ、誤解っす!」
そう明るく笑う表情とは裏腹に、レイジのスマホを支える手は震えていた。緊張しているのだろう。
「でも、色々、俺も考えて、この動画を最後にしたいと思います。実は俺、昔、ある子と約束したんすよ。絶対有名になって、このキャンプ場紹介してやるって。ここがどれだけ楽しい場所か、全国に教えてやるって」
レイジは一際、素敵な笑顔を作って言った。私が昼間も聞いたあの決め台詞。
「というわけでね、今日の動画はじめていきますよ! レイジのキャンプちゃんねるー! 世界中のキャンプ仲間のみんな、聞こえてるー!?」
私は、すとんと、膝を落として座り込んだ。スキレットが手から離れる。
私に気づいていないレイジは続ける。
「今日はね、俺の一押しのキャンプ場。緑の里キャンプ場に来ていまーす。前から言ってたけど、子どもの頃よく来てたキャンプ場で、満を持してって感じッすね。」
同じだ。全く同じ言葉、同じ動作、同じ表情。
「はい。では、日も暮れてきたところなので、さっそく夕食を作っていきたいと思います。今日はチーズフォンデュを・・・・・・・」
美音と紗奈子と三人で、ショッピングモールで観たゾンビ映画。自分が死んだことに気が付かず、生前の行動を繰り返し続ける哀れなゾンビ達。
紗奈子が観たがっていたサスペンス映画も思い出す。ある秘密に気がつかないと同じ一日を永遠にループするという内容だったか。
レイジはここで死んだのだ。
そして、自分が死んだことに気が付かず、ずっと繰り返しているのだ。動画を撮り始めてから、殺されるまでの一連の流れを。レイジの言葉から計算するに、おそらくは、2週間もの間ずっと。
ずっと、一人で、撮影を続けているのだ。
「うーん、ちょっと近いな」
レイジはそうつぶやくと、おもむろに立ち上がった。スマートフォンを持ち、雪だるまに近づく。レイジは雪だるまにの上にスマホを載せた。スマホがすっと見えなくなる。
「お、いいじゃん」
そう言うと、レイジは席にもどり、その後は雪だるまに向かってしゃべり続けた。
私は立ち上がる。
ゆっくりと雪だるまに近づく。
近くで見ると、顔も何もない、やけにぶくぶくした雪だるまだった。それはそうだ。恐らく作られたのは2週間前。そこから何度も何度も上から雪が積もっただろうから。
雪だるまの頭を撫でるように雪を落とす。
出てきた。
白い、スマートフォン。
私はスマホを持ち上げる。
その瞬間、レイジの声が消えた。
後ろを振り返る。そこには、誰も座っていないキャンプチェアが一脚あるだけだった。
私は、スマホを持って、レイジの椅子に座った。冷たい。誰も座っていなかった証拠だ。同様に氷のように冷たいスマホを、私は額に押しつけた。
レイジは死んでいた。それも恐らく、2週間前に。
じゃあ、奈緒は何を恐れていたんだ。奈緒を殴ったレイジは死んでいる。奈緒を殴ったレイジはもう・・・・・・
そこで私の頭の中で警報が鳴る。
奈緒の右頬の痣。明らかに人間の拳で殴られた跡。
右頬。
唐突に、頭の中で昼間に見たレイジのキャンプ動画が再生される。
『えーとですね、みなさん間違いがちなんですが、斧を持つ右手には手袋はしません。すっぽ抜けたら困るでしょ。薪を支える左手だけに手袋をします』
レイジは、右利きだ。
右利きの人間が相手を殴れば当然、傷は左頬につくはず。
奈緒の傷が右頬なのはおかしいんだ。
殴られた傷が右頬につく場合は限られる。例えば相手の右手が埋まっていて、とっさに左手で殴りつけられた場合、もしくは、そもそも相手が左利きだった場合。ほかには、そう、
二人が同じ方向を向いていた場合。
例えば、相手を背後から羽交い締めにして、抵抗した相手が振り回した拳が、頬にあたった場合。
つまり、レイジを殺したのは。
足音がした。右側。
顔を向ける間もなく、ビュッと言う音が聞こえる。聞いたことがある。白鳥キャンプ場で、白鳥の日本刀をかいくぐった時に聞いた、あの、風を切り裂く音。
私はとっさに地面を蹴り、顔を背けながら椅子ごと後ろに倒れ込んだ。
テントの中に転がり込む。慌てて体を起して入り口を見た。
明るくなり始めた東の空を背景に、入り口に立つ人影。
「ありがとう。なっちゃん。あたしのスマホ、見つけてくれて」
彼女はそう言って、両手に持った斧の長い柄をおもむろに肩に乗せた。
「なっちゃんなら、見つけてくれるって信じてたよ」
清水奈緒はそう言って微笑んだ。人を魅了する、あの犬歯を見せるかわいい笑顔で。
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