第8話 闇夜の邂逅 ~救世主~

 それは幻聴かと思われた。


 疑いながらも、霞む視界に捉えた先に、黒いコートの男が立っていた。

 人語を解すのか、鬼も男の方へと向き直った。

 月を覆っていた厚い雲が風に流され、光が辺りを照らした。

 男の姿が浮かび上がる。


「さとし・・・・」

 心の叫びが届いたのか、聡は銀に染まる髪をなびかせ、そこに立っていた。

 その手が胸元に伸び、コートへと吸い込まれる。


 その動きは、鬼に殺気を抱かせぬほど、自然な動作であった。

 再び引き抜かれた手からスウっと、光の筋が伸びる。

 月光を跳ね返し、青い光を発するそれは、柄に紅玉をはめ込んだ刀身であった。


 本能的に相手の力量を見抜いたのか、この若者に鬼が向き直った。

 鬼に対して、刀如きではかなうはずがないと思われた。

 岩のように見える肉は、刀など弾いてしまいそうであった。

 目の前に現れた救世主に、望は、幾ばくの不安を覚えていた。


 聡が剣を持つ姿など、これまで一度も見たことがない。

 制止の言葉を投げかけようとする望は、鈍く光を放つ刀身と、それを片手に無造作に斜めに構える聡の落ちついた姿に、声を出せずにいた。

 一度に襲った出来事に、呆然とたたずむ望の視界を遮っていた影が、ふっと消えた。


 鈍重そうなその巨体が宙に飛んだと解った時には、それは既に聡の頭上を捕らえていた。

 全身の力をたわめ、眼にも止まらぬ速さで打ち込まれた鬼の脚が、聡の頭部へ吸い込まれる。


 だが────。

 足は頭蓋骨ではなく、アスファルトを砕いていた。

 鬼の眼にも、聡が消えたとしか映らなかったに違いない。


 鬼が、慌てて左右を見渡し、最後に見上げた天に、月光を背負う聡のシルエットが浮かび上がっていた。

 聡の両手から振り下ろされた刀身を、鬼は、これも信じられぬことに両腕でブロックした。

 腕と刀が触れ合った瞬間、二人の気が光となって弾け、それに押されたように二人が左右に弾け跳んだ。


 両者は静かに地上に降り立つ。

 鬼の眼が怒りに赤く燃え、息を荒げる。その額に玉の汗が浮かんでいた。

 そしてその腕からは、鬼のものも赤いのか、血が流れ落ちる。


 二人が弾けた地点に、鬼の片腕が落ちていた。

 鬼の脳天を狙った刀は、片腕を奪ったものの、その筋肉と太い骨に阻まれ、もう片方を断つまでには至らなかったようだ。


 しかし鬼は、自分を傷つけるどころか片腕までも奪った男に、動揺と、疑いようのない怒りを覚えたようである。


 ────鬼の怒りをかう────


 これほどの災難は、他には無いように思われた。

 鬼は、天地を揺るがす咆吼を上げ、聡に襲いかかった。

 大きく開いたかいなに捕らえ、相手の背骨をへし折ろうという気なのであろう。


 その気迫に押されたか───。

 聡は動かず、身を縮めた。

 鬼が聡を捕らえたと望が息を飲んだ瞬間。


 鬼の躰が痙攣し、止まった。

 その後頭部から、鈍く冷たい光を放つ、新たな角が生えていた。

 聡の握る刀身が、鬼の喉元から、後頭部までを貫いていた。


 流石さすがの鬼でも鍛えようのない下顎の裏と、首のつながる部位を、聡は刀を垂直に構え、必殺の気を込め貫いたのだ。

 聡が刀を引き抜くと同時に、鬼の躰は解放されたように、重い音を立てて地に伏した。


 この場所だけ高まっていた気圧によって押されていた大気が、思い出したように風となって戻ってきた。

 涼風が頬をなぶり、望の意識を覚醒させた。


「聡!!」

 我を忘れ、望は聡に駆け寄った。


 恐怖。


 絶望。


 その淵から逃れることが出来、それを導いたものが予期せぬ聡であった二重の喜びに、望の脚は無意識に動き出していた。


「来るな!」

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