【第3章】 雪中キャンプ編 清水奈緒 2
22
大人になったある日、ニュースで斉藤ナツの名が出たとき、清水奈緒は衝撃を受けた。日本中の報道メディアを総なめしたその事件は、奈緒のヒビだらけの心を激しく揺さぶった。
なっちゃんだ。なっちゃんだ!
その日から、奈緒は白鳥湖殺人事件に関する情報をあらゆる方法で集め回った。そのうち、猟銃事件にもたどり着いた。調べれば調べるほど、斉藤ナツはすごかった。奈緒の記憶の中で神格化されたナツの姿と完全に一致した。
会いたい。会って、もう一度、友達になりたい。
そこで、何も考えず会いに行けば良かったのかもしれない。どうせ住所も職場も掴んでいたのだから、会いに行くのは簡単だったはずだ。
しかし、その簡単な判断は、十年以上もの間、あの日の心の傷を自らえぐり続けていた奈緒には出来なかった。
今のあたしは、なっちゃんにふさわしくない。もっと、なっちゃんと対等な存在にならないと、なっちゃんはあたしを見てくれない。友達になんかなれない。
今のなっちゃんはキャンパーだ。じゃあ、なっちゃんをキャンプであっと言わせられる人間になれば、なっちゃんはあたしを見てくれるのではないか。
でも、あたしはキャンプなんてほとんどしたことがない。これじゃあだめだ。
そうだ。なっちゃんには今、恋人がいない。昔、有馬徹という恋人がいたそうだが、自殺してもういない。この人も、なっちゃんにふさわしくなかったんだ。
じゃあ、あたしが、なっちゃんよりもキャンプに詳しく、かっこいい彼氏を連れていたらどうだろうか。そうすれば、なっちゃんはあたしに一目置いてくれるのではないだろうか。対等な友人になれるのではないか。
そうだ。それがいい。そうしよう。
自分の内面といびつな形で向き合い続けてきた奈緒は、自分の思考を客観的にみることができなくなっていた。その思考の異常さに気が付かないまま、奈緒はインターネット上でめぼしい男性キャンパーを見繕った。そして見つけた。
レイジのキャンプちゃんねる。
SNSを駆使して数日かけて調べたところ、本名は山本貴史。24歳。
容姿、年齢、スペック的に申し分ない。人気Ytuberで、キャンプインストラクターの資格も持っている。なっちゃんだって憧れるはずだ。
このレイジをあたしの彼氏にしよう。そして、なっちゃんに会いに行くんだ。もし、なっちゃんがレイジを気に入ったなら、友情の証に、なっちゃんにレイジをあげてもいい。完璧だ。
レイジをおとす自信はあった。
奈緒は自分の外見が美しいことをこれまでの経験上、重々理解していた。
調べでは出てこなかったが、仮にレイジにすでに恋人がいたとしても別に問題とは思わなかった。
ナツとの別れ以降、奈緒は周りにあるほしいと思ったものは全て盗むか、奪って生きてきた。それは男性も例外ではなく、人の恋人をかすめ取っていくぐらいは思いつき程度のノリで何度も行ってきた。
だから、レイジの現住所を特定し、行動パターンを割り出して、とある人気キャンプ場で待ち伏せした時は、完全に勝ったつもりでいた。
結果は無残なものだった。
運命を感じるシュチュエーションにも、奈緒が調べ上げたレイジ好みの服装にも、老若男女に有効な八重歯を見せる笑顔も、レイジには通用しなかった。
困った振りをすれば助けてくれるし、質問すれば笑顔で答えてくれるが、目を見れば心が奈緒に向いてないのは明らかだった。それは、昔、斉藤ナツに感じたあの自分への無関心なまなざしに酷似していた。
奈緒は焦った。こんなはずじゃない。こんなはずない。
だから、奈緒はあらゆる手を使った。何度もキャンプ場に先回りし、泣き落としを試したこともあれば、あからさまな色仕掛けを仕掛けたこともあった。
もう、ナツに会うという目的は薄れかけ、レイジに振り向いてもらうことが目的に成り代わっていた。
奈緒はいつの間にか、レイジに本気で思いを寄せてしまったのである。
そして、レイジが振り向いてくれないのは、Ytubeのフォロワーに思い人がいるせいだ。そうに違いないと確信した。
だから、ある日、レイジのテントの後ろの出入り口からテント内に侵入して、わざとライブ配信に映りこんでみた。それが遂にレイジの逆鱗に触れた。
「二度と近寄るな」
そう怒鳴り付けられた奈緒は、半分パニックになった。
もう本来の目的すらわからなくなり、奈緒は自分でも理由のわからないままひたすらレイジに執着してしまっていた。
そんな奈緒だったが、レイジの次の行き先が緑の里キャンプ場だと知ったとき、あまりの偶然に驚喜した。
やっぱり、レイジは運命の相手なんだ。
前回は確かにあたしが悪かった。仕事を邪魔したんだから、怒って当然だ。
もういちど、冷静に話し合おう。そうすれば、レイジもわかってくれるはず。
奈緒は緑の里キャンプ場に「モリタ」という偽名で予約し、先回りしようと早朝に設営を済ました。あえて、レイジが撮影で使いたがりそうな中央の場所は避け、その右手にソロ用のテントを張り、レイジを待った。
レイジは午後になって現れ、予想通りの場所にいつものカマボコテントを張った。
奈緒は自分のテントの中で待った。レイジは、同じキャンプ場にいる先客には必ず自分から挨拶に行く。だから、待っていたらあたしだと知らずに来てくれるはずだ。そしたら、前回のことを謝って、ちゃんと話をするんだ。
「すいませーーん!」
レイジが来た。テントの外から呼び掛けている。
「あのー! 隣のテントのものなんですけどー」
奈緒は喜び勇んで「はーい!」と返事をテントから出た。とびっきりの笑顔を作る。
レイジが奈緒の顔を見て、黙る。表情がみるみる硬くなる。
謝らなきゃ。
「あ、あの、この前はごめんなさい。勝手にテントに入ったりなんかして、配信の、邪魔しちゃいましたよね。でも、あたし、ほんとにレイジさんのこと・・・・・・」
「なんか知らないけどさ」
レイジは奈緒を敵意のこもった目で睨み付けた。
「動画の邪魔だけは、すんじゃねえぞ」
それだけ言うと、レイジは肩を怒らせて自分のテントに帰って行った。振り向きもしない。
一分にも満たない会話だった。しかし、それだけの時間で、二人の関係が修復不可能なレベルであることは奈緒にも理解できた。奈緒は膝から崩れ落ち、泣きじゃくった。
その後、レイジは雪だるまを作ったり、かまくらを作ったりする様子を笑顔で、自分一人で撮影していた。奈緒は自分のテントの前に座り込んで、その様子を呆然と眺めていた。
その夜、なぜレイジのテントにもう一度侵入しようとしたのかは、奈緒自身もよくわかっていない。もう一度話せば、どうにかなるなんて、流石に奈緒自身も思っていなかったはずだ。
それでも、奈緒はレイジのテントに向かった。
前回、奈緒が侵入した後ろの出入り口は完全に閉められていた。見ると、ジッパーには小さな鍵までついていた。
奈緒は、カッターを取り出すと、テントの側面の生地を切り開いた。もう、常識的な判断などは出来なくなっていた。
切り開いた箇所から侵入すると、お洒落なキャンプ道具と、暖かい光を出す大きなストーブがあった。詳しくはないが、キャンパーはこういうのが好きなんだなと思った。なっちゃんも好きだろうか。
そこで、奈緒はナツのことを思い出した。そうだ。なっちゃんだ。なっちゃんに会うために、レイジが必要なんだ。
奈緒は少しだけ、我に返った。
もういい。レイジのことは諦めよう。
いつの間にか本気で憧れてしまっていたけれど、あんなにアタックしてもダメだったんだ。きっと、レイジは心を決めた運命の相手がいるんだ。だったらしょうがないじゃないか。
こうなったら、レイジに事情を話して、協力してもらおう。恋人の振りをしてもらうだけでも良いじゃないか。なんなら、お金で雇ってもいい。幸い、お金には困ってないわけだし。
レイジはちょうど、動画を撮り始めた所のようだった。前回の反省からか、今回はライブ配信ではなく、録画のようだ。
もう邪魔はすまい。録画が終わるまでここで静かに待っていよう。
レイジの声が響いてくる。
「でも、色々、俺も考えて、この動画を最後にしたいと思います。実は俺、昔、ある子と約束したんすよ。絶対有名になって、このキャンプ場紹介してやるって。ここがどれだけ楽しい場所か、全国に教えてやるって」
なるほど。その子とやらが思い人か。一途な人なんだな。レイジは。
切なくなりながらも、しみじみと事実をかみしめた奈緒だったが、次にあることに気づき、胸が一気にざわついた。
ん? まって。このキャンプ場? この緑の里キャンプ場を紹介するって、その子と約束したってこと? つまり、その子って、レイジの思い人って・・・・・・
全てを理解した奈緒は、ゆっくりと靴紐を解いていった。音を立てないように、紐を靴から抜き取る。
レイジがチーズフォンデュを食べる。
シメのチーズパスタを作る。
そして、最後の挨拶が始まった。
「このキャンプ場は俺にとって、とっても大事な場所なんです。このキャンプ場で撮った動画をどうしても届けたかった・・・・・・。みてますか? 聞こえてますか? 俺は・・・・・・」
奈緒は背後からレイジの首に靴紐を巻き付けた。
驚いたレイジが首を押さえる。奈緒は渾身の力で紐を引っ張る。レイジが抵抗する。しかし、身長170センチを超える奈緒とレイジの体格はさほど変わらない。レイジはずるずるとテントの中に引き込まれる。
レイジが振り回した右の拳が、奈緒の右頬に直撃する。激痛が走った。
それでも、奈緒は、手を緩めなかった。
数十秒後。
ついに、レイジは、動かなくなった。
奈緒は冷静だった。
死体はどうにでもなる。父の別荘の庭にでも埋めれば良い。テントもキャンプ道具も、車ごと持ち帰って処分しよう。
しかし、レイジの荷物を集めていて奈緒は気づいた。撮影に使っていたはずの、レイジのスマホがない。
配信中は隠れてレイジの声だけを聞いていたので、スマホがどこにあったのか、奈緒にはわからなかった。
奈緒は急いでテントの周りを探し回った。首を絞めた際にどこかに放り投げたのだろうかとも思い、夜通し周辺の雪をかき回したが、レイジのスマホは見つからなかった。
いつの間に雪が降り始め、奈緒が掘り返した先から、驚くほどの勢いで再び雪に埋もれていく。
どうしよう。このまま見つからなかったら。そして、春になって雪が溶けたら、確実にスマホが発見される。そしたら、
もう、なっちゃんに会えない。友達になれない。
どうしてこうなった。レイジを手に入れれば、なっちゃんが振り向いてくれると思ったんだ。でも、レイジは今、あたしが殺してしまった。もういない。
そこで、ふと、奈緒はテントの中を見回した。お洒落な、キャンパーが好きそうな、キャンプ道具の数々。
レイジが死んだなら、これ、全部、あたしのものなんじゃないか。
そうだ。別にレイジが恋人である必要はないんだ。
あたしがレイジになれば良いんだから。
レイジの死体を見つめる。
黒い上着を脱がし、着てみた。うん。少し大きいけど、ちょうど良い。
紫のニット帽を脱がし、被る。うん。ぴったりだ。
あれだけ頑張っても、手に入らなかったレイジが、自分のものになった。いや、自分になった。あたしはレイジになった。
奈緒は笑った。子どもの時から、「自分」を見失い、「誰か」に憧れ続けてきた清水奈緒は、ようやく「誰か」になれたのだ。
これで、なっちゃんにも堂々と会える。
そうだ。スマホ、なっちゃんに探してもらおう。
なっちゃんは幽霊が見えるから。夏休みに森で、なっちゃん言ってたもん。幽霊には何かを伝えようとするタイプと、死ぬ前の行動を繰り返すタイプがいるって。レイジはどっちかわからないけど。どうせ幽霊にはなるよね。その時は、どっちでもいいように、今日とおんなじ場所に、おんなじように、このテントをたてよう。
でも、きっと、なっちゃん気づいちゃうよね。あたしが人殺しだって。
そうだ。その時は。
あたしが、なっちゃんになろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます