第3話

 翌朝、リーチェとアリアは街にある冒険者ギルドに来ていた。



「都市が魔物に襲われた……!?」



 昨晩の男と娘は、どうやらその都市から逃げてきた難民であるらしかった。

 ほかにも多くの難民は怪我や飢餓で重体の者が多く、しかしそのほとんどが施設に収容することができないがために街の広場で寝かせてあるのだという。



「にしてもまさか『魔女の家』にまで助けを求める人が現れるだなんてね……」



 多くの人で賑わう冒険者ギルドの中で、リーチェはふとその会話を耳で拾った。



「あんな不気味な店によく行こうと思えるよな。何を売ってるのかもよく分かんねぇし……しかもあの黒髪。」


「噂じゃあ魔女の娘だの魔王の手先だの言われているが……末恐ろしくて近寄りたくもねぇ。」


「とはいえ税は納めてくれてるし、街の法律には従ってるから無理矢理追い払うことも出来ねぇもんなぁ。」



 魔女の、家……

 そういえばリーチェも昨日、この街に訪れた際にそのような話を聞いた記憶がある。パーティーメンバーが聞いているから大丈夫だろうと、さして気にも止めてはいなかったが。



『この街が初めてなら気をつけな。魔女の家にだけは近づいちゃならねぇ。あそこには黒髪の魔女が住んでいて、その血のような瞳で見つめられると……』



 黒い髪、血のような瞳。それらはまさしくアリアの外見に一致する特徴だった。

 それを意識して周囲を見てみると、辺りにいる人々の視線がどうやら、皆伏術士である自分にのみ向いているわけではなさそうなのが分かった。



「――無茶を言わないでくだせぇ!」



 騒々しい冒険者ギルドの中で、より一層大きな声でそう叫ぶ声が聴こえた。



「三日で家を五十軒って……何をおっしゃっているのか分かって言ってんですかい!?」


「つべこべほざくな貧民。貴様は家を失くした彼らに対して何も思わんのか?」



 ギルドにいる人々の目がそちらの騒ぎへと集中する。

 そこにいたのは街の建築技師と、この街を治める髭面の領主様だった。



「これは依頼ではない。領主の名のもとに命令しているのだ。貴様に拒否権はない。やれと言ったことをやれば良いのだ。」


「やるやらないじゃなくて、無理だと申してんですよ!」


「ならば貴様はもはや建築技師などではない。免許を没収すると共にその名を騙った罰として、貴様の全ての財を没収とする。」


「なっ!?」



 言い分としては完全に建築技師の方が正しかった。でもそれは、圧倒的な権力の前では何にもなり得ない。

 建築技師には初めから、頷くことしか許されてなかったのだ。



「この者だけではない!家具職人は家具を!料理人は一ヶ月分の食料を!革細工職人は服を!武器鍛冶師と防具鍛冶師はこの街の防衛のために武器と防具五百をそれぞれ三日以内に献上せよ!」



 なんて滅茶苦茶な、とは口には出来ない。でなければ先ほど建築技師に突きつけられたように、自分の生活が取り上げられてしまう。

 誰もがその絶望的な命令に従うほかないと飲み込みかけた、そのときだった。



「お待ちください。」



 黒髪赤瞳の魔女が、声を上げた。



「なんだ貴様。貧民の分際で私に口応えするつもりか?」


「賢明で思慮深い我らの領主様であれば、我々のような貧民にそのような生産力がないことはご存知のはず。いくら鞭を打っても、ロバは馬より速く走れません。」


「ならば殺して肉にするまで。それを力あるものに振る舞い、その対価として受け取った金で新しい馬を買えば良い。」



 貴族特有の比喩を交えた会話をこなすアリアは、それを聞いてその鋭い目を更に吊り上げて怒鳴った。



「ロバにはロバの使い方がありましょう!使い潰すなど以ての外!」


「使えぬものを潰して何が悪い?そうまでしてロバを守りたいのであれば、貴様が馬より速く走らせれば良いだけのことよ。」


「だからそれが不可能だというのが分からないのですか!?」


「出来ぬ出来ぬとやってもおらぬのにペラペラと……出来ておらぬのは貴様の頭であろうが。それも学のない貧民であれば仕方の無いこととはいえ……ここまでともなると、もはや憐れだな。」


「なら……っ!」


 

 アリアはグッと悔しさを奥歯を噛み殺していたようだったが、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

 その手を自分の胸に当てて、アリアは堂々と宣言した。



「私が……私が、作り上げて見せます!家屋五十軒、生活家具五十軒分、避難民全員の食料三ヶ月分、武器と防具を五百……!生産職の名にかけて、私が!」


「……えっ」



 いくらなんでもそれは無茶だ。こんな公共事業規模の生産を三日で、しかも自分一人でだなんて、夢物語でも信じられない。



「その言葉、取り下げる気は無いな?」


「もちろんです。全ては私へのご命令。罰であれば私のみにお与えください。」


「ふむ、なるほどなぁ……」



 髭面の領主は汚らしい微笑で顎髭を触り、踵を返して歩き出した。



「良かろう魔女の娘。貴様に命ずる。期日までに全てを用意せよ。用意出来なかった際には貴様の持つ免許と財産を全て没収とし、貴様は私に奴隷として死ぬまで使われるのだ。」


「はぇっ!?奴隷!?」



 ここに来て新たに付け加えてきた罰則。その悪辣さにリーチェは愕然としてしまう。しかしアリアは毅然とした態度を崩さず恭しい一礼を領主の背に送ると、その身を翻してリーチェのもとへと戻ってきた。



「戻るわよ。」



 それだけ言うと、アリアはリーチェの手を引いて足早にギルドの外へと退出するのだった。



 ◇◇◇


 

「ほんっっっっっとうにごめんなさいっ!」



 アトリエに戻ったアリアは開口一番にそう言うと、リーチェに向かって深く頭を下げた。



「えぇ!?おおおおちおちち落ち着いてください!?」


「でも……」



 謝ることには慣れているリーチェだが、謝られることにはめっぽう弱い。

 アリアは少しだけ顔をあげて、罪を告解するようにつぶやき始めた。



「あなたが大変な状況だっていうのは分かっていたはずなのに私、あんな考え無しなことしちゃって……アトリエがなくなっちゃったら、またあなたを路頭に迷わせてしまうことになっちゃう。」


「いいっていいって!?それよりももっと自分の心配しましょうよ!?」



 あのハチャメチャな命令を三日以内にこなさなければ、このアトリエはおろかアリアの身さえも危うくなってしまう。



「この前都市にいたときに聞いた話なんですけど……ここの街の領主って好色家らしくって。女奴隷を買っては使って買っては使ってを繰り返してるらしいです。しかもあの人、黒い噂も絶えなくって……どこから調達しているのか、闇取引で臓器を売って私腹を肥やしてるらしいんですよ……!」


「……」



 あの領主の奴隷になったが最後、その末路がどうなるのかは想像にかたくないことだ。リーチェはアリアに、そのような最後を迎えて欲しくはない。



「……でも、もう取り返しはつかないわ。リーチェも今日限りで解雇。ここにいると、あなたにまで被害が及びかねない。」


「そんな……」


「安心して。働いてくれた分のお給金は支払うから。」



 アリアはそう言って部屋の戸棚からいくつかの布袋を取り出すと、それら全てを私に持たせた。



「こっちは銀貨、こっちは銅貨。こっちはお金じゃないけど、お金に替えられるものをまとめて入れてあるわ。」


「う、受け取れませんよこんな大金!」


「どうせ全部取られちゃうんだもの。だったらあなたに持って行ってもらった方が嬉しいわ。」



 アリアは穏やかに微笑んでそう言うと、私をアトリエからつまみ出して、その扉を固く閉ざした。

 リーチェは扉に追いすがって乱雑なノックを繰り返した。



「ちょっとアリアさん!開けてください!」


『もうここには戻らないで。別の街に行って、そのお金を使いながら仕事を見つけて。』


「だから受け取れませんって!こんなのあんまりですよ!」



 このまま自分だけ一人、アリアを見捨てて逃げることなんて出来ない。

 例えどれだけ誰かにバカにされようと、無能の烙印を押されようと、それがリーチェに向けられたものであれば笑ってやり過ごすことが出来る。


 でもそれが自分を助けてくれた恩人へ向けられることには、どうしても耐えることは出来ない。



「開けてって……言ってるじゃんかぁぁぁっ!!!」


『――どけ!』



 扉の向こうで、誰かがアリアを押し退ける音が聴こえた。その直後にいとも容易く扉が開かれ、リーチェはバランスを崩して盛大にコケた。



「あ、あなたは……」


「……俺はまだ、あんたを許してはいない。」



 先ほどまで死にそうな顔で寝転がっていた男は、そう言ってリーチェに手を差し出した。


 ギルドメンバーや仲間の死は回復術士の責任だ。そのため遺族は回復術士にその怒りをぶつける。

 お前がもっと上手くやっていれば。お前が判断を間違えなければ。そうして遺族のやり切れない気持ちを消化させる。リーチェが荷物持ちなんかよりも、たくさん味わってきた仕事がそれだった。



「そう、ですよね……」



 だからリーチェは笑う。厚かましく、恥知らずに。

 誰もが心置きなくリーチェを罵れるように、そのためにリーチェは笑うのだ。



「助けてください。」


「……え?」



 男はリーチェにただ一言、そう言った。

 助けてください……?この期に及んで、男はまだリーチェに、何の助けを乞おうとしているのか。

 回復も出来ないこんな自分に、男はこれ以上何を望むというのだろうか。



「ここに来たのは俺たちだけじゃない。都市から逃げてきた人がまだたくさん……たくさんいるんです。その人たちを助けてください。娘の代わりに……少しでも、多く。」


「……!」



 男の目は未だに死人のようだった。当然のことだ、我が子を失った痛みはそう簡単に消えることは無い。

 男は、犠牲になった娘の『意味』を求めているのだ。



「……アリアさん。やっぱり私、ここで逃げ出すことなんて出来ません。回復術士として、しなければいけないことなんです。」


「……」



 遺族が、リーチェが殺した少女の意味を求めている。ならばそれを見つけるのが回復術士の責任だ。

 それを否定するのはリーチェの回復術士としての在り方の否定であり、リーチェという『皆伏術士』の否定でもある。



「共闘しましょうアリアさん。私とあなたの目的は一致しています。私たちが協力しあえばきっと、どんなことだって出来ますよ。」


「リーチェ……」



 リーチェは服についた土埃を払いながら立ち上がった。そして迷っているアリアにそう提案すると、リーチェは厚顔無恥に盛大な笑顔を浮かべてやった。



「――なんせ、この美少女回復術士がついてるんですからね!」

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