13
ルナは待ち合わせ場所の駅前広場に向かっていた。広場からは電車はもちろん、バスやレンタル自転車など、交通手段が充実しているため、大抵の場所へ赴くことができる。ルナたちはまず広場に集合してから行きたい所に出掛けるのが習慣となっていた。
デートで何処に行くかは前日までに決めている場合が多い。時間を無駄にしたくないからである。
しかし今日は違った。恒が行きたい場所があるらしいのだが、当日まで秘密だと言われた。何かサプライズでも考えているのか。不安と期待が入り交じる中、ルナは広場に向かっていた。
遠くに恒の姿を捉えた。ルナが先に到着することが多いが、今日は恒の方が早かったようだ。距離を詰めると、恒もルナの姿を確認して手を上げた。
「おはよう。待った?」
「いや、全然。いつも待たせてばかりだから、今日はルナちゃんよりも早く来ようと思ったんだけど……。ルナちゃん来るの早いね」
「癖みたいなものかな。それで、今日は何処に行くの?」
恒は立てた人差し指を芝居掛かった動きで口元に寄せた。
「それは着いてからのお楽しみ」
目的地はバスで十分程の場所にあるらしい。当然恒はバスに乗って行くつもりだったが、バス停に向かおうとする恒をルナは呼び止めた。
「あの、折角だから歩いて行かない?」
「え、徒歩だと一時間ぐらい掛かると思うけど……」
「うん。だから……」
言葉にするのが途端に恥ずかしくなり、ルナは口籠る。その様子を見た恒はルナの意図を読み取った。
「……分かった。じゃあ歩いて行こうか」
どちらともなく手を繋いで二人は歩き出した。
ルナがわざわざ時間の掛かる徒歩を要求したのは、恒と共に居る時間を噛み締めたかったから、という理由もあるが、それだけではなかった。
『将来を見据えているなら、必ず曝け出さなければならない瞬間がやって来る。その時に外見が変わっても変わらず愛してくれる人なら、僕は構わないと思ってる』
最後に新夜から教えてもらった言葉が、瑠奈の脳内でずっと反芻していた。
そもそも綾名ルナを創った原因は、仕事に対する不信感だった。瑠奈の理想と周りが期待する理想との離反が大きくなり、周囲の人々が誰も『私』を見ていないような錯覚に囚われた。
誰でも良いから『私』を見て欲しい。偽りの姿だろうが関係無い。『私』の心を見て欲しい。その思いで創ったのが綾名ルナだった。
しかし瑠奈はこれからも九瀬輝莉として生きて行く覚悟を決めた。瑠奈から引き離された別個体ではない、大木瑠奈のもう一つの姿である九瀬輝莉として、仕事と向き合うと決めた。
不信感が消滅した今、残ったのはこの空っぽの躯体だけである。本当ならば綾名ルナはもう必要ではない。ところが、綾名ルナは人に恋をしてしまった。綾名ルナを好きだと言ってくれる人に出会ってしまった。
『sheep asleep』を利用した時点で騙した騙されたは言いっこなしである。しかしここに来て、相手を欺きながら恋愛をする罪の大きさたるやをルナは痛感していた。
願わくばこの姿と決別して、等身大の大木瑠奈としてこの恋を継続させたかった。後先考えずに軽い気持ちで始めた綾名ルナのままでは、恒を想う気持ちも軽いもののようで、背信を感じずにはいられなかった。
――恒君の本当の姿がどうであれ、私は受け入れるつもり。
瑠奈は心の準備を整えていた。その反面、やはり不安は払拭し切れない。本当の姿を目の当たりにした時、本当に瑠奈は受け入れることができるだろうか。断言し切れない自分が憎らしい。
それに瑠奈の心の問題だけではない。恒も本当の姿を曝け出して恋を継続させたいと思うかどうか分からない。また瑠奈を受け入れてくれるという確証も無い。
新夜の言葉を反芻すればするほど、本質にある辛酸を味わうばかりで一人、行き詰っていた。
なにはともあれ、まずは恒の意見を聞いてみなければ何も進展しない。恒との将来を見据えるため、二人で話し合う時間が欲しい。
それがもう一つの理由だった。
箱詰めになった乗客を抱えて走る電車。時折吹く風になびく木々の枝葉。どの音よりも二人の足音が一際大きく響いている。
「駅前からそんなに移動してないのに、結構静かだね」
「だね。人もあんまりいないし」
人が溢れ返る駅前とは打って変わって、二人が歩いている道は人の気配が少なかった。行く手に見えるバス停には本来乗るはずだったバスが停車しているが、降りる人も乗り込む人も片手で数えるほどだ。角度的に車内の様子はよく見えないが、つり革を持って立っている人がいるということは、座席が埋まるくらいには乗車しているようだ。
「……アンドロイドってどれくらいいるのかな」
ルナはふと感じた疑問を口にした。一体、あのバスの車内にはどれくらいの比率でアンドロイドが存在しているのだろう。
「ここに?」
「ううん、日本に」
「この前ニュースになってたような。確かデータバンクに保存されているアンドロイドの数が一億に突破した……んだったかな」
「そんなにいるんだ!」
咄嗟に驚きはしたものの、すぐに納得する。
今や一人の人間が一体は所有しているほど普及していると、遠隔操作型アンドロイドについて学校で習った時に先生が話していた記憶があった。瑠奈のように複数体を所有している人も多い。人口と照らし合わせると、突拍子もない数字ではなかった。
「それだけ皆、変身願望があるってことなのかな」
「それもあるだろうけど、それだけじゃないかもね。色んな理由で別人を演じたいんだと思う」
恒の口ぶりからすると、恒は「色んな理由」の方に当てはまるのかもしれない。恒はそれ以上何も言わなかった。
「そっか……。私が綾名ルナになろうと思ったのも、出来心みたいなものだったな」
ルナは本題へと話の流れを手繰り寄せる。
「それで恒君と出会って、こうして一緒に歩いてる。こんな幸せを掴めるなんて想像してなかった」
ルナは恒の手を強く握った。
「だからこの上さらに願ったら罰が当たりそうだけど、私はもっと幸せになりたい」
仰ぎ見た先で、恒と目線が交わった。
「そのためには、私は、綾名ルナのままじゃ駄目だと思う……」
ルナが伝えられる精一杯の言葉に、恒はしばらく口を噤んでいた。やがて顔をふいと背ける。
「僕はまだ、ルナちゃんに本当の僕を見せるのが恐い。本当の僕を知ったら、ルナちゃんは僕に失望するんじゃないか、二度と今までみたいな関係を築けないんじゃないかって」
「私は恒君を外見で選んだんじゃない。性格を好きになった。だから、私は……」
最後に言い淀む。この期に及んでまだ不安を取り除けない。
「ルナちゃんもまだ決心し切れてないようだね」
恒は乾いた笑い声を出すと、憂う表情を見せた。
「僕も二人で幸せな未来を歩みたい。こうして、同じ道をいつまでも隣で歩いていたい。でも、そうなるためにはまだ早いんじゃないかな。互いにまだ全幅の信頼を置けてない。もう少し時間が必要なんだと思う」
恒の主張は正しかった。容姿を好きになったのではないのだから、どんな風貌であろうと変わらずに愛し続ける。綺麗事ならいくらでも言える。
だが人の心はそんなに単純なものではないだろう。
「うん。そうだね。急いだって良い結果が待ってるのは限らないもんね。なら私たちのペースで進んでいこう」
ルナの呼び掛けに恒も同調する。
「ありがとう。いつか必ず、ルナちゃんの目に僕しか映らなくなるくらい、ルナちゃんを夢中にさせてみせるよ」
恒は挑発的な笑みで恥ずかしさを隠しながら、気障な台詞を吐いた。
「言ったね~? じゃあ私は、恒君の頭が私以外考えられなくなるくらい、恒君を夢中にさせてみせる」
ルナも応戦して気障な台詞を返す。
「ははは」
「ふふふ」
ひとしきり不敵に笑い合った後、二人は同じ歩幅で歩き出した。
道の先に巨大な施設が見える。恒はその施設を指差した。
「ここに来たかったんだ」
「ここって、植物園?」
都会の一角に突如として現れたオアシスに、二人は足を踏み入れた。
「『ここは日本最大級の植物園で、熱帯雨林など全気候に生育する植物を楽しむことができます。また砂漠や水生など生態でも分類されています。施設内には大温室が二つ、温室が六つ、冷室が一つあり、約六千種類の展示植栽植物を有しています』――だって」
恒は入園ゲートにあったパンフレットを熱心に眺めている。
「一日で回れるかな……。そもそも恒君、花とか植物とか好きだったっけ?」
「特別好きってわけじゃないよ。今日の目当ては一つだけだし。でも折角だから色々回ってみようか」
「うん。まずはどこから行く?」
「そうだな……――」
二人は熱帯植物を観賞したり、一面真っ赤に咲いたバラ園を通ったり、ハーブティーを嗜んでみたり、興味の向くまま園内を歩き回った。
午後三時を過ぎた頃に、ようやく恒は本命がある場所に案内すると言い出した。近づくにつれ、来園者の密集度合いも高くなる。
「結構人気スポットなの?」
「うん。最近展示が始まったばっかりらしくて、ちょっと話題になってた。これが」
薄暗い部屋に入るとその奥に、下からの照明を浴びる無数の木があった。
「これって、桜、だよね。本物?」
二人を迎えたのは、満開に咲き誇った桜だった。今は八月で、夏真っ盛りである。当然桜が開花する時季ではない。
「内部で温度管理することで人為的に桜を開花させてるらしいよ」
近づくと四方がアクリルガラスで覆われているのが見て取れる。恒の言う内部とは、このガラスの中のことだろう。
「だからここは一年中花見ができるってことで、万年桜って呼ばれてるんだって」
「へぇ、すごい……」
辺りには同じくガラスで覆われたスペースが点在していた。照明は点灯していない。開花していない桜の木の姿が薄っすらと確認できる。
視線を戻す。樹幹のうねりや質感、無秩序な枝分かれ、花弁の一枚にまで、生命の息吹を感じる。ただそこに在る、それだけで注目を我が物にする。有無を言わせない強制力に、そこに居た誰もが逆らえず、息を呑むばかりだった。
ルナは両手で触れるガラスから離れようとせず、ただひたすら、ずっと眺めていた。
日が傾き始めると、二人は植物園を後にした。帰りはバスに乗っても良かったのだが、二人並んで歩きたい気分だった。
「桜、綺麗だったね。感動しちゃったよ」
帰り道でもルナの興奮は未だに冷めやらない。
「そうだね。ライトアップされた桜を見るのは初めてだったから、圧倒されたよ」
「また来たいね。やっぱり一日じゃ回り切れなかったし」
「秋には高原にコスモスが咲くらしいよ」
「ホント⁉ 絶対見たい」
「それと、春になったら自然の桜も見に行きたい。年中見れるのもいいけど、やっぱり春の桜が一番だよね」
「確かに、そうかも」
二人の未来が次々と埋まっていく。そこに不安が介在する余地はまるで無かった。
「――いつもの明るいルナちゃんに戻って良かった」
心底楽しそうに話すルナを見ながら、恒は呟いた。
「え? 私?」
「うん。なんかここ数か月は、元気無さそうだったから」
ルナは一瞬驚きの表情を見せ、バツが悪そうに頬を掻いた。
「……バレてたんだ。私ってそんなに分かりやすいの?」
「実は桜を見に来たのも、ルナちゃんが元気になるかなって思って、前から目を付けてたんだよね」
恒は照れ隠しで俯いた。
「まぁ、最近はすっかり元気になったみたいだから、今日来た意味はあんまり無かったかもしれないけど……」
「そんなことないよ! 桜も見れて、その……恒君にも逢えたから、元気出たよ……! 何より、そんなに私のことを考えてくれてたのが、嬉しい」
ルナは恒の両手を握り、正面から恒の顔を眺めた。
「……なら良かった」
恒に見つめ返され、今になって恥ずかしくなり、ルナはパッと手を離した。
「あははっ」
誤魔化すように笑った後、ルナは口をキュッと結ぶ。
「……実は私、モデルをやってるんだ」
恒との幸せを願うなら、これ以上秘密にするわけにはいかないだろう。決心した面持ちでルナは打ち明けた。
「小さい頃からずっと憧れてて、一年前にその夢が叶ったんだ。もちろん嬉しかったんだけど、いざやってみると想像してたのとは違うなって思って」
ルナの自分語りに、恒は静かに耳を傾けていた。新夜を相手にしているかのような安心感がルナを包んだ。
「自分でもどうすればいいのか分からなくて……。その上他の問題が出てきたりで、もう頭の中が滅茶苦茶になってた。でもその問題について考えたり、それを通してモデルについても考えてたら、続けたいって思ったの」
最後の言葉は力強さを帯びていた。
「また一から頑張ろうって」
ルナは晴れやかな顔をして区切りを入れた。代わって恒が口を開く。
「……目標ってさ、それがある内は頑張れるんだ。そこを目指して突き進むわけだから。でも目標に到達した時点で、その目標は通過点にすり替わってしまう。そしてまた前に進むためには新しい目標が必要になる」
恒は優しく、それでいて厳しい口調で問いをルナに投げ掛けた。
「ルナちゃんはこれからどうなりたい?」
ルナは吸い込まれそうな眼をいつまでも眺めた。これからもモデルの仕事は続けると決めた。だが今後、どのようなモデルになりたいか、という未来については漠然としたままだった。
「……私は――」
――モデルに憧れていた。眼を、心を、掴んで、奪って、離さなかったあのモデルに。
ふと瑠奈の脳裏に、先程の桜の光景が蘇る。凛とした空気感を身に纏い、堂々とした佇まいで見る者を魅了する。それはまさしく、瑠奈が幼い頃に憧れたあのモデルと同じではないか。
夢の中で過ごす内、いつしか忘れ去ってしまっていた衝動が、再び瑠奈の身体を駆け巡った。
「――私は、桜のような人になりたい。見る人を虜にするような、そんなモデルになりたい!」
それが新しい夢であり、目標となった。
「素敵な目標だね」
恒の言葉はどこまでも優しく響いた。ここに居るのが瑠奈ならば、きっと嬉し涙をこぼしていたに違いない。
「じゃあ僕も目標をはっきりさせておこうかな」
そう言うと恒は、徐にルナを抱き寄せた。
「今日の朝、ルナちゃんが言いかけた言葉の続きを、早く聴けるようになる」
「……ッ! うん」
ルナも恒の背中に両腕を回した。いつかこの抱擁に温もりが宿ると信じて。
駅前まで歩いて帰ってくる。二人は惜しむようにゆっくりとした足取りで道を踏み締めていた。
「……」
「……」
恒は遂にその足を止めた。ルナも観念して恒と向き合う。
「次に逢えるのは二週間後……だったかな?」
「うん。また何処に行くか決めようね」
「ルナちゃんはどっか行きたい所ある?」
「う~ん……、今は思い付かないな。また考えとく」
「僕も、考えておくよ」
「……」
「……」
ルナは周りに人影が無いことを確認すると、両手に握り拳を作って瞼を降ろした。前回とは違い、遮る物が無いせいか、小刻みに震えていた。
恒は僅かに突き出された唇に重ねた。体温は感じられないが、確かな感触を共有する。
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