【第1章】 林間キャンプ編 最終話 岸本美音 

 岸本あかりの妹、岸本美音に出会えたのは、次の年の春が終わろうという時期の事だった。見つけるのに時間がかかったのは、彼女から中学生だと聞いていた妹が、実際はすでに二十歳になっていたからだ。彼女が妹の前から姿を消してから、もう7年近くが経過していた。


 なんとか連絡が取れた岸本美音とは、彼女が通っているという美容学校のカフェテリアで待ち合わせをした。なんでも、姉の予想通り高校に行くことは叶わなかったが、中卒で働き始め、家を出て、自力で高校卒業の認定試験に合格して、奨学金を利用しながらこの学校に通っているそうだ。姉の想像よりも、遙かに妹は強い。


 いや、あの姉の妹だと考えれば、当然か。


 早めに待ち合わせ場所に着いてしまった。講義終わりに来るという美音を待ちながら、コーヒーを啜る。


 


 あのあと、事後処理は散々だった。


 凍死寸前で虫の息の管理人を、警察が運良く発見したのは置き去りにしてから二日後のことだった。管理人がろくに喋れる状態ではなかったため、警察は詳しく現場検証を行った。明らかに違法に使用された猟銃はすぐにみつかり、事件と断定。名簿の名前から、私はすぐに警察署に連れていかれた。私は彼女のことを除いて、事の次第を淡々と伝えた。事情聴取は長時間に渡ったが、ロッジから新たにもう2人の別の失踪女性の荷物が見つかった事から、管理人は殺害容疑、殺人未遂で起訴。私は完全なる正当防衛と言うことで解放された。


 ただし、管理人の殺害容疑は3人ではなく2人分だ。


 なぜなら、岸本あかりのザックは私が処理しておいたからだ。なんとか奇跡的にうまくいったようで、警察は、犠牲者は2人だと思っている。もし岸本あかりも被害者として上がれば、妹に彼女の死が最悪の形で伝わってしまうところだった。


 証拠隠滅など、発覚すれば人生に影響するリスクのある行動だ。まったく効率的でも合理的でもない。しかし、彼女との約束だ。やれやれ。なんで私がこんなことを。


 岸本あかりの遺体も、あとの2人の女性の方も遺体は見つからなかったらしい。


 どこかに埋められているのなら、すぐに見つかりそうなものだ。食べたのか、工芸品になったのか。管理人がどうしたかは想像したくないし、興味も無い。


 なんにせよ、警察も事件の異常性を重く受け止めたのだろう。この事件には厳しい報道規制が敷かれたらしい。週刊誌やらなんやらに追いかけられることはなかったのが私には幸いだった。




「暗証番号はあなたの誕生日だって」と差し出された通帳を見て、岸本美音は姉譲りの切れ長な目を丸くした。


「私も詳しい場所は聞いてないんだけど、お姉さん、今海外にいるの。それもすごく忙しいみたいで。代わりにこれ私があずかったの。」


 美音は無言で通帳を見つめる。無理もない。約束から7年も経過しているのだ。なんなら怒って破り捨てても不思議ではない。だが、美音は丁寧に両手で通帳を受け取った。


「・・・・・・こんな大事なものを、本当に姉から預かったんですか?」


 まずい。疑われているのか。


「なんかね、合わせる顔がないんだって」


 これはいろんな意味で間違いではない。


「でも、お金を誰かに預けるなんて・・・・・・」


「うーん。まあね。まあ、いろいろ協力? とかもしてきたし」


「ああ、あとこれ」と私は思い出して肩にかけている一眼レフを見せた。


「これだってもらったよ」


 これも間違いではない。美音はさらに目を丸くして一眼レフを見つめた。「・・・・・・そのカメラを?」美音は信じられないと言う表情でつぶやいた。


 私が頷くと、美音はしばらく黙ったかと思うと、突然ぽろぽろと涙をこぼし始めた。彼女の死がばれたのか? と焦る私に、美音は言った。


「ごめんなさい・・・・・・ お姉ちゃん、友達とか、いるの、見たことなかったから」


 彼女は目を拭いながら続けた。


「誰のことも信じないで、いつも一人でなんでもやって、なんでも抱え込むタイプだったから」


 美音は目を潤ませながらくすりと笑った。


「でも、お姉ちゃんにも、ナツさんみたいな友達ができたんですね」


 黙っている私を見て、困らせてしまったと思ったのか、「ごめんなさい。いきなり」とあわてて謝った。


「ずっと心配してたんです。でも、ナツさんみたいな人がいるって知って、すごく安心しました」


 美音はそういって照れ笑いをした。


「まったくもう。お姉ちゃん、今、どこで何してるんですかね」


「さあ」と私は椅子の背にもたれながら答えた。


「きっと、どこかで星空でも見てるんじゃない?」


 きっとそれも、間違いではない。




 私はミニクーパに乗り込むと、バックミラーを覗いた。ミラーには通帳を大事そうに胸に抱えて、何度も何度も頭を下げる美音が写っている。窓を開けて後ろ手に手を振りながら、車を発進させた。校門を抜ける。


 友達か。


 少し感傷に浸ってみようかと思ったが、すぐに止めた。家族愛だとか、友情だとか、やはりよくわからない。そんなものには私は向いていないのだ。頼むから余所でやってくれ。


 ハンドルを切ると、車体が揺れて、ザックの中のスキレットが音を立てた。車は並木道に入る。スピードを落としてしばし眺める。花びらが散っているので一瞬わからなかったが、よく見ると桜の木だった。


さあ、今日のキャンプ地を目指しますか。


 アクセルを踏むとミニクーパが桜並木を軽快に走り出す。花びらが散り終えた桜の若葉は、青葉へと変わろうとしていた。




(END)


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