【第2章】 湖畔キャンプ編 白鳥幸男 2

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 白鳥幸男が異変に気がついたのは、ちょうど黄色いミニクーパが湖に沈んで行くのを確認した所だった。


 水辺の直前でアイドリング状態のまま乗り捨てられたナツの愛車は、クリープ現象で徐々に自ら入水していく。先ほどまで並んでいた石田の車はすでに湖の底だ。


 白鳥がいるここは、ナツがキャンプをしていた湖畔キャンプエリアの対岸にあたる。


ナツからは夕暮れの暗さと木々の影が相まって確認できなかっただろうが、小さな港のようになっており、キャンプ全盛期にはこちらもスワンボートが並んでいた。そして、この古びたボート乗り場の裏手には白鳥の生まれ育った実家がある。かなり大回りになるが、車道も通っている。その車道を利用して白鳥は二人の車をここまで運んだ。一人で往復しながら二台の車を運転してくるのは流石に骨が折れた。あとは紗奈子のスポーツカーをなんとかするだけだと伸びをする。


 さて、そろそろ旅立ちは終わっただろうか。


 そう思ってロッジの方を振り返った白鳥は凍り付いた。


 ロッジ周辺の空が赤い。


 白鳥は趣味で所有しているオフロードバイクに飛び乗り、ロッジに急行した。


 暗くて細い車道をバイクのヘッドライトで照らしながら走り抜け、旅立ちの場であるロッジに着くと、愕然とする。


 ロッジが半分炎に包まれていた。


 見ると、小窓のガラスが割られている。口を押さえながら中をのぞき込むと、七輪が横倒しにされ、床に炎が広がっていた。その炎がカーテンを伝い、天井にまで燃え広がっていた。奥には石田が糸の切れた操り人形のように座り込んで気絶している。


 あの女二人はどこに行った。


 小屋の中にはいない。周りを見回すと、足下に白鳥がスペインから取り寄せた生ハムの原木が転がっていた。側に専用の台座もひっくり返っている。これでガラスを割って外に出たらしい。


 事態を悟った白鳥はゆっくりと後ずさった。ロッジが炎に包まれていく。


 どこに逃げた。どこに向かうつもりだ。


 白鳥は駐車場の方向に顔を向けた。


 山を下りようとしているのだろうか。


 だが、ナツの車は湖に沈んでいる。紗奈子の車は途中の山道で動かなくなっているはず。


 車がなければ、山道を走っても、女二人では、近くの民家まで二時間近くはかかるだろう。対して、白鳥が逃亡に気がついて車で追えば、十分もせずに追いつかれる。そんな愚かな逃避行をするだろうか。


 そうか。


 考えがまとまった白鳥は再びバイクに飛び乗り、来た道を引き返した。湖の反対側、旧白鳥家に向かう。


 


 実家に着くと、白鳥は靴を履いたまま生まれ育った我が家に上がり込んだ。まっすぐに倉庫に向かう。引き戸を開けると、手前に古びた消火器が置いてあった。


 白鳥はその消火器に見向きもせず、棚をあさった。


 まず、額にバンドで固定するヘッドライトを取り出す。額に縛り付け、スイッチを入れるとかなりの光量で倉庫が照らし出される。角度を微調節した後、白鳥は倉庫の奥に進んだ。


 そこには、祖父の代から集められていた父のコレクションが置いてあった。ほとんどが売り払われてしまったが、あの日の手漕ぎボートと同様、父は一番大事なものだけは後生大事にとっておく癖があった。白鳥は棒状のそれを手に取り、しばらく見つめた後に背負った。


 白鳥は家の外に出た。


 二人の行き先はわかっている。


 白鳥は夜空を見上げた。雲に半分隠れた月明かりが白鳥を照らす。


 救わなければならない。


 使命感に動悸が高まるのを感じた。だが、白鳥は気がつかない。その胸の高まりが興奮であることを。鼻息が荒くなっていることを。


 あの、無様なまでに生にしがみついてしまう二人を、送り出さねばならない。


 自分の顔がいつもの微笑みを浮かべているのを感じた。だが、白鳥は気がつかない。その笑みが凶悪に歪み始めていることを。




 僕が二人を、救わなければならない。




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