第4話

 街の広場には惨憺たる光景が広がっていた。

 四肢を失くした状態でうめく者、血に溺れて体を痙攣させる者、すっかり瞳孔が開いてハエにたかられている者……



「……行こう。」



 リーチェはその集団の中から比較的軽傷な者を選別して、アリアが錬金術で作っていた下級魔法薬を使用していく。



『全ての物を作るには、圧倒的に人手が足りない。』



 そう語ったアリアは、しかしその対策としてある一つの方法を提案した。それがこれである。



『難民たちに手伝ってもらうの……?』


『この街の人たちは私にもあなたにも、良い印象は持ってはいないでしょう。手を借りられるとすればそこしかないわ。』


『でも難民の人たちはみんな怪我してるし……』


『回復魔法薬であればいくらか在庫があります。下級ですから深い傷だと治せませんが、軽傷患者であれば治療は可能です。』



 リーチェの目で怪我の具合を判別し、下級魔法薬で治せるものであれば治す。そうして難民から完治者を増やしていく。



「な、治った……」


「なぁおい!俺の家内にも使ってやってくれ!」


「なんで……なんで私だけ助けたのよっ!」


 

 リーチェは患者の呼び止める声には耳を貸さない。ただ一人でも多くの完治者を増やすために地獄を歩く。



『難民の人たちの治療には私が行くよ!』


『そう?分かったわ。』



 リーチェはこの地獄を選んだ。この地獄を歩くのは彼女の役割ではない。

 死にゆく人々の声を踏み越えて進むのは、皆伏術士の仕事なのだ。



「――みなさぁぁぁぁんっ!!」



 リーチェは噴水のふちに立って大声で叫んだ。死んだ空気に響く生気に満ち溢れた声は、地面に伏している亡者たちの目を引き付けた。



「私たちは今、あなたたちを受け入れる準備をしています!でも、三日後までにその準備を済ませないと、全部水の泡になっちゃうんです!」



 リーチェから治療を受けた者、見捨てられた者、既に息のない者。誰でもいい。この場にいる全ての者たちにリーチェは呼びかけた。



「私たちを!手伝ってくださぁぁぁぁぁぁいっ!!」



 叫びが、こだました。

 亡者たちは呆然とリーチェを眺める。そして次に浮かぶ感情は――



「ふざけるな……」



 大切な人を踏みにじられ、その上で助けられたという憤り。自分自身が見捨てられたという嘆き。

 負の感情の嵐が、噴水に立つリーチェに向かって吹き荒れた。



「そんなことより先にパパを助けてよ!!」


「どけガキ!俺だ!俺が先だ!」


「まだ息があるんだよ!なんでも良いから助けてくれ!」



 リーチェが見捨てた、リーチェが見殺しにした人々とその家族が、リーチェに押し寄せようと亡霊のように立ち上がる。

 恨み辛み、「生」への執着。それが塊になってリーチェのもとへと届かんとその手を伸ばし――



「ばかやろぉぉぉぉぉぉぉ!!!」



 亡霊たちの後ろに、一人の父親が立っていた。



「死んだ奴らが生きて欲しいって!そう思ってた俺たちを!殺してんじゃねぇぇぇぇぇぇぇっ!」



 かすれた声で、しわがれた声で、父親だった男は血反吐を吐きながら、この地獄の広場に声を轟かせた。

 ビリビリと空気が痺れる。人間という生き物の強さを、リーチェはこの瞬間に見つけた気がした。


 地獄に、初めて安らかな沈黙が訪れた。



「俺は、妻と娘が死んだ。妻は都市で、娘はこの街で死んだ。娘は手遅れだった。そこの回復術士が、ちゃんとしてれば助かった。」


「……」


「そりゃあやり切れねぇよ……分かるさ。あぁ、分かるよ。すっげぇ分かる。お前らの気持ちは痛いくらい分かってる。でもさぁ……」



 太陽が南の空にのぼり、その光を噴水の水がキラキラと乱反射した。



「だからこそ、俺はあいつらの好きだった俺を殺したくねぇよ……!」



 男は空を仰ぎ、膝をついた。そして両手を組んで祈りを捧げる。ボロボロの服で、血の跡の残る腕で、真剣に祈る彼の姿が、リーチェにはとても美しく見えた。



「ぃ……」


「……パパ?」


「ぃ……き……」



 リーチェの足元にいた小さな息子に抱かれた父は、そう言って微笑んだまま逝った。

 少年はしばらく身動き一つせず、やがてその顔を死体の胸にうずめる。



「……生きたい」



 父に託された少年の声は、こんなに広い場所の中でもハッキリと聴こえた。

 父を床に置き、息子はゆっくりと立ち上がった。



「生きたい……ぼくも、生きたい!」


「……!」



 その一声が、この地獄に一筋の光をもたらした。



「アンナ……俺は……」


「ベックス……」


「私は、もういいから……」


「ママ……大好き……」



 生者と死者の別れ。それがこの広場のいる亡者たちを消し去り、人間へと戻していった。

 晴れ渡った空の下、清々しい空気を風が運んで生者たちの胸に吹き渡った。


 

「もう一度、お願いします。」


「……うん。」



 男に笑顔でうなづき、リーチェは胸いっぱいに息を吸った。



「私たちは生きている!!死んでいった人たちに、その意味を見つけたい人がここにいるなら!!」



 リーチェは笑った。

 怒りも、悲しみも、全部自分が引き受けよう。

 だから人々よ、前を向け。私を見ろ。



「――愛する人の愛した自分のために、私に力を貸して欲しい!!!」



 リーチェの声に広場の人々は、街いっぱいに響き渡るような呼応を返した。



 ◇◇◇


「……ッ」


 必要な材料を逆算し、簡易的な家を設計し、家具を設計し、別の街からの食料輸入を検討し、鍛冶鍛造が出来るように準備をする。

 それを一人でやることが、リーチェが人手を連れてくるまでにすべきアリアの仕事だった。



『それ一人で出来るの?』


『出来る出来ないじゃない。やってみせるわ。』


「……なんて、強がったは良いけれど。」



 設計が進めば進むほど、この計画が無茶であることが浮き彫りになってくる。

 そもそも本来、家なんて三日で建てられるようなものではない。アリアが設計しているこの簡易的な家でさえ、普通に計算すれば五日程度は建てるのに必要になる。



「やっぱり奴隷かしらね……」



 自嘲するような笑みを浮かべつつ、それでもあの健気な少女のためにも負ける訳にはいかない、と気合いを入れ直す。


 

「にしてもあんな子……本当に初めて。」



 広場で見つけた桃色髪の少女。お腹を空かせて意識を失い、半ば無理矢理このアトリエで雇うことになった少女。

 魔女の娘と呼ばれる自分に、変わらず接してくれる太陽のような少女。



「――あいつ、良い奴だろ?」



 背後から聞き馴染みのない声が聞こえて、アリアはすぐさま振り返った。



「あなたは……?」


「ブロンズ級ギルド『スケアクロウ』のリーダー。」


「スケアクロウ……まさか、リーチェさんの?」



 スカした態度で軽装の鎧をまとった剣士の男。それがアリアの隣にまで歩み寄って、机の上の設計図に目を通した。



「どれどれ……へぇ、なかなか良い図面描くじゃん。」


「リーチェさんを追放した方がなぜここに?だってここは――」


「魔女の家、だろ?」



 言おうとしていた名前を先に出され、アリアは驚いて言葉に詰まる。男はペンを手に取り、図面に線を書き足しながら続けた。



「全く、マジで焦ったぜ。冒険者やめさせるために追放して、この街で平穏に暮らしてもらおうと思ってた矢先にだ。ヤバいで噂の魔女の家に入ったっきり出てこないって言うじゃねぇか。」


「あなた……」


「……あいつ、腕はからっきしだったからさ。あんまま冒険者続けてたら、どっかで潰れちまうと思うんだよ。」



 男がペンを置く頃には、図面には更に簡易化された家の設計が完成していて、その上に男の書いたサインまでもが端っこの方に記されていた。



「街の連中が言ってたぜ。『今回ばかりは魔女のおかげで助かった』ってな。」


「……!」



 アリアは街の人々から忌み嫌われていた。それはアリアが普段から人と関わる機会の少ない厭世的な生活をしていのとほかに、アリアの見た目にも原因があった。

 黒髪赤眼。これはかつて勇者と相対したという、裏切り者の魔法使いの特徴に合致する。

 そのため黒い髪と赤い瞳を持つものは王国の因習により、『売女』や『魔女』と呼ばれ迫害され続けてきたのだ。



「……最後にもう一つだけ言っておく。」



 そんな薄暗い差別の思い出に終止符を打つように、男はキザな態度で足を止めた。

 アリアはその言葉を、素直に受け止めることが出来た。



「その髪似合ってるぜ。君の瞳に、乾杯。」


「クサいですね。」



 アトリエから出ていく男を見送ったあと、アリアは席を立った。



『この街の人たちは私にもあなたにも、良い印象は持ってはいないでしょう。』



 心を閉ざしていたのはアリアも同じだったのだ。

 どうせ分かってもらえないと口を閉じ、魔女と呼ばれてもひっそりと、息を潜め続けて生きてきた。



「私は、魔女じゃない……!」



 アリアはきっと、リーチェに憧れがあったのだ。

 失敗を恐れないような大胆な行動力と、貶されてもただでは起きない意地汚さ。そして何より、自分の在り方を貫き通す強さに。


 アリアは魔女の家を出ると、手始めに付近にある店を片っ端から総当りしていった。


 

「あんた、もしかして魔女の娘か……?」


「いいえ、私は魔女なんかじゃありません。」


「いやでもそりゃあ……」


「魔女じゃ、ありません。」



 工務店を営んでいる建築技師に、アリアは念を押して魔女などではないことを宣言する。

 それにとうとう押し負けて、建築技師は嘆息して肩をすくめた。



「分かった分かった。そうだな、よく見りゃあんたはただのガキだ。」


「ガキでもありません。」


「んだよもぉ……じゃあなんなんだ?」



 自分がいったい何者なのか。それを説明する機会を与えてくれた相手に感謝しつつ、アリアは自己紹介をした。



「私はアリア。アトリエを営んでいるだけの、ただの生産職です。」

 

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