苺のショートケーキ

 1月29日。それが少年の誕生日だった。とは言っても、その誕生日を覚えているのはこの世に彼一人だと言っても過言ではないだろう。

 この世に誕生した時でさえ、祝ってもらったことが無い。笑顔を向けられたことが無い。喜ばれたことが無い。6歳の誕生日を迎えるまで、それが彼にとっての日常だった。

 しかし、今回ばかりは違った。母が不在のある日、彼はマンションの外にこっそり出たことがある。その時、手を繋いだ親子の楽しそうな声が聞こえたのだ。

「明日の誕生日、どんなケーキが食べたい?」

「私、チョコレートケーキが食べたい。果物をいっぱい乗せた、こんなに大きいやつ」

 その会話を聞き、彼は初めて、誕生日は祝うものだということを知った。ケーキというものも、絵本で見たことがあるだけで、食べたことなどは無かった。

 しかし、彼はどうしても食べたくなった。どうしても母と一緒に、あの親子のように、誕生日に仲良くチョコレートケーキを食べてみたくなってしまったのだ。

 そう思ってから行動は早かった。彼は母に資金を頼る気などはさらさら無かった。むしろその逆だ。自分から母へのサプライズのような気持ちでいたのだ。これがきっかけで、母が自分と話をしてくれるようになってくれれば。ただそんな希望のためだった。

 母が不在の日は何となく分かっていた。綺麗な真っ赤なヒールを履いていく日は、一日中帰ってこない日だ。母の帰りの時刻は決まっていなかったため、一日中安全なその日を見極める必要があった。彼は、母が出ていくとすぐに靴箱を確認するようになった。そして赤のヒールが無くなっていることを確認すると、静かに家を出るのだった。

 彼は子供のため、お金を稼ぐことができない。それは彼自身も何となく分かっていた。そのため、することは地味だった。自動販売機の下や、小銭忘れを探したり、機会によっては、財布を開いている人にわざとぶつかり、散らばった小銭を集めるのを手伝う振りをして、少しばかり頂戴したりしていた。

 そうこうを繰り返し、時は彼の誕生日前日となった。その日は、赤いヒールの日だった。彼は嬉々として小銭を手にいっぱい持ち、ケーキ屋へと向かった。短い道のりでは無かったため、ゆっくりと、一つたりとも落とさないように、手を痺れさせながら向かった。

 ケーキ屋は空いていた。彼がただ一人の客のようだ。彼は笑顔で店員に小銭を差し出した。店員は困った顔で受け取った。

 このお金で買えるケーキが欲しい、そう彼は話す。店員は一枚一枚丁寧に数える。数え終わった店員は買える商品を紹介した。

「チョコレートケーキ1個か、苺のショートケーキ2個なら買えますよ」

 彼は咄嗟に、チョコレートケーキと答えようとした。しかし、少し考えて苺のショートケーキを選んだ。

 瞬く間にそのケーキは箱に包まれた。それを店員は説明と共に彼に渡す。心配そうにする店員とは裏腹に、彼はこの上ない笑顔だった。

 家へと帰り、箱を大切に冷蔵庫に閉まう。その晩、彼の胸中には期待と緊張が蠢いて止まなかった。

 次の日、彼はそわそわしながら母の帰宅を待った。部屋の中を歩き回り、座ったり立ったり、冷蔵庫を覗いたり。時は刻々と流れてゆき、その時間と共に彼の感情も昂っていった。

 しかし、母がこの日帰宅することは無く、彼は苺のショートケーキを一つ、静かなリビングで食べた。部屋には、たった一人の咀嚼音と泣き声が木霊していた。



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