(6-3)
◇
午前中いっぱいでボランティア体験を終えて、駅前のロータリーまで戻ってきた。
実習の準備で学校へ寄っていくという先輩たちとはここで別れることになった。
「おつかれさま。じゃあ、今度からはよろしくね」
「はい。他にも何人か声をかけてあるんで、頑張ります」
そして、上り方面のミサキとマユとも改札口でお別れだ。
「もうすぐ夏休みだね」と、マユ。
「補習がなくて安心したよね」と、ミサキも朗らかに声が一段高い。
「じゃあね、また週明け、学校で」と、私は二人に手を振った。
「バイバーイ」
一人になって下り線ホームに向かう。
急に体全体の力が抜けてしまったような感覚に襲われて足取りが重い。
でも、それは不思議と心地よい疲れだった。
もしかしたら、今まで感じたことのなかった充実感というものなのかもしれない。
階段を下りたところで、ちょうど下り電車が入ってきた。
三つ目のドアから乗り込むと、電車は結構混んでいた。
家族連れや、どこかで試合でもあるのかジャージ姿の中学生グループなどで賑やかだ。
私はいつものようにドア脇のポジションを確保して発車を待った。
鞄の中から英単語帳を取り出す。
でも、なぜか今日は全然頭に入ってこない。
いろんな人に接して、いろんな人の気持ちを考えて、相手の笑うタイミングに合わせて頬を引きつらせていたせいか、頭の容量を使い切ってしまったらしい。
何度か単語を目で追ってみたものの、やっぱりだめだった。
ポンコツだな、私。
でもまだ慣れてないんだからしょうがないんだよね。
電車が動き出す。
あきらめて窓の外へ視線を向けたら、水滴がパラパラと散らばっていた。
こんなにまぶしいのに?
天気雨だ。
電車がスピードを上げていく。
移り変わる風景を眺めていたら、車内の中学生グループがみんな一斉に窓の外を指さした。
「虹だ!」
「ホントだ」
「うわあ、きれい」
それにつられて、他の乗客もみんな同じ方向に目を向けている。
スマホを取り出して写真を撮っている人もいる。
ふと、彼のことが頭に浮かんだ。
まるで虹が現れるように鮮やかに、突然に。
彼もこの虹を見ているだろうか。
今度連絡先を聞こう。
そうすれば、『今、虹が出てるよ』って教えてあげられる。
そもそもまだ名前すら教えてもらってなかったし。
カーブにさしかかって電車が速度をゆるめる。
線路脇が森になって、窓が一瞬暗くなる。
そこに映っている私は笑顔だった。
――もう大丈夫だから。
窓の向こう側の私が、そう言っているような気がした。
森を抜けた時、天気雨がやんで空にも虹はなかった。
窓の外を見ていた人たちが皆がっかりした表情で視線を戻す。
虹が出ていなくたって、空はきれいなのにね。
窓に映っていた私の姿も光に散って見えなくなっている。
そして、もう一つ、私は知っている。
窓に映っていなくたって、今の自分が笑顔だってことを。
と、その時だった。
私は視線を感じていた。
――誰かに見られている。
そんな気がしたのだ。
さりげなく車内を見回してみても知り合いはいないし、誰も私のことなど見てもいないし、慌てて視線をそらす人もいない。
――気のせいか。
でも、私はそれが誰なのか気づいていた。
彼だ。
彼が見ている。
どこかに彼がいる。
そして私はありえない方向へ視線を移した。
窓だ。
電車の窓に彼が映っている。
違う。
映ってるんじゃない。
そっち側にいるんだ。
窓の外に彼がいる……ような気がした。
――ウソでしょ!?
どうして?
電車は走り続けている。
なんで私は彼が向こう側にいると思ったんだろう。
カン、カン、カン……、ンゴン、ゴン、ゴン。
電車が踏切を通り過ぎようとしたその時、私は思わず窓に張りついていた。
今、『彼』がいた。
踏切で私を見上げていた……ような気がする。
電車が駅に停車して、こちら側のドアが開く。
いつも彼が利用している無人駅だ。
私は迷わずホームに飛び降りていた。
背中でドアが閉まり、電車が去っていく。
一人ホームに残された私は今来た線路の先にある小さな踏切を見た。
遮断機のない歩行者用踏切だ。
でも、そこには誰もいなかった。
――いるわけないか。
ただの見間違い。
会いたいなんて思ってたから、何かの影と見間違えたんだろう。
窓に映っていた他の乗客の顔が、つい、そう見えてしまったんだろう。
ふうっとため息をついてみても、聞こえるのは遠くの蝉の鳴き声だけだった。
畑に囲まれた小さな駅に立っているのは私一人。
あっ!
私は今までに出したこともないような叫び声を上げていた。
踏切の上をまたぐように虹が架かっている。
――いるの?
どこにいるの?
あたりを見回してもう一度踏切に視線を戻した時、もうそこに虹はなかった。
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