第17話
つい先日の話だ。
智也が20歳になった年に、子供の頃から飼っていたタロウが亡くなった。
12年生きたタロウは、人間でいうとかなり高齢だ。
寿命だったのだ。
庭にあるタロウの小屋の中で、眠るように亡くなっているのを見つけたのは、帰省してきていた智也だった。
お別れを済ませたあと、智也はいつもタロウと散歩していたルートを、一人歩いている。
高台にある家から続く坂道。
河川敷では、地元の野球チームが放つ金属とボールがぶつかる音なのか、ときおり気持ちのいい音が聞こえてくる。
商店街には町おこしの一環なのか、セールを行なっていて、少し活気があるように思う。
とぼとぼと歩く智也の後ろを、私も歩いていた。
智也は振り返らない。
私も智也に声をかけることはしない。
神である私からしても、寿命というものは残酷だ。
止められない。
智也はいつも、タロウとの散歩の最後によっていた公園で、ベンチに腰掛ける。
まだ日は高くにあり、気持ちのいい風が吹き抜ける。
「なぁ、自分が死ぬタイミングってわかるのか?」
智也が初めて口を開いた。
「急になに?」
「昔、タロウと話したことがあるんだ」
犬と人間が喋る?何を言い出すんだ?と私は思ったが、そういえば昔、私はタロウの願いを叶えたことがあった。
「タロウは、俺にありがとうって。感謝を伝えるためだけに、神様のたった一度の願いを使ったんだ」
前の世界、私が人を捨てた世界でいうと、1年前になるか。
その時、確かにタロウは私に、智也と喋れるようにしてください、と言ったのだ。
『そんなことでいいのか?』
と私が問うと、
『私はたくさんの時間を智也さんにいただきました。その感謝の気持ちを智也さんに伝えたいのです』
そう言ったタロウの願いを、私は聞き入れたのだ。
「もしかしたら、もうすぐ自分が死んでしまうことに気づいていたのかもな」
俯く智也の表情は、私からはよくみえない。
「そうだな、あいつは自分の死期を悟ってはいたぞ。だから、あんたと話したいと願ったんだ」
「………」
智也の目から涙が溢れた。
雫が地面に一つ、ポタリと落ちる。
「なぁ、神様」
久しぶりに、智也に神様と言われた気がする。
「神様は死なないのか?」
「そうね、私は生きるや死ぬといった概念からは外れた存在だらか、死ぬことはないわ。そもそも生きている、という言葉もあてはまらないのだけど」
存在している。という表現が正しい。
永遠の時を存在し続ける者なのだ。
「もし、もしもだけど」
智也が顔を上げる。
目頭赤くなった目で、私をみた。
「俺がこの先死んでしまったら、俺のせいでこの世界に連れてこられた神様は、どうするんだ?」
そう言われて、気づいた。
いや、考えないようにしていたことだ。
いつの日からかずっと、智也のいなくなった世界で、私は一人取り残されるのだ。
それはとても嫌だった。
初めは、この世界に連れて来られたことの怒りが強かったが、共に過ごしてきていて、その感情はもうない。
むしろ人が好きだった頃の感情を思い出させてくれた智也に、好意すら抱いている。
でも、神様に魅入られた人間には、ろくなことがない。
他の世界の話で、たまに神様が人間の才能に恋をすることがあるが、そういう時の神様は心を病んでいる。
一人の寂しさに耐えられなくなっているのだ。
そのため、本来あったはずのその者の寿命よりも早く、その者の命を刈り取りそばにおいてしまう。
そうなると、神様はもう神様でない。
そして連れて行かれた者も、その者自身ではなくなってしまう。
だから私は、智也への好意に気づいていても、今の幸せに満足している、と言い聞かせているのだ。
だから、智也のいなくなった先の世界を想像させないでくれ。
「さぁね?そんな先のことまで、もうわからないし」
精一杯の強がりで私は答える。
「もう私のモノでもない世界だからね。なるようになっていく世界を眺めてすごすのも悪くないかもしれないかな」
「…………元の世界には帰れないのか?」
「………」
二人の間に、沈黙が流れる。
その言葉は一番言ってはいけない言葉だった。
「そうね、帰れないわ」
「そうか」
そう言った智也は、顔を伏せる。
あの時、智也が言った言葉は、自分の願いを叶えると同時に、私を縛る言葉でもあったのだ。
「ごめんな……」
「謝らないで。私はこの世界にきてよかったと思ってる」
そう言って私は、智也の額に、自分の額をコツンと合わせた。
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その後の智也の人生は順調だった。
大学を卒業後に、智也は幼なじみと結婚して、1人の娘を授かった。
その娘が4歳の頃、智也は娘に絵本を読み聞かせている。
夜の寝る前。家族3人が並んで寝るベットの上で、とある猫の絵本を読んでいる。
それは、昔、私が智也に読んでもらった絵本だった。
絵本は幼い神様と猫の話。
幼い神様が使い魔の猫と一緒に、勝手に作った世界を作り、大神様に隠れて世界を育てていた。
しかし、やがて大神様にバレてしまい、罰として幼い神様の不老不死を取り上げ、神様としての力も奪った。
不老不死の猫は、老いていく幼い神様に寄り添っているが、やがて一人残されてしまう。
猫は、幼い神様の復活を願い、幼い神様が残した世界を救うために、世界を何度もやり直す。
「お父さん、神様っているのかな?」
娘が智也に聞いている。
「神様はいるよ」
智也は優しく答える。
「見えないだけで、いつもそばにいるんだ」
その言葉を聞いて、私は一人、智也たちの住む家から抜け出した。
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世界は違えど、この身は今だに神である。
壁を通り抜けるのも、空を飛ぶことも容易だ。
翼が生えるわけでもなく、念じるだけでふわりと体が宙に浮く。
そのまま、まるで風に舞う羽根のように、私は夜の街を漂った。
決して大きな街ではない。
幅が100mにもなろうかという一級河川が街を横断し、3両編成の電車が鉄橋を轟音と共に駆け抜ける。
家々の灯りや街灯、駅前から商店街に続くネオンの類。
ガスを撒き散らしながら走る車。
昔は。
いや、今でもこの景色は嫌いだ。
どうしても好きにはなれない。
私は雲まで届く高さにまで上昇して、街を見下ろしていた。
見上げれば、大きな月がある。
こちらの方が、私は好きだ。
だから、この景色を汚す人が嫌いだった。
でも、智也と出会い、人の感情に改めて触れることができて、その気持ちは薄れた。
ああ、きっと私もいつかは狂うのだろう。
生きる智也、老いていく智也をみて。
「……離れよう」
私は、そう決めた。
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