第5章 新兵器と新型計算機

5.1章 誘導魚雷開発

 昭和14年(1939年)12月下旬になって、望月少佐と私が「愛宕」に計算機を搭載して、やっとのことで射撃試験を成功させて戻ってくると、我々を待っている3人の人物がいた。


 一人の技師は、電気研究部内で見かけたことはあるが、特段、親しくしていたわけではない。他の2人は初めて見る顔だ。

「電気研究部、第5科の中島だ。音響関係の研究をしている。こちらは呉工廠の魚雷実験部の堀中佐と塩谷大尉だ」


 電気研究部第5科は、他の科が通信や電探などの無線技術に関連する研究か、電動機などの一般的な電気技術の研究を行っているのに比べて少しばかり異質だった。設立以来、音響を専門に研究してきた部門だ。第5科の研究成果のうちでもっとも広く活用されているのが、駆逐艦や潜水艦に搭載されている音波を利用した水中探信儀だ。


「我々は、音波による魚雷の誘導装置を研究している。君たちは、ドイツに行って電探や計算機の技術情報を持ち帰ってきたと思うが、艦政本部からの出張者はドイツ海軍が開発していた音響誘導魚雷の情報を入手していたのだ。それに加えて、先般日本が購入したUボートが音波誘導の資料だけでなく、誘導魚雷の試作品も日本まで運んできた。そのおかげで、大いに研究が前進した」


 堀中佐が説明を引き継ぐ。

「魚雷が艦船のスクリュー音を感知して、その方向に誘導できれば、命中率は飛躍的に高くなる。すぐに魚雷の開発をしている技術者が集められて、我が国でも音響誘導魚雷を開発せよと命令されたわけだ」


 説明を聞いてみると開発はうまくいっていなかった。音響誘導は一筋縄ではいかない課題が存在することがわかってきたのだ。


 1つ目は魚雷自身が発する音が、探知の邪魔をするという当たり前の問題だ。特に内燃機関を駆動力とする魚雷は、高速を得るかわりにエンジンが発生する騒音も大きい。いろいろ工夫しても近くのエンジンとスクリューの雑音が、音波探知を邪魔して解決策は見いだせなかった。問題に対する実験の状況を塩谷大尉が説明してくれた。


「……というわけで、音響誘導の研究は暗礁に乗り上げています。基本的に近くの音が遠くの音を邪魔するという物理現象なので、近傍の騒音を小さくする以外に対策はありません。いろいろ試行錯誤をしながら実験を繰り返したドイツでも、騒音の少ない電動推進の魚雷を使って、雷速を20ノット以下の低速に制限せざるを得ないとの結論になりました。貨物船を目標にするならばそれでもいいのですが、高速の軍艦を相手にする我々では採用できません」


 次の問題は、音波を発する装置を作って船から引っ張れば、簡単に欺瞞が可能だということだ。

「我々もドイツの情報を入手する以前から音響誘導については研究していました。当然、イギリスやアメリカも同様の誘導方法を考えているでしょう。誘導の原理がわかっているならば、音響を発する水中スピーカーを船の後ろから引っ張って魚雷を欺くことが可能です。艦船よりも大きな音を発する機器が水中にあれば、魚雷は全部そちらに吸い寄せられることになります。誘導には高度な技術が必要でも、比較的簡単にそれを欺瞞できることになります」


 魚雷の誘導法の説明を聞いた後で、たまりかねて望月少佐が切り出した。

「それで我々には何を期待しているのですか? 魚雷の開発や音響の分析に関しては我々の知識はあまり役に立ちそうにありませんが」


 堀中佐が片手をあげて制する。

「もう少し我々の話を聞いてほしい」


 それから説明を受けたのは、実験で偶然明らかになった事象から、もう一つの誘導方法を実現したいという内容だった。


 艦船を狙った魚雷が船の後方に外れた場合、目標船の航跡の中を通過することになる。すると魚雷頭部の音響探知機がとらえていた魚雷自身の機関と推進機が発生していた雑音がかなり小さくなるのだ。もちろんそこでは、海水がかき乱されているので、相変わらず目標船のスクリュー音を探知することはできない。航跡から抜け出れば、魚雷自身の雑音がまた聞こえ始める。


「つまり、艦船の航跡の中を走行していてそれから抜け出たことがわかるのです。この性質を利用すれば、通り過ぎた航跡の方向に向けて魚雷を回頭させて、艦船の航跡に戻ることができます。その後に再び航跡を横切ったならば、同じ制御で3度目も航跡に戻ってくることが可能になります。つまり、航跡波を中心にして魚雷は、ジグザグに航行して、やがて航跡の発生源である目標の船に命中するのではないかと考えたのです」


 堀中佐が紙を取り出した。

「航跡誘導法を絵に描くとこんな感じになる。標的となる船の後方にV字型に航跡が伸びていて、狙いをわずかに外れた魚雷がそこに突っ込む。魚雷が航跡を突っ切って抜け出たことを検知すると元の方向にターンする。このとき180度ではなく120度くらいの角度で戻るようにすれば、再び航跡をとらえた場合には船の方向に接近する。これを繰り返すとV字で伸びている目標の航跡に対して、魚雷はのこぎりの歯のようなジグザグで航行してやがて目標の後部に命中するだろう。あるいは最初に回頭するときの角度をうまく調整すれば、そのまま戻ってきて直接舷側に命中させることも可能だと思う」


 なるほど、これだと魚雷の雑音は大きくてもかまわない。しかも、航跡という海水の乱れを探知していることになるので、単純な方法では欺瞞もできないだろう。しかし、この方式の本質的な欠点について気がついた。


「この方法だと、航跡を横切った後に最初に向きを変える時に、目標船から遠ざかる方向に舵を切ると、どんどん遠ざかってしまいますよ。それにそもそも、魚雷が目標の艦首より前方に外れてしまった場合は、航跡の探知は不可能ですのでそのままどこかに行ってしまいますよね。加えて、目標の艦船が止まっているか航跡のほとんどない低速の場合には誘導できません」


「最初の指摘については、魚雷発射時に航跡波を超えたときに右に舵を切るのか左に回頭するのかあらかじめ指定する方法を考えている。魚雷発射時に目標とする艦艇が進んでいる艦首方向に舵を切る様に設定すれば、間違いなく艦艇に近づくことになる。航跡波を横切った後には、180度ではなくそれより緩い角度で回頭する必要があるが、その角度は実験により決定したい。2つ目の疑問については、前方を通り抜けた場合には、あきらめるというのが答えだ。後方に外れた魚雷しか救済できないが、それでも命中率は飛躍的に改善するはずだ。3つ目については、目標がほとんど動いていなければ、直接命中させればよい。我が軍はその程度の技量は有しているだろう」


 堀中佐の後に、技研第5科の中島中佐が説明を続ける。

「今まで説明した様に、この方法では魚雷の探知器の出力に応じて、魚雷は複雑な動きをしながら目標とした艦船に接近して行くことになる。そこで、魚雷の運動を制御するために、君たちの計算機の技術が応用できるのではないかと考えたわけだ。『オモイカネ』と呼ばれる計算機のような高性能の計算機でなくともよい。魚雷の頭部に収まるような簡易版の計算機がないだろうか? 技術研究所長の日高中将に相談したところ、既に小型計算機を君たちのところで研究していると聞いた。それを期待して相談に来たというわけだ」


 望月少佐が、小声で私に話しかけた。

「海軍にとって魚雷の命中率向上は極めて重要な課題だ。これは実現が困難だといって、断るわけにはいかんな」


 ……


 魚雷に使える計算機といっても、大型機やそれより一回り小さい中型機は候補から外れる。しかも1度限りの使い捨てなので、できる限り簡易化したい。必然的に、もっとも小型軽量のジャイロ照準器向けに開発していた小型計算機を基本として、魚雷の誘導装置を試作することになった。この時期にはまだ、ジャイロ照準器も開発の途中だった。徹底的に半導体を使用すれば、かなり小型の計算機が実現できるとわかっていたが、それよりも一回り大きな計算機を使わざるを得ない。


 魚雷の誘導にどれほどの計算性能が必要なのか経験がないが、急降下爆撃機に搭載していた小型計算機でやってみようということになった。照準機向けの管制器は、高精度のジャイロと一体化していて、物体の3次元的な動きを計算できることも都合がよかった。水中での魚雷の姿勢制御ができる。


 音響探知器からの入力に対して、波浪の影響や海面への砲撃の影響、他の魚雷の航跡探知など本来の目標以外の音波や圧力による誤動作の可能性について検討した。あまり複雑な処理はできないが、短時間での探知器からの出力変動は偽と判定することを条件とした。魚雷を多数発射した場合に、友軍魚雷の航跡を追ってしまう可能性については、魚雷の推進器特有の音波の遮断特性や周波数を計測して類似の入力は排除することにした。計算機によるフィルタリング処理を追加してある程度の効果を期待した。しかし、魚雷だからといって、顕著な特徴があるわけではないので、この問題は改善したが完全には解決できなかった。発射間隔などの運用による回避を周知することになった。


 音響探知器については、当初は水中の音を探知することを目的とした機器だった。それを航跡により遮断されやすい周波数帯を計測して、それに合わせて改修した。当初よりも周波数が低くて圧力変動の大きな低周波向けに探知器の感度と増幅器を調整した。


 魚雷の変針制御に関しては、航跡を探知してそれを抜け出た後の魚雷の航路を計算して求めるが、航跡を横切ってから次に航跡を横切るまでの時間と回頭した回数により変針角を変えることとした。例えば、高速で前進する目標の後方をジグザグに航走するだけでは、いつまでも後追いから抜け出せない。短時間に回頭が複数回になると変針する角度を小さくして目標への接近率を改善するなどの制御に変更した。


 更に、あらかじめ決めた魚雷の走り方を計算機の記憶部に格納させておくことにした。ジグザグや螺旋などの航行する経路を記憶させておいて、発射前に選択する。決めた経路を走らせるが、航跡を探知すれば、それを追尾するように切り替える。船団や艦隊への遠距離雷撃時には、魚雷自身が航跡を探索して命中できると期待された。


 当初は、航跡波の探知器と誘導装置を小型の水上ボートに乗せて、誘導動作ができるかの実験を行った。高価な魚雷への搭載は、水上艇での実験が成功してからだ。我々は、本務の計算機開発で多忙なために、誘導装置に搭載するための計算機の小型化と魚雷向けのプログラムの作成は若手技師に任せた。


 ……


 未知の誘導方法に対して、水上艦による実験だけでも半年以上実施することになった。その間に目論見通り計算機は小型化できた。海野大尉がジャイロ照準器向けに開発していた半導体型16桁(16ビット)の計算機が使用可能になったのだ。魚雷に探知器と誘導装置の双方をほぼ最終形の組み合わせにして搭載できたのは、昭和15年(1940年)11月になってしまった。


 呉と横須賀の工廠には中古の魚雷が貯蔵されていた。酸素魚雷が完成すると海軍は、部隊配備をどんどん進めた。そのおかげで酸素を使わない通常機関の中古魚雷が余剰になっていた。我々は、それをもらい受けて、実射実験を何度も行った。半年以上の試験を経て昭和16年(1941年)9月になってやっと誘導魚雷は制式化された。


 実物の魚雷を用いた発射試験で大きな問題になったのは、友軍艦艇に魚雷が戻ってくる事故だった。魚雷自身が行きつ戻りつしてから、戻ってきた魚雷が発射艦や後続艦の航跡を探知して命中する事故が発生したのだ。炸薬を搭載しない実験魚雷だったために、船体の損傷は小破程度だった。しかし、2度の事故が発生して、魚雷発射時の射法の注意だけでは対処できないとして誘導法自身の変更が必要になった。


 結局、発射後の魚雷の回頭と走行距離は計算できるので、その情報を利用して計算機で制限をすることになった。魚雷の進行方向が発射した方向に戻ることになったら、発射地点の延長線上に戻るような距離までは、航走せず反対側に回頭させることとなった。対策としては完全ではないが、実戦化を優先してこの程度で了解された。


 魚雷に搭載できる探知器と計算機の実験が完了すると、各種魚雷への装備が一斉に進められた。遠距離から雷撃可能な酸素魚雷に誘導装置を追加して、目標を追尾できるようになれば、かなり効果は大きいはずだ。駆逐艦や巡洋艦が搭載していた61cm魚雷は、九三式魚雷四型となった。潜水艦が搭載していた53.3㎝魚雷は、誘導装置が追加されて九五式魚雷二型となった。更に、航空魚雷も九一式魚雷改四として誘導装置を追加した魚雷の生産が行われることになった。


 魚雷の誘導実験は制式化後も継続された。命中率を高めるための変更は、配備後も随時プログラムのみを変更することで可能だった。


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