第18話 もう一口ください

(リロスエル様ぁぁぁぁぁ!)

 

 アストロンの叫び声が脳内に響き渡る中、咄嗟に地面を蹴る私。

 ダイビングキャッチで謎の美少女兵士Rを抱きしめながら、超高速の横っ飛びでプリンアラモードから間一髪で逃れる。


 しかし私たちはポンチの雨やこぼれたカラメルソールに触れてしまっていた。

 少し触れただけにもかかわらず、今にも脳がとろけそうで視界がぼやけてしまう。


 ポンチの爽やかな甘みがしつこくなりすぎないようカラメルソースの苦味が引き締める。

 焦げた砂糖の香りとフルーツの爽やかな香りがついたポンチの風味。


 ここにプリンの濃厚な味とフルーツの酸味が加われば、おそらく自我を保てない。

 虚な瞳で息を上げる謎の美少女兵士Rを横目に見ながら、自らを濃厚チーズで覆ったベイクードさんの無事を確認しようと視線を巡らせる。


「なんて旨味なの? あなたが助けてくれなかったら、私は今頃角砂糖に………」

「謎の美少女兵士R、あなた今男性兵士に変装してるんですから、言葉遣いとか注意してください。 あと、あの三人は強すぎる。 付け焼き刃のお菓子では対応できるとは思えません」


 チーズの中から脱力したまま膝をつくベイクードさんが姿を現した。

 彼の瞳からも諦めの色が見てとれる。 おそらくもう戦える体ではない。


 ほんの少しのポンチとカラメルソースで私たちは脳がとろけかけているのだ。 直撃したベイクードさんが脳に受けたダメージは底知れないだろう。


「なぜこんなところに兵士が紛れ込んだ? カロン男爵は何をしている?」

「まあ何にせよ、まさか避けられるとは思いませんでしたわ? 大した兵士だけれど、もう戦える体ではなさそうね?」


 プリディン令嬢の蔑んだような声が響き、私は奥歯を軋らせる。


「パーッハッハッハッハッハ! もはや万事急須だな!」

「まだだ、私はまだ倒れるわけにはいかぬ」


 ベイクードさんは、震える足を酷使して、ケーキナイフに寄りかかりながら立ち上がった。

 その姿を目の当たりにして目を丸くする私と謎の美少女兵士R。


「ベイクードさん! もうあなたは戦える体ではありません!」

「そうよ! またあの攻撃が来てしまったら、今度こそ助からないわ! 角砂糖になっちゃうのよ!」


 リロスエル様! 言葉遣いきおつけて! と、言いたかったが、今はそれどころではなかった。


「助太刀、感謝致すぞ! 勇敢な兵士たちよ! 私は倒れるわけにはいかないのだ! 例えこの体が角砂糖になろうとも! この国を愛する国民たちの明日を守るため、私は絶対に倒れるわけにはいかぬのだ!」


 心が震えてしまうほどの、気迫がこもった叫び。

 この国の民ではないにもかかわらず、私は感極まってしまい目頭が熱くなる。


「ファジエルちゃん! 私が視界を覆うから、ベイクードさんにあれを!」


 ちょ! 本名言っちゃダメですよ謎の美少女兵士R! と、小声で口ずさみながら私は天使の弓矢を取り出した。

 それを確認した謎の美少女兵士Rはババロアで私たちを包み込む。


 謎の美少女兵士Rはこの国に来たばかりにも関わらず、ベイクードさんの叫びを聞いて号泣していたが、意外と涙脆いんですね? なんて無粋なことは言わないでおく。

 幹部三人やベイクードさんの死角になるように包まれたババロアの中から、私は天使の弓矢を放った。


 天使の弓矢がベイクードさんの胸に触れると同時に、ポップな絵柄のハートマークが浮かび上がる。


「この国の民たち。 国王様。 愚弟である玲照。 そして、私の妻ベリー・ベリー! 私には守るべきものがこんなにもいる! 負けられない! 絶対に! こんなところで負けられぬのだぁぁぁぁぁ!」


 天使の弓矢に撃たれると、愛する者たちの名前を大声で叫んでしまう。

 これこそが、愛の力で撃たれた対照を超強化する、天使の弓矢に秘められた力。


 イージスの盾に自身の力を封印されていても、天使の弓矢本来の力は使える。 なんせこの愛を暴発させるのは私の力ではなく、天使の弓矢の力なのだから。


 ベイクードさんが愛する者の名を口にしていくと、溢れんばかりの糖力が膨れ上がった。

 その洗礼された愛と糖力の凄まじさに充てられ、幹部たちは驚愕の表情を浮かべる。


「な! まだそんな力を残していたの?」

「恐れることはありませんプリディンお嬢様! 我々のプリンアラモードは無敵です!」

「もう一度行くぞプリディン令嬢、カラメール!」


 三人は顔を見合わせてうなづきあい、再度呪文を唱え始めた。

 ベイクードさんは全身から溢れた糖力を一点に集中させ、ゆっくりと瞳を閉じる。


「ずっと一途にベイク道 ありがとう国民たち。 ありがとう国王様 ありがとう玲照。 そして、ベリー・ベリー。 私は今! チーズケーキの境地へと向かう! これが私の最初で最後のベイクドチーズケーキだぁぁぁ!」


 黄金の輝きを放つベイクドチーズケーキが頭上に現れ、プリンアラモードはチーズケーキに吸い込まれていく。


「バカな! 私たちのプリンアラモードがぁ!」


 悲鳴をあげるプリディン令嬢。

 しかし、絶望の表情を浮かべる三人の後ろから、最後の幹部が歩み寄った。


「諦めるのはまだ早いであるぞ? 我が手を加えれば、貴様らの菓子は次の次元へと向かうのだ」


 驚いた顔で振り返る幹部三人。

 新たに現れた幹部を目の当たりにし、希望に満ちた表情だったはずのベイクードさんの顔に影が差す。


「お前はまさか、キュイール侯爵?」

「ぷりんすぶでぃんぐ あっちっち! 焼き加減は程々に 火傷するなよ子猫ちゃん ブリューレフレア!」


 キュイール侯爵のかざした手の平から、炎炎と燃える炎が噴き出す。

 吹き出した炎がプリンを炙り、みるみる香ばしい香りが充満していく。


(ま、まさか! あれは焼きプリン! いや、違う! そんな生やさしいものではない! あの炎で炙られた事で、あのスイーツは焼きプリンアラモードに進化したって言うの!)


 アストロンの狼狽の叫びが脳に響く。


(『くぅ〜〜〜』逃げなさい! あんなスイーツ、『きゅるるるる』触れたら一瞬で角砂糖になっちゃうじゃない!)


 今頃アストロンはよだれをダラダラと垂らしているのだろう。

 なんせ必死に撤退の指示を出しているくせに、腹の音が邪魔してよく聞き取れないほどだ。


 焼きプリンアラモードと黄金の輝きを放つベイクドチーズケーキが空中でぶつかり合い、火花をばちばちと散らす。


「旨味が拮抗している!」

「いいや、ベイクドチーズケーキが………わずかだけれど押されているわ!」


 私の解説に付け足す謎の少女兵士R。 もはや喋り方は気にならなかった。 もとい、言っても無駄だと諦めた。

 押し返されるベイクドチーズケーキを仰ぎながら、悔しそうな顔をするベイクードさん。


 そんな彼を見ながら、後から現れたキュイール侯爵は肩を揺らしながら高笑いし始めた。


「ぶわぁっはっはっはっはっは! スイーツの味の決め手はな、ほんの少しの工夫と発想の転換なのだよ! 表面を炙ることで香ばしくなった部分のプリンと、火が通らず滑らかなままのプリン、そしてその濃厚になりすぎる触感を調和するフルーツの酸味! 貴様にはこの至高の一品を超えることなど、天と地がひっくり返っても不可能なのだ!」


 バチバチと飛び散る火花からは、甘い砂糖菓子の味がした。

 視界がぼんやりとする中、諦めたように膝を折ってしまうベイクードさんが視界に移る。


 万事急須、ここで私たちはベイクードさんを助けることができず、みんな角砂糖になってしまう。

 天使の弓矢で強化したにもかかわらず、手も足も出ないというのか。


 諦めて瞳を閉じようとした瞬間、王座の間の扉が開いたのが横目に見えた。


「ベイクード! まだ諦めてはダメよ!」


 目を見開きながら振り返るベイクードさん。


「ベリー? 危険だ! お前は早く逃げ………」

「愛する夫を置いて逃げるなんて、私にはできないわ! 甘酸っぱい思い出に とんとんぴんぴんトッピング! ストロベリーソースシュート!」


 真っ赤なベリーのソースが黄金のチーズケーキに降り掛かり、わずかだが焼きプリンアラモードを押し返す。

 その光景を見て、勝ち誇った笑みを浮かべていた幹部たちは忌々しそうな顔でベリーと呼ばれた女性を睨む。


「ベリー・ベリー夫人! この土壇場で邪魔だてするか!」

「キュイール侯爵! あなたの言葉は正しいわ。 けれど甘いわね! 私の旦那はレア家に代々伝わるチーズケーキを受け継いだ、チーズケーキの名門一家なのよ! レア家はレアチーズケーキをこの世界に広め、私の旦那はベイクドチーズケーキという至高の一品を作り出した! 火を通さないのが常識だったチーズケーキに、初めて火を通した男なのよ!」


 苦しそうな顔をしながらベリーソースをチーズケーキに絡めていくベリー・ベリー夫人。

 その姿を見ていたベイクードさんは、震えながら立ち上がり、苦しそうな表情のまま口角を上げた。


「私は今まで………チーズケーキはベイクド意外ありえないと思っていた」


 静かな声音で、だが力強い口調で言葉を紡ぐ。


「けれど君たちと戦っていてわかったよ。 香ばしさと滑らかさの共存は、至高の一品を作り出すと言う事を!」


 ベイクードさんが今もなお焼きプリンアラモードに押されている黄金のベイクドチーズケーキに手をかざす。

 するとベイクードさんの背後に、乳白色のムースが出現した。


「なっ、この状況でまだ抵抗しようというの?」

「何というしぶとさ! プリディンお嬢様! フルッツ伯爵! キュイール侯爵! 最後の力を絞り出しますぞ!」


 カラメールの号令を聞き、互いが顔を見合わせてうなづきあう。

 だがベイクードさんが作り出した乳白色のムースが黄金のベイクドチーズケーキを包み込んだ瞬間、一気にチーズケーキが焼きプリンアラモードを押し返した。


「私はレア家に生まれてからずっと、チーズケーキを焼くことに固執して生きてきた。 焼かないケーキなど、ケーキとは呼べない。 あんなもの、チーズを食べるのと大差ないではないかとバカにしてきた。 濃厚さはかけらもないすっきりとした甘味のレアチーズケーキを受け入れることができなかった………」


 自らを戒めるように、瞳を閉じて淡々と語り出すベイクードさん。


「だが今は違う! チーズケーキはベイクドだろうとレアだろうと! スフレだろうとニューヨークだろうとバスクだろうと! 全てに特有の旨味があり、その全てを極めてこそ本物のチーズケーキマスターになれるのだと! この私が証明してくれるわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 喉が枯れんばかりに咆哮をあげ、ムースが包んだチーズケーキに両腕を伸ばすベイクードさん。

 それを見ていたベリー・ベリー夫人は目頭に涙を溜めながらつぶやいた。


「やっと、やっとチーズケーキの更なる境地へと向かう手段を見つけたのね———」


 ムースに包まれていたチーズケーキが姿を現す。

 新たなチーズケーキのホールをベイクードさんがケーキナイフで一刀両断した。


 そのチーズケーキは五層になっていて、涙を拭ったベリー・ベリー夫人がその新たなるチーズケーキにベリーソースを絡めた。

 ソースを絡めた瞬間、一瞬にして焼きプリンアラモードが霧散する。


「バカな! 私のプリンが、チーズケーキに負けたというの!」

「あんな果物を潰しただけのソースなどに、私のカラメルソースが負けたと言うのか!」


 プリディン令嬢とカラメールが悲痛な叫びを上げる。


「フルーツポンチが! 消えていく!」

「我らが作ったのは焼きプリンアラモードだぞ! ただのチーズケーキなどに負けると言うのか!」


 フルッツ伯爵とキュイール侯爵までもが驚愕の表情を浮かべる。

 しかしベリーソースを絡めた五層のチーズケーキは、無慈悲に幹部たちに襲いかかった。


「な! 何よこれ! レアチーズケーキの優しさと、スフレチーズケーキの軽さ? きゃあぁ〜!」

「それだけではない! 三層目のニューヨークチーズケーキが味を引き締め、柔らかいものばかりで寂しくなった触感に、ベイクドチーズケーキのパンチ力がぁ! くはぁっ!」


 プリディン令嬢とカラメールが幸せそうな顔で吹き飛んでいく。


「最後にバスクチーズケーキがお焦げの香ばしさと楽しい触感を———」

「そして、チーズの濃厚さと甘さにしつこくなった味覚を、ベリーソースの酸味が引き締めつつ、次の層のチーズケーキへの期待度を膨らませる! こんなもの………」


「「「「脳がとろけてしまうぅぅぅぅぅ!」」」」


 それぞれ異なる作り方をされたチーズケーキが、ミルフィールのように何層も重ねられた新たな味わい。

 それは味覚に触れれば触れるほど次の味が楽しみになり、期待に溢れて手が止まらなくなる。


 遠足前の子供たちが、楽しみのあまり眠れないように、一度口にすれば手を止めることができなくなる。

 そうしてチーズでしつこくなりそうな味覚を、ベリーの優しい酸味が、心優しい母のような優しさで包み込む。


 食べ過ぎは良くないけれど、ベリーを食べたら次に進んでいいわよと、ほんのりと甘酸っぱい優しさで味覚を引き締めてくれる。

 あの日忘れた優しさを思い出させ、失ってしまった希望を取り戻させるような至高の味わい。


 ああ、これこそが幸福の味! もっとだ、もっと私を幸せにしておくれ………

 私は今! 幸せな世界へと———


「何をしているのよファジエルちゃん! 自分からあの凶悪な旨みを凝縮させたチーズケーキに飛び込むなんて! 角砂糖になっちゃうわよ!」


(ずるいわよファジー! あたしだってあのチーズケーキに埋もれたかったのに!)


 我慢できなくなった私は本能のままチーズケーキに頭から突っ込んでしまっていたが、リロスエル様に引っこ抜かれて叱咤される。

 アストロンに至ってはガチギレのトーンだった。


 あの凶悪な美味さを誇るチーズケーキから引っこ抜かれ、ぐってりしていた私の元に、ベイクードさんはよろよろしながら歩み寄って来た。


「大丈夫かい勇敢な兵士たちよ! 君たちが飛び込んできてくれなかったら、私は今頃やられてしまっていた! 例を言わせてくれ!」


 今にもとろけてしまいそうな間抜けな顔をしていた私に、はにかみながら手を差し出してくるベイクードさん。

 私はにっこりと笑いながら差し出された手を取った。


「もう一口ください」

「((アホか!))」


 リロスエル様とアストロン、ずっと黙っていたはずのディアまでもが私の脳内にツッコミを入れていた。

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