【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ19


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「それ、なに? フライパン?」


 私は相棒をザックから取り出し、くるりと回した。


「スキレットよ」


 別に戦闘になると決まった訳じゃない。だが、レイジは恋人の顔を全力で殴りつけるような奴だ。土壇場で何をしてくるかわかったもんじゃない。用心はしなければ。


 スキレットの柄を腰の後ろに差し込み、上着で背中に隠す。


 腕時計を確認する。4時55分。まだ周囲は真っ暗だが、時間的にはもう早朝と言っていい時間になっていた。きっとレイジは寝ているだろう。


 


 作戦①。


 テントに忍び込み、寝ているレイジに気づかれないように奈緒のスマホを見つける。このとき、可能ならば車の鍵も拝借する。あとはこっそり二人で駐車場に移動する。管理人さんは帰っているし、ロッジは閉まっているだろうが、車の鍵さえ手に入れていれば、そのまま二人でレイジの車で警察に行くことができる。


 もし、車の鍵がなくても、2時間後には美音が迎えに来るはずだ。なんならその段階で美音に電話して、急行してもらってもいい。




 作戦②


 レイジが起きてしまった、もしくはスマホが見つからなかったパターンだ。


その際は話し合いになる。適当に話を合わせてやってもいいし、なんなら相手は立場のある配信者だ。世間体を考えて大事にはしたくないだろう。こちらとしても脅し文句はいくらでも用意できる。「うちのさっちゃんチャンネルを暴露チャンネルにしてやろうか!」とでもすごめば、スマホぐらい差し出すだろう。




 作戦③


 スマホが見つからず、さらに話が通じない場合だ。なんなら暴力を振るおうとしてきた場合。


スキレットで撃退。からの110番通報でジエンドだ。


「レイジは実は格闘家でした」みたいな白鳥パターンじゃないことを願ってはいるが、なんにせよ私もただでは済まないかもしれないし、なにより、通報するほどの大事になれば、奈緒の秘密が守りきれるかわからない。


 作戦③は、本当に最終手段だ。




「じゃあ、行くよ」


 私はLEDライトを片手に、肩を怒らせて雪の通路に足を踏み出した。奈緒を傷つけられたことで私の怒りはすでに頂点に達していた。酔いなど完全に吹き飛んでいた。


遠目に見るレイジのテントは真っ暗だ。寝ているのだろう。


 ていうか、たとえ寝てなくてもスキレットで殴り付けて気絶させるのが一番早いんじゃないか。もうそうしようかな。


「なっちゃん・・・・・・」


 振り返ると、ランタンを持った奈緒が立ち止まっていた。下を向き、体を縮こませ、小刻みに震えている。寒いわけではないだろう。怖いのだ。


 私はそこで、自分が突っ走りすぎていたことに気が付いた。


 私は奈緒がレイジにどんな扱いをされてきたのか、具体的なことはほとんど聞いていない。レイジへの恐怖心が体に深く刻まれてしまっていても、不思議ではない。それに、レイジはなんだかんだ奈緒の彼氏だ。恐怖とは別に、情がわいてしまっている可能性だってある。土壇場で、奈緒が正常な判断が下せるかは、正直わからない。


 不安そうな奈緒に私は笑いかける。


「大丈夫。なっちゃんに任せときなさい。私は場数が違うんだから」


 再び雪の通路を歩き出すと、二人はすぐに分かれ道に着いた。左に行けば、ロッジと駐車場へ。右に行けばレイジのいるテントだ。


 私は歩みを止めて振り返ると、小声で言った。


「ナオちゃん、先に、駐車場に行ってて」


「え?」


 私は、ポケットから自分のスマホを取り出す。ピンクの充電器が刺さったままだったので、それは外してポケットに戻す。


「はい」


 奈緒は私が差し出したスマホを、恐る恐る受け取った。


「ナオちゃんのスマホを取り返して、すぐに私も行く。何か異変を感じたり、私が30分たっても追いついてこなかったら、すぐに110番して。わかった?」


「なっちゃん・・・・・・」


「ほら。行きな」


 奈緒は数秒迷った素振りを見せたが、私を信じることに決めたのだろう。下唇を噛んで頷くと、何度も振り返りながら左の道を進んだ。ランタンの光が小さくなる。トイレを横切り、森の脇の道に消えていった。


 さてと。


 奈緒が見えなくなったのを確認すると、私は大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。


ライトを消した。夜明けまではまだ時間があるが、徐々に周りは明るくなってきているので、ギリギリ視界は確保できる。


 できるだけ足音を立てないように、一歩一歩に細心の注意を払いながら雪の上を進む。テントの裏手につく。そっと窓から中の様子をうかがう。真っ暗なので目をこらす。幸い、夜目はきく方だ。


 大きな石油ストーブ、柔らかそうな絨毯。お洒落なキャンプ道具。


 そして、入り口のすぐ外の椅子に座っているレイジの後ろ姿があった。


 てっきり寝袋にくるまって寝ていると思っていた私は、驚く。


 次いで、悲鳴を上げそうになった。


 レイジは、しゃべっていた。


 なんと言っているかはわからない。ただ、昼間と同じように、ハイテンションで、手振り身振りを交えながら、しゃべり続けていた。


 外の、真っ暗な空間に向かって。


 まだ、撮影をしているのか? こんな暗いなかで、明かりも付けず? 


 私は、もう足音を気にせず、かまくらを横切り、テントを回り込んで入り口に向かう。なんにせよ、起きているなら仕方がない。作戦②だ。


 入口側に回ると、昼に見たとおりの場所にチェアがあり、レイジが座っていた。その前方には、雪だるまが相変わらず鎮座している。


そこで、私はひるむ。


 レイジは、明らかに、雪だるまに向かって語りかけていた。


「いやー。やっぱ雪の中のチーズフォンデュ、最高でしたね! 白ワインも雪景色と相性バッチリでした」


 私はレイジの横顔に向かって思いきって、大声を出した。


「こんばんは!」


 まずは挨拶。どんなときもこれは必須だろう。


 レイジは雪だるまの方を向いたままだった。驚いた様子もない。昼間と同じように、私を完全に無視して、笑顔で、ひたすらしゃべり続ける。


「シメで紹介したチーズパスタ、あれ、おすすめですからね。美味しいのはもちろんですが、鍋にこびりついたチーズをきれいに再活用できるという・・・・・・」


 だめだ。普通じゃない。


 想像とは違う形で、話し合いが出来そうになかった。


 私とレイジとの距離は一メートルも離れていない。レイジは男性としては平均的な身長のようだが、もちろん、私よりは高い。片手をこっそり腰に回し、いつでもスキレットを抜けるようにしておく。


「私、奈緒の親友の斉藤といいます。奈緒から話は聞いています」


「さあて、そろそろこの動画もおしまいなんですが、最後に一つだけ」


「奈緒のスマホを返して下さい。それさえしていただければ、私はそれ以上あなたを追及するつもりはありません」


「このキャンプ場は俺にとって、とっても大事な場所なんです。このキャンプ場で撮った動画をどうしても届けたかった」


「あの! きいてます!?」


「みてますか? 聞こえてますか? 俺は・・・・・・」


 その時、突然、レイジがばっと自分の首を押さえた。


 あまりに急な動きに、私は反射的にスキレット抜き取り、身構える。


 レイジは首を両手でかきむしり、足をばたつかせた。笑顔は消え去り苦悶の表情を浮かべる。


 なに? 苦しんでる?


 レイジは椅子の上で苦しみもがきながら、眼球だけを動かして、背後のテントの中の暗闇を睨み付ける。


 次の瞬間、レイジは何かに引っ張られるように後ろに引きずり倒された。私は悲鳴を上げる。


 レイジは左手で首を押さえ、右の拳を振り回して必死に抵抗しているようだが、そのまま、真っ暗なテントの奥にズルズルと引きずり込まれていった。


 そして、何の音もしなくなった。


 


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