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「ふーん、桜みたいな人になりたい、か。良い目標ね」

 撮影の合間、輝莉は同じスタジオで撮影をしていた霞に、新しい目標を打ち明けた。

「ホントですか」

「うん。というより輝莉さん、彼氏いたのね」

「輝莉……というか、別の私が、なんですけど……」

「この事務所って恋愛OKだったっけ?」

「え⁉ あれ、ダメでしたっけ……?」

「禁止だって言われたことはないけど、契約書に書いてる場合もあるから、一応確認した方が良いんじゃないかしら」

「分かりました。帰ったら確認してみます」

「まあ傍から見れば九瀬さんとは全く関係ない別人な訳だし、特に問題無いとは思うけれど」

 霞の言う通り、所属タレントに恋愛を禁止する慣例が未だに残っている事務所は少なくない。輝莉のモデル仲間にも、不満を口にしていた人に心当たりがあった。

 折角モデルの仕事に対してやる気を取り戻したのに、契約違反でクビになるなど笑えない冗談である。

「……桜、か。桜ね」

 霞は独り言をぼそぼそと呟いている。

「桜がどうかしましたか?」

「あ、いえ。……輝莉さんの目標を教えてもらったお礼に、私の目標も教えるわ」

「霞さんの目標?」

「ええ。私の目標は、誰よりも格好良い大人になること」

「おお……スケールが大きいですね」

 輝莉はすでに、白石霞を格好良い大人として見ていた。だが霞はそれを超える『誰よりも』という言葉を頭に持って来た。

 霞ならばもっと具体的かつ現実的な目標かと思っていたため、かなり意外な印象だった。しかし本人は至って真面目に話している。『誰よりも』を強調したのも、彼女の決意の表れだろう。霞は本気で、一番格好良い大人になろうとしているのだ。

「それが言える時点でもう格好いいですよ」

「まだまだ道のりは長いわ。それに『誰よりも』の中にはあなたも含まれているのよ、輝莉さん」

 霞が目指す目標と輝莉の理想像は似ている。霞の目標が達成されるということは、すなわち輝莉の理想像が霞より劣っていると宣告されるのと同義だった。

「なるほど、じゃあどっちがより相応しくなるか、勝負ですね!」

「そうね。そこであなたが桜なら、あなたの上を行くつもりの私は、何が良いかと考えていたの」

「うーん、桜の上ですか……。バラとかですかね」

「確かに綺麗な花だけど、桜の壮大さに比べると見劣りしない? それに私はバラってイメージじゃない気が……」

「刺々しい感じとか……」

「何か言ったかしら?」

「いえ、何でも! 他は何がありますかね……」

 輝莉は知る限りの花を思い浮かべる。そんな輝莉を見た霞は、クスリと笑う。

 ――私の目標なのだから、輝莉さんが真剣に考える必要なんてないのに。そもそも、あなたの目標よりも高いものを、あなたが考えているのはおかしいのだけど……。

 輝莉はそこまで頭が回っていないのだろう。難しい顔をして頭を捻っている。

 ――そういう所が、あなたの良い所で、可愛い所なのね。

 そんな素直な輝莉だからこそ、霞も心を開くことができたのかもしれない。

 ――輝莉さんも、格好良い大人への道のりはまだまだ長そうね。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です!」

 輝莉と霞が頭を悩ませていると、久遠悠と水戸織明がスタジオに入って来た。

「悠ちゃんに織明ちゃん、どうしたの?」

「あの、私たち、さっきまで隣のスタジオで撮影してて……」

「お二人が第四スタジオで撮影されてるって聞いたので、ご挨拶に来ました!」

 二人は息を合わせたようにペコリとお辞儀する。

「それはそれは、ご丁寧に……」

「わざわざありがとう」

「あの! お二人が撮影されてるとこ、見学しててもいいですか?」

 悠の問い掛けに、輝莉と霞はお互いの顔を見る。

「もちろん、構わないわ」

「ゆっくりしてってね」

「やったー!」

「あ、ありがとう、ございます……!」

『時間になったので撮影を再開しますね。白石さん、準備お願いします』

 ちょうど良いタイミングで霞の撮影が再開される。

「じゃあ行ってくるわ」

「行ってらっしゃいませ」

「が、頑張って、ください……」

 霞は水を一口含むと、颯爽とカメラの前に移動した。

「良かったね、織明。霞さんに会えて」

「う、うん……。ありがとう、悠ちゃん」

 織明は両手を胸の前でもじもじさせる。霞を眺める瞳はきらきらと輝いていた。

「織明ちゃんはホントに霞さんが好きなんだね」

「は、はい。私の憧れ、です」

「悠の憧れは輝莉さんですよ!」

 駆け寄ってきた悠は輝莉の膝の上に腰掛けると、人懐っこい上目遣いを向けながら、猫のように頭を擦り付ける。

「あら、ありがとう」

 催促されているような気がして、輝莉は悠の頭を撫でる。んふふっ、と満足そうな声が悠から漏れる。

「前の霞さんは、ちょっと怖くて、近寄りがたくて……あ、そこもカッコよかったんですけど。でも最近は優しくしてくれて、なんか……話し掛けやすい、です」

「そんなこと言って、さっきも悠に一緒に着いてきてって頼んでたくせにー」

「そ、それは……」

「まあまあ。でも、確かに変わったよね。表情も柔らかくなったし、時々笑顔を見せてくれるようになったし」

 霞の心境に変化を与えたのが他ならぬ輝莉だとは、輝莉自身は気付いていない。

「あ、そうだ。さっきまで霞さんに相応しい花が何かって考えてたんだけど、二人はどう思う?」

「花……ですか」

「う~ん……、バラとか?」

「あはは、悠ちゃん私と同じこと言ってる。やっぱりバラのイメージだよね」

「はい! ……にしても、何でそんな話になったんですか? あ、実は霞さんが花好きとか?」

「ううん。そうじゃなくて、最近たまたま桜を見る機会があってね。その時の桜が綺麗で、私もこの桜みたいに、見る人を虜にするような人になりたいなって思ったの」

「なるほど。言われてみれば、輝莉さんは桜ってイメージです」

「ホントに? 私、桜みたいなモデルを目指すって決めたばっかりなんだよ? まだ全然違うと思うけど……」

「いえいえ、ぴったりですよ! ステキです!」

「あ……」

 織明が何かを思いついたように声を上げる。

「輝莉さんが桜なら、霞さんは、梅……とか、どうでしょうか……」

「あー!」

「なるほど」

 織明の意見に二人は納得する。

「どっしりと構えてる感じが、霞さんっぽい」

「花弁は色鮮やかだしね。それ、霞さんに言ってあげたら喜ぶと思うよ」

「本当ですか……⁉」

『それじゃあ九瀬さんも参加しましょうか。九瀬さん、準備お願いします』

「あ、はい! じゃあ行ってくるね」

「頑張って、ください」

「今度、私も植物園に連れてってくださいね!」

 二人の声援を背中に受け、輝莉はカメラの前に向かう。光の中では、霞が輝莉の方を向いて待っている。

 一時は辞めることも考えた輝莉だったが、再びこの場所に戻ってきた。

 創り上げたいくつもの顔に呑み込まれ、本当の『私』がどれだったか見失いかけていた。しかし今ならはっきり答えられる。

 どれか、ではなく、どれも私なのだ。私は私一人だけ。私という心はひとつだけだ。

 ――このレンズの奥には、そんな私を支えてくれた皆がいる。

 皆の顔を思い浮かべながら、輝莉はカメラの前に立った。

「よろしくお願いします!」

 輝莉の声が陰を吹き飛ばし、眩い光をその身に纏った。

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