第2話 望

 夏の喧噪けんそうはいつの間にか去り、風にはいつからか秋の気配を感じるようになっていた。


 9月も半ばを過ぎ、夏休み明けの試験が終わってから続けられていた学園祭の準備も、佳境かきょうを迎えていた。

 月末には、本番を迎える予定である。


 新学期に知り合った友人達ともすっかり打ち解け、様々なスポーツや文化行事の行われるこの時期は、学園生活において最も楽しい時間ときとなる。

 特に受験とは直接関係のない二年である脇田望わきたのぞみにとっては、高校生活の中でも、最高の思い出になるだろう季節の始まりであった。


「ねえ、聞いた?」

 前に座る、島田和美しまだかずみが話しかけてくる。

 小柄で、丸顔の和美は、持ち前の明るさと愛嬌、それに話し好きな性格のためにクラスの中でも愛されキャラだった。

「浅見神社で、女子大生の惨殺死体ですって~」


 望も今朝のニュースで、その事件のことは知っていた。

 近場ということもあり、ネット情報まで見た。

「恐いわね~。私も気を付けなくっちゃ」

 和美は、本当に自分の身を案じるかのように真顔で言う。


「大丈夫よ───、あんたは」

 後ろに座る高木幸子たかぎさちこが、口を挟んできた。既に目が笑っている。

「あんたなんて、熊だって避けて通るわよ」

「何ですって~?」

 和美の憤慨ふんがいした顔に、2人は笑い出した。


「こら────!」

 3人の顔が強張る。


「何を話している。静かにせんか!」

 体育教師の声が、校庭の空気を揺るがした。

「だって、先生え~」

「だってじゃない、島田。お前の番だ」

「え?」

 和美の間の抜けた声に、一同が笑い出す。

 学園祭初日に行われる体育祭のため、100メートルのタイムを計っている最中であった。

 このタイム如何いかんで、100メートル走の組み合わせを決めるのだ。


 和美は渋々前へ出る。

「ほら、必死で走れよ、罰として15秒超えたらもう一度だ」

「ええ────⁉ そんなの無理に決まってんじゃん!!」

 二人のやり取りに、更にクラスの全員が笑う。

 体育教師の頑とした態度に、食って掛かっていた和美も渋々スタートラインに向かった。

 一緒に走るクラスメートに、まだ不平を洩らしている。


 望は、それを見ながら、今朝のネットニュースを思い出していた。

 若い被害者の顔写真。そして───。

 投稿動画にチラッと映った、運ばれてゆく死体を覆った血塗ちまみれのシーツ。


 新聞には遺体としか書かれていなかったが、真っ赤に染まったシーツから、その凄惨せいさんさは想像できた。

 新聞やテレビでも、その犯人像についてあまり触れないことも気になった。


 しかも望は、シーツから洩れた腕に、何かでえぐられたようなあとがあるのを見たような気がしていた。

 それが画面に映ったのは、あまりにも一瞬だったので、自分でも事実であるかどうか自信が無いのだが。

 朝は時間が無く、次に見ようとした時にはネットから削除されていた。


 パン!


 号砲と共に、和美が叫び声を残しながら駆け出していく。

 平和な秋の日の午後が、望の不安を忘れさせた。

 体育教師と和美の声が、広い校庭に響いていた。

 うららかな陽光が、長閑のどかさを助長させる。

 秋は、これから始まりを迎えようとしていた。

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