笑顔に呪われる

「海へ行こう」

 突然君が言った。

 君はいつも唐突だ。僕は昔からそれにずっと振り回されてきた。君は僕を見る。僕の返事を待っているのだ。どうせ同意しても拒否しても結果は決まっている。僕は溜息をつき、返事をした。

 

「海だ、海だ」

 季節外れの海に、人影は一つも見えなかった。そんなだから、年甲斐もなくはしゃぐ君の姿がよく目立つ。いつもだったら誰かに迷惑をかけないか冷や冷やするところだが、そんな心配もないので静かに君を目線で追いかけていた。

「君もおいでよ」

「やだよ、濡れるから」

「濡れるの嫌ならなんで海に来たの」

「断っても聞かないし、君」

 確かにという顔をする君。自覚があるところが無駄に癪に障る。いつも通り君が満足するまで待っていようと思ったその時。

 僕の目の前に水が飛んできた。為す術なく僕はびしょ濡れになる。飛んできた方向を見ると、無邪気に笑う君がいた。

「これでもう濡れても大丈夫だね」

 これで一切の悪気がないのだから逆に恐ろしい。僕は顰め面をしながら上着を脱いだ。水に浸かる気がなかったから着替えも用意していない。君の危険性を鑑みて、ちゃんと用意しておくべきだった。そう心から反省する。

「ほら、早く遊ぼ」

 僕は俯いた。君はいつもそうだ。自分の我儘に他人を強制的に巻き込む。そして自分さえ楽しければこうやって笑うのだ。僕はもう、心底うんざりしていた。どうして君は他人の気持ちを考えられないのか。常に周りを伺いながら生きてきた僕にとって、君は昔から気持ち悪い存在だった。

 小学生の頃森に連れられて迷子になった時も、肝試しだと言って夜連れ出されて子供の失踪に大人たちが大騒ぎした時も。君は反省の欠片もなく満面の笑みを浮かべるのみだった。

 何がそんなに楽しいのか。僕が昔尋ねると、君と一緒だから、と返ってきた。僕はちっとも楽しくないのに。

「私ね、君が好きだよ。世界で一番、君が好き」

 僕は正直君のことが苦手だ。それでもそんな屈託のない笑みを向けられたら、何も言えなくなってしまう。恐らくこの時点で僕はもう君に呪われているのだ。

「ねぇ、君は私の事好き?」

 僕は靴を脱いで海に浸かると、手を入れて水面を揺らした。

「別に」

「あは、フラれた」

 僕が作った波を蹴飛ばす君の横顔は、相変わらず楽しそうだった。

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さざれの御話 籔木 葉 @yabuki_you

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