第9話

 目が覚めると一人だった。

 神様からのギフトを告げられてから、20日ばかり。

 俺は願い事を決められないまま、ダラダラと過ごしていた。

 理由はわからないが、この街には俺一人しかいない。


 一人取り残された世界で、何を望むというのだろうか。


「そろそろ願いごとを決めてくれないかな」


 不意に誰かの声が聞こえた。

 その声はどこかで聞いたことがある声だった。


「神様が困ってるんだけど」

 神様?

 だれだ。

 起き上がると、扉の前に白いワンピースをきた小学生ぐらいの女の子がいた。

「……だれだ?」

「神様なんだけど」

 ちょっとイラッとした女の子は、眉が少し歪んでいる。

「神様がなんの用だよ」

「だから願い事を言えって言ってんの」

「願いごとなんてないんだよ」

「なんで願いがないのよ」

 おまえ、人間か?とかなり失礼な発言が飛び出してきた。

「だいたい、何もしてないのに願いが叶うなんて胡散臭いだろ」

 頭をかきながら、言うと、神様は不思議なものをみるように智也をみていた。

「珍しいわね、みんな願いが叶うって分かったら、思いの思いの願いごとを願ってきたのに」

 顎に手をあてて、女の子もとい神様が難しい顔をしていた。

「だいたいこんな誰もいない世界で何を望むっていうんだよ」

「誰もいない?ああ、それはあんたが何も望まないからよ」

「どういうこと?」

 神様はうーんと、顎に手をあてたまま、部屋の中を何歩か歩くと。

「まぁもうどうせあんた一人だから見せてもいいわね」

 付いて来なさい、と俺を外に連れ出した。


 もうすぐ朝日が登るのか、街はうっすらと白みがかっている。

 街には人の気配は一切なく、静寂が包んでいた。

 神様はどんどん街外れへと進む。


 土手にかかる橋を渡り、街が抜ける大通りを抜けて、街の外へ出た。

「え?」

 俺はは間抜けな声をあげた。

 街を出ると、その先は見渡す限りの草原になっていたからだ。

 まるで街全体がジオラマのように、切り取られていた。


「おかしいと思わなかったの?」

 神様が憐れむような視線を向けてくる。

「何をだよ」

「だから、あんたしかいないことによ」

「おかしいことなのか?」

「おかしいでしょ。誰もいないのに、どうしてあんただけがあの家にいたのよ」

 おかしいと思わなかったといえば、嘘になる。

 でもどうしても思い出せないことが多いのだ。

 どうしてあの家にいたのか。

 誰もいないのに、なぜ街があるのか。

 どうやって、それが街だと認識しているのか。

 あの家は誰の家なのか。


 気づいてはいた。

 神様に連れられて、街を歩いている時に。

 何かを忘れていっていた事

 なかった事としていた事。

 思い出そうとしても思考にモヤがかかり、もとからなかった、という認識で落ち着いてしまう。


「いい?この街は今のあんたに関わりがあるから、唯一残った人工物よ」

 神様が街を指さして言った。

「私はね、やり直したいの」

 神様の声が冷たくなる。

「こんな固く無機質で、もとからあったものを壊して作られた物なんて、私は望んでいなかった」

 神様の目が、黒く沈む。

 深い深い闇が、瞳の奥から溢れてくるようだ。


「な、なんだよ」

 言い知れぬ恐怖を、この神様から感じる。

 明確な憎悪が、神様から俺に、いや人間に向けられている。

「はじめはよかったわよ。人間が作る物なんて可愛いモノで、木や藁で家を作って。少し経ったら石なんて積んで、頑張って立派なものを作っていたわ」

 神様が捲し立てるように、今までの鬱憤を吐き出す。

「それがなに?科学の力?ふざけんじゃないわよ。大地はぼこすか掘り起こすし、空気は汚すし、海はどんどん汚くなるし、森はなくなるしで、調子に乗りすぎなのよ」

「いや、待て。それはなんとかしようと……」

 そこまで言って、俺は誰がどうしようとしていたのか、わからなくなり、思考がとまってしまった。


「だから何?私はね、私の所有物を汚されたまま放置されてるのが許せないのよ」

 神様は鼻で笑った。

「もう一度言うわよ。私はね、やり直したいの。世界を何もない植物しかない世界に戻して、もう一度初めからゆっくり時間をかけて、誰にでも自慢ができる綺麗な世界を作るの」

 今、目の前にいる神様と名乗った奴は、本当に神様なのだろうか。

 モヤっとした思考の中で、自分の知っている神様というものは、こう言うものではなかったはずだ。

 多少、調子に乗った人間に、罰と称して天変地異を起こしたりもあったが、もっと寛容だったはずだ。

 なんだか、とても気持ちが悪かった。


「なんか会話しずらいわね。あんたの記憶だけ返してあげるわ」

 神様はそう言うと、俺の額に手を添えた。

 白い光が神様の指先に宿ったかと思うと、今まであったモヤのようなものが一気に晴れ渡った。

「思い出したでしょう」

 確認するように、神様は言う。


 思い出した。

 母や妹やタロウがいたこと、街の人たちのことも、大学のことや、今が夏休みだったはずのことを。

 そして、この神様が、この世界に願い事を叶えてやる、と唆したことを。


「何?私はちゃんと約束通り願いを叶えてやっただけよ」

「いや、そうなんだろうけど」

 そう言って、俺はハッとする。

「待て!母や妹は?タロウはどうなった?」

「だからそいつたちが望んだ世界で、それぞれ生きてるって」

 めんどくさそうに答える神様を、ぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。

 右拳を握りしめると。

「私に手を出せると思わないことよ」

 神様が真っ直ぐに、こちらを睨みつけている。

「神罰がどんなものか身を持って体験することになるわ」

 ああ、こいつ嫌いだ。

 俺は強くそう思った。

 頭の中で、この神様をボコボコにしている想像が、頭を駆け巡るが手は出せない。

 神罰が云々よりも、見た目が小学生ぐらいの少女を殴るなんて、できなかった。


「あとはあんただけなのよ」

 願いごとを言っていないのが、ということだ。

 なんだろう、何があっても願いごとなんてしたくなかった。

 でも、このまま一人で生きるのもかなり無理がある気がしている。

 遠からず、俺は死ぬことになるはずだ。

 何もない世界でサバイバルができるほど、屈強でも知識があるわけでもなかった。

 でもそうなると、疑問が湧いてくる。

「願い事をしなくても、このまま放置してたら遠からず俺は死んだんじゃないのか?」

「ええ。そうよ」

 何を当たり前なことを、と神様は即答する。


「でもそれはリセットできたことにならないのよ。私はね、この世界を初めからやり直したいの」

「じゃあ、俺がこのまま願い後をしなかったら、やりたいことができないってことだな」

 それはそれで、ささやかな抵抗にはなりそうな気がした。

「そうね。でもあんたはそれでいいの?」

「なにが?」

「こんな一人しかいない世界で、何も覚えていない、自分が何者かもわからない世界で、死んでいくのよ。そんなことでいいの?」

 よくはないが、今の状況からだと、どうしようもない気がしている。


「いい?これももう一度言うけど、願いごとを一つだけ叶えよう、って言ってんのよ。それはあんたが今会いたい人に会えたり、戻りたい時間に戻れるのよ」

 まるで悪魔の取引のような話が、神様の口からでてきた。

「お前、悪魔だろ」

 思わず思ったことが口に出てしまった。

 青筋が神様のこめかみに走ったのを、見逃さない。

「今のは聞かなかったことにしてあげるわ。あと、お前発言も見逃してあげる」

 次はないわよ、という不気味な笑顔が恐ろしい。


 ただ、その取引は魅力的だった。

 この世界に残ったところで、意味はない。神様に対して、些細な嫌がらせができるだけだった。

 でも、願えば、母や妹やタロウと、5年前に亡くなった父もいる時間に戻ることができるのだ。

 それもうまく立ち回れば、父が死ぬこともなくなる。

 なにより、幼馴染の交通事故ですら回避できるかもしれない。


「なぁ、神様。その願いごとってどんなことでも叶えてくれるのか?」

「ええ、そうよ。一言でまとめられればね」

「その願いは俺が願えば、必ず叶うのか?」

「当たり前でしょ。神さまなめんな」

 こいつはやっぱり悪魔だと思う。口が悪すぎる。

 やさぐれは、神様ですら不良に変えてしまうのか。

「わかった、じゃあこれから願いごとを言うから叶えてくれ」

「さっさと言いなさい」


 俺は、自分が戻りたい時間に、この記憶を持って戻ろうと思っている。

 そうすれば、幼馴染も父も死なない世界になるかもしれない。

 タロウはなんとか父を説得して、家族に迎えいれよう。


 そう思って、俺は願いごとを言った。

「この記憶を残したまま、人生をやり直させてく–––––––」

「あんたもつまらない願いごとね」

 まだ言い終わらない内に、神様は白い輝きを放つ。

 きっとこれが奇跡の力なのだろう、子供の神様はこちらの願いが他の多数と同じ願いだと思って、奇跡の発動を行った。

 俺は白い光を見ながら続きを言う。

「–––––––人生をやり直させてくれ、お前と一緒に」

 願いごとを言い終えたと同時に、神様は「なっ!!!」という声と共に顔を歪ませていたが、もう奇跡の発動を止められない。

 世界は、白い光に包まれた。


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 ぼやっとした視界に、うまく動かせない体、声もうまく出せない。

 ただ、思考だけは鮮明だった。

 白い光に包まれて目が眩み、視界がぼやけているわけではない。

 じっと見ていると、なんとなく見覚えのある天井であることがわかった。


 もう一度人生をやり直せる。願い事が叶った、と俺は確信した。

 なぜなら。

「あんた」

 まるで人を殺してきたような目で、ベビーベッドの縁から覗き込む神様がいたからだ。

「なんであんたの世界に私まで連れ込んでくれてんのよ」

 知るか。お前が最後まできっちり聞いて願いごとを叶えなかったからだろ、ばーか。

 という気持ちを、「あ!だぁ!!」という単語でぶつけてやった。

「あ、だめだ、殺そう」

 どこから取り出したのか、草刈り用の巨大な大鎌が神様の手元に出現した。

 本当に死神だ、と思う。

 逃げ出したいが、体が動かない。

 死神が大鎌を振りかぶる。

 あ、死んだ。

 そう思った時。

「あらあら」

 別の声がした。

 死神も大鎌を構えたままで、動きを止めた。

「変わった気配がしたから来てみたら、あなたはだあれ?」

 ふんわりとした口調で、女性が死神の対面に立っていた。

 長い金髪に、白いワンピース姿の女性は、優しい微笑みで、死神の方をみている。

「嘘でしょ…」

 死神が絶望的な声をだした。

 ああ、なんとなくわかった。

 きっと、この白いワンピースの優しい微笑みの女性は、子供に戻る前の神様だ。

「私の可愛い子供たちを理不尽に連れて行かないでくれる?」

 その声は優しい口調だが、明らかに怒りもこもった声だった。


 俺は、死神と神様の両方に囲まれて、この世界でもう一度やり直すことになった。

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