第2章 結局は全部他人事

【第2章】 湖畔キャンプ編 斉藤ナツ 1

「なんでそんなに冷たいの?」


 「彼」がその問いかけをしたのが何度目だったのかも覚えていない。


 だから私が「べつに冷たくないよ」と答えたのもいつものことだった。


「興味が無いだけ」


 後から思い返して、いつもと違っていたなと感じる唯一の点は、そこで「彼」がメガネの奥でまぶたをふっと閉じたことだった。


「それが冷たいって言うことだよ」


 「彼」がその二日後の月曜日の朝に自殺したことを知ったのは、幾日もたってからだった。


 


   1




 携帯を家に忘れた。


 その可能性に思い当たったのは高速道路のETCのバーが上がった瞬間だった。


 あれ? 私、ザックにスマホ入れたっけ? 


本線に入った愛車のミニクーパのハンドルを片手で操りながら、もう片方の手で助手席のザックを手探りする。いつもスマホを突っ込んでいるポケットを引っかき回す。だめだ。ない。諦めきれずに着ているGパンのポケットも探るが、見つからなかった。


ズボンとザックのポケットに入っていなければもう可能性は家しかない。そうわかってはいても最寄りのパーキングエリアに入って車を止めずにはいられなかった。車を降り、助手席側に回ってザックを引っかき回す。「探し物とは、案外近くにあるものだ」と誰かが言っていた。諦めきれない。


テント、寝袋、焚き火台、愛用のスキレット、ランタン、ナイフ、一眼レフ。


 苦労して詰め込んだ荷物を駐車場のアスファルトに並べていく。もう確実にないことは確定しているのに、未練がましくザックをひっくり返す自分が情けなくなる。


 はい。ありませんね。晴れて忘れ物が確定いたしました。斉藤ナツさんおめでとうございます。


 ため息をつく気にもなれず、並べたキャンプギアの真ん中で空を仰いで逆に息を吸った。


 雲一つ無い晴天。少し暑いくらいだ。夜は冷えるかと思い、一応上着も持ってきてはいるが、それも不要なのではと思えるほどの陽気だった。夏が近い。


 目線を下げて現実に戻る。携帯を忘れるなんて学生の頃以来かもしれない。


今日に限ってなぜ忘れたのか。


キャンプ道具をザックに詰め直しながら、今朝の自分の行動を思い返す。そう。今朝は岸本美音と電話をしたのだ。




「ナツさんごめんなさい! 今日、だいぶ遅れちゃいそうです」


 美音の悲痛な声がスマホから流れてくる。対して私はホットコーヒーを飲みながら「あそうなの」とそっけなく答えた。朝はまだ肌寒かった。


「何時頃になりそう?」


「多分、夕方? 夜? すみません・・・・・・」


「なんでまた」


「ちゃんと休暇申請してたんですよ。一ヶ月前から。でも先輩の一人が体調崩しちゃったらしくて、急にシフト入れられちゃったんです・・・・・・」


「すがすがしいほどブラックじゃん」


岸本美音は友人(?)の妹で、奨学金で美容学校に通っていた苦学生だったが、今年の春から晴れて美容師として働き始めた。まあ、職人の世界は色々厳しいようだ。


「そんなに遅くなるなら、無理してこなくていいよ。私、どうせいつも一人だし」


「いえ! 記念すべき初キャンプですので! 深夜になろうが這ってでもいきます!」


 それはキャンプ場も私も迷惑なので止めてほしい。


 


2年前に初めて美音とあった日、私は気の迷いで連絡先を交換してしまった。姉と違って妹は社交スキルが高いようで、それ以後、年に数回、ご飯に誘われたり、お茶に誘われたりで、なんとなく関係が続いていた。プライベートで人付き合いをしてこなかった私にとっては異例の事態であった。まあ、姉のことについて根掘り葉掘り聞いてくるようなこともなかったので、特に実害はないから、私も受け身ではあるが一緒に出かけるぐらいでは、なんだかんだで腰も重くはならなくなってきていた。


 するとある日、私の影響か「キャンプをやってみたい!」と言い始めたのだ。


 


電話の向こう側の美音はバタバタ忙しそうだ。今からすぐに出勤らしい。


「さすがに締め作業は抜けさしてもらえると思うので! そこから下道とばしていきます!」


「いや、それは高速道路のれよ」


「高速はまだ怖いんで!」


 美音は姉にもらったお金で奨学金を全額返済し、その残りとこつこつ貯めていたらしい貯金で自動車学校に通い、先日ついに中古の軽自動車を買ったらしい。前にも後ろにも初心者マークを貼り付けているとのこと。


 実際のところ、高速道路より夕暮れ時の下道をぶっ飛ばす方がよっぽど危険だと思う。だが、わからなくもない免許取れたてあるあるの心情だったので「安全運転でおいで」と言うだけにとどめた。


「キャンプ場には遅れるって言っておくよ」


キャンプ場はもともと美音がソロでロッジ泊を予約していた。姉や私の話ばかり聞いていたので、美音にとってキャンプは一人でするものだというイメージが強かったらしい。


しかし、私はソロキャンプに挑もうとしている美音を、全力で止めた。


これまでなら、「ソロキャンプ? そうなの。好きにすれば?」でスルーするところのはずだった。今時女子キャンパーのソロは珍しくもなんともないし、むしろ私はずっとソロだが、それでも止めた。


あの冬の夜の経験は、無意識下で私の行動に影響を与えているらしかった。


だから「だったら、ナツさんとデュオさせてくださいよ」と言われたら話の流れ的に当然断れなかったのだ。


 


「あ、そういえば、二人に増えたことはキャンプ場に伝えてあるんだよね」


 軽く聞いた私の問いで、電話の向こう側の動きが止まった。


「え? サイトの連絡って、ナツさんがしてくださるんじゃなかったでしたっけ?」


「あれ? 私が連絡しとくって言ったんだっけ?」


「言ってたかどうかは・・・・・・ でも、口ぶり的にそうなのかなと・・・・・・」


 まずい。私はキャンプ場の場所を確認しただけで、ソロからデュオへの変更連絡はしていない。てっきり美音がしてくれるものかと思っていた。


これは確実に私が悪いなと思った。あまりに集団行動を避けてきたあまり、意思疎通に失敗している。


「ごめんなさい」と平謝りする美音を「いや、ごめんごめん私のせいだよ」となだめ、「じゃあ私が連絡しておくね」「すみませんおねがいします」のやりとりをした後に、通話を切り、急いで美音が予約していたキャンプ場のwebサイトを検索した。


予約システムが出てきたので、無登録で入ってみる。美音も若者らしくネットで予約をしたと言っていた。宿泊を終えた後、カード決済が自動で行われるらしい。


予約プラン一覧を見ると、ロッジサイトにもテントサイトにもまだまだ余裕があった。シーズンなのに人気ないな、大丈夫かと思いつつも、好都合ではある。二人に増えると言っても断られることはないだろう。


とりあえず安堵すると、せっかくならロッジではなくテントで泊まりたいなというキャンパー欲が沸いてきた。そもそもキャンプ場のロッジは古い設計のものが多く、換気もままならないところもあって好きではないのだ。


 試しにメッセージで「私の予備のテントと寝袋貸すから、テント泊にしない?」と美音に送ると、「ほんとですか! 楽しみ!」と帰ってきた。しめしめと予約サイトの新規申し込みに進んだ。しかし、当日予約は電話のみである事が判明した。


まだ受付時間には早すぎる。行きしなにゆっくり電話しよう、とおそらく一旦スマホをテーブルに置き・・・・・


 そのまま忘れてきたんだろうな。


 


一人、駐車場で納得した。どうして「今日に限って」忘れたのではなく、「今日だからこそ」わすれたのだ。


普段かかってこない時間帯に電話がかかってきて、普段さわらない場所でスマホを操作して、普段はしない他人とのやりとりにテンパっていた今日だからこそ忘れたのだ。


 詰め直したザックを助手席に放り込み、車に乗り直した。この短時間でも車内温度が上がっており、蒸し暑い。エアコンのダイヤルを乱暴にひねる。


ハンドルに両手を置いて深呼吸をした。


 まあ、忘れたものは仕方ない。取りに戻るのは時間がかかりすぎるし、このまま行こう。待ち合わせの相手がいる状況で携帯がないのは痛すぎるが、現地集合だからなんとかなるだろう。人数変更と、ロッジ泊からテント泊への変更も、現地の受付で言えば問題あるまい。カード決済も宿泊の後に請求されるシステムだから、気にしなくても大丈夫なはず。初めて行くキャンプ場で名前も記憶が曖昧だが、走行距離を調べる際に大体の道順は確認したから、多分たどり着けるはず・・・・・・


 道順だけはやはり不安になり、車のナビを操作する。中古で車を買った際に付いてきた代物なので、かなり古い。最近はスマホの地図アプリをナビ代わりにしているぐらいだ。うろ覚えの市町村を検索すると、見事キャンプ場がヒットしてガッツポーズする。


よし。なんとかなった。


 安心すると人は気が大きくなるもので、「案内を開始します」というナビの音声に「お願いしまーす」と明るく返して車を出発させた。


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