1.2章 マグネトロンの開発

 私の名は筧重蔵という。海軍の委託学生として帝国大学の電気系の学科を卒業した。最初の仕事は、呉海軍工廠での艦艇への電気系の艤装だった。


 昭和10年(1935年)に海軍造兵中尉となった後は、海軍技術研究所の電気研究部の勤務となり、真田信重大佐の率いる電波研究部隊に配属となった。


 私の上司となった大佐は、見るからに学者肌で、電波に関する研究に対しては誰からも後れをとらない技術力と先見の明を持っていた。但し、熱中すると正面から技術論をふっかけるので、軍人の中には煙たがっている者も多い。おそらく、電力や発電はわかっても電波に関しては専門外の電気部長もそのうちの一人だろう。


 私が中尉として、マグネトロン研究に加わってから2年が過ぎていた。その間にマグネトロンの性能はずいぶん改善した。私自身が改良開発に成功したというよりも、私の赴任以前から取り組んできた研究に対して、成果が目に見える効果として現れてきたということだ。新米時代は、試作品のマグネトロンの試験をするだけだったが、最近は評価結果を見て、改善点について議論ができるようになった。


 今日は改良型マグネトロンの性能試験の予定になっていたが、上司である真田大佐から呼び出された。

「部長がお呼びだ。超短波による物体探知の研究について状況を知りたいらしい。筧君も同席してくれ。なに、説明はほとんど私がするから心配するな。君はマグネトロンに関する質問があったときに、進捗状況を答えてくれればよい」


 真田大佐に続いて部長室に入っていくと、向山少将は書類を読んでいた。顔を上げると、大佐が事前に話していたような質問をしてきた。


「電波による物体の探知と計測について、艦政本部から質問が来ている。電波の応用として、通信だけでなく艦船や航空機の探知に使えるとのことだったが、現在の研究状況を教えてくれないか」


「我々の現在の研究目的は、放射した電波の反射をとらえて、海上や空中の目標を探知して距離を測ることです。最近は超短波の強力な電波を変調させて、反射波を受信する方式の実験をしています。そのためには、高出力の高周波発振管が必須なので、電波研究班で並行して開発しています。まもなく実現できる数十センチ波長の強力な高周波を発振できる送信管を使えば、電波による探知器は、実用に向けて大きく前進するでしょう」


 部長は、真田大佐と私を交互に見た。本当に聞きたいことを質問するぞというしぐさだ。

「電波による物体探知のためには、強い電波の送信管が重要であると私も認識している。開発中の送信管はマグネトロンと言ったのだったな。それは、本当に使い物になるのだろうな?」


 最初は、真田大佐が、どこかの文献の解説文のような受け答えをした。

「マグネトロンの原型が発明されたのは1920年代のアメリカでした。真空管の陽極に磁場を印加して高周波を出力します。原理を知って、各国がマグネトロンの改良に着手してきました。我が国でも1927年には、東北帝国大学の岡部助教授が改良型の開発に成功しました。陽極の構造を独自に工夫することにより、出力を増加させたのです。我々は、この成果を基にして、更に性能を改善した送信管を開発しているのです。決して、あてもなく研究しているわけではありません」


「そうであるならば、遠からず実用可能な発振管が完成して、電波探知器も使えるようになると考えてよいのだな? 電波研究班のマグネトロンの開発は順調に進んでいると理解したぞ」


 真田大佐が私の方を見たので、自分で説明することにした。

「最近試作したマグネトロンでは、波長50センチで1,000ワットの出力を達成できています。次の開発として、陽極の改良と水冷により、更なる送信電力の増大と波長の短縮を目指しています。同時に長時間の使用に耐えるように寿命の向上にも取り組んでいます」


 我々は部長からの質問に15分ほど答えていたが、どうやら説明に満足したらしい。

「今の説明と同じような内容でよいので、説明用の文書を1つ作ってくれ。艦政本部に電波探知器の開発状況として報告する。相手は電波の素人なのだ。くれぐれもあまり専門的にならないようにしてくれ。説明文の量は数枚程度でよい」


 二人で席に戻ってくると、真田大佐は自分の机の上に積み上がった資料の中からいくつかの書類を選び出して私に手渡した。

「これらの内容を編集すれば、要求された報告書になるだろう。マグネトロンについては、現時点の実験状況に基づいて、新しい情報を加えてくれ。専門的すぎる部分は省略してよい。素人向けの説明は私が後で加筆するよ」


 なるほど、今まで作成してきた開発報告書を基にして、最近実験が進展したところだけを更新すれば、要求されている文書はほぼできるはずだ。雑用のような仕事だが、半日もあれば作業は終わるだろう。


 部長との打ち合わせを終えて、実験棟に行くと既に改良型のマグネトロンを接続した実験機の準備は終わっていた。私は、片手を上げて今から実験を開始することを周りの技手たちに示した。実験機の周りを確認して、ゆっくりとした口調で実験の開始を宣言した。

「実験を開始する。問題があれば、挙手してくれ」


 全員が黙っている。実験を中止するような問題はないということだ。

「電源を投入せよ。測定器の指針に注意してくれ」


 電源装置の脇に立っていた技手が配電盤のレバーを押し下げる。所定の電圧が印加されて、電源部や実験機の抵抗から低くうなるような低音が聞こえてきた。


 真空管の陰極が加熱されて電波発振が開始された。数人の技手が電波受信機やマグネトロンの出力部に取り付けられた測定器の指針が振れているのを一生懸命記録している。


 日本無線の中島技師が一通り実験機の様子を見てから、私の近くにやってきた。なんと彼は電気研究部の真田大佐の実弟だ。今日の実験は順調なので、少し口元をゆるませて、私に話しかけてきた。

「今回のマグネトロンは、ほぼ設計値の出力が出ています。陽極の分割数を増やして、それに半円形の凹みをつけたのが良かったですね」


「発振波長が10センチで、電波出力が1.2キロワットは出ていますね。最初にこれだけの出力が出せるならば、最大5キロワットも夢ではないと思います。電波探知器にも充分使える性能です」


「この管は陽極が6分割ですが、もう一つ更に花びらのように8分割した陽極の管も来週には完成する予定です。わが社としては出力を安定化させたそちらが本命です」


 新しいマグネトロンの性能確認が一通り終わったので、午後になって振動試験を実施することとした。もともとこの振動試験は私の海軍工廠での勤務経験から、真田大佐に上奏して追加した試験だ。戦艦や巡洋艦の船体には、大砲の射撃により大きな衝撃が加わる。それを訓練航海で実際に体験してからは、私は精密な電子機器を何も考えずに搭載すれば、故障が多発することを確信するようになった。


 そのためにわざわざ、モーターと歯車、カムを使用した振動試験機を制作した。モーターが発生する振動の周波数や振れ幅は、カムと歯車を交換すると変更できるすぐれものだ。


 その振動試験機の架台の上に実験用の枠組みを取り付けて試験回路を搭載した。午前の試験と同様に電源を投入して試験を開始する。マグネトロンを搭載した試験用回路から電波が発生していることを確認してから、続けて片手を上げて振動試験機を始動させるように指示した。


 ガ、ガ、ガと猛烈な騒音を発して、架台上の枠が振動を始めた。その場にいた殆どの人間が電波受信機に取り付けられたメーターの指針の振れに注目した。指針は小刻みに振れながらもゼロに戻ることはない。


 電波発振試験機と受信側の電波測定機の間を行ったり来たりしていた中島技師がほっとした顔をしている。

「どうやら今回は故障もしないで、うまく動作しているようですね。前回の振動試験ではさんざんだったので、内部の陰極や陽極の強度を増すとともに、支持構造も見直してきました」


 振動試験器で実験を始めた頃は、試作したほとんどの管が、数分もしないで出力停止してしまったのだ。それが3カ月でかなり改善されていた。


 私も中島技師に顔を向けた。

「今日の試験は合格ですね。来週になると、追加で製造している3式の振動試験台が完成する予定となっています。かねてからお願いしてきた通り、貴社の工場に設置して製品の試験に使用してください。我々としては、振動試験に合格した部品だけを使うことを購入の条件にしたいと考えています」


 今まで実施した振動試験では、はんだ付けの不良や部品の取り付けに緩みのあるような製造上の不具合も振動により検出できることが判明していた。当初は正常動作していても、振動を与えることにより製造時に紛れ込んだ不具合を炙り出せることがわかったのだ。


 ……


 昭和12年(1937年)4月になって、またも大佐が急ぎの要件があると言ってきた。大佐の席に出向くと、私の知らない大尉が真田大佐の横に立っていた。一瞬、足が止まったがすぐに敬礼した。


 にやりとした真田大佐が大尉を紹介してくれた。

「彼は根津大尉という。物理の専門家で、大学院の理学部で研究していたので技研内では会ったことはないだろう。今は鉱石を使った電子部品の研究をしている」


 軽く会釈をして根津大尉が話し始めた。

「根津新八だ。電波の周波数が高まると、受信部の安定動作のためには、今以上に検波器が重要になるだろう。最近はその研究をしている。検波器に限らず物質の物性を利用した素子は、これからいろいろな用途に使えると信じている。研究で意見交換することもあるだろう。よろしくお願いする」


 えへんと咳払いすると、真田大佐が話題を変えた。

「挨拶はこの程度でいいだろう。ここからが、本当の要件だ。急な話だが、欧州に我が国から技術視察団を派遣することになった。それで、君も私が率いる班の一員として参加してほしいのだ。この根津君も参加する。そのために急遽会ってもらうことにしたのだ」


 大佐が言い出す話はいつも急だ。内心驚いたが、心を落ち着かせて答えた。

「も、もちろん同行いたします。私が不在にしている間は、開発は技師の水間さんと日本無線の中島さんに任せることになりますが、よろしいですね?」


「現状でのマグネトロンの実験については、性能改善の方向性はほとんど決まっていると思う。進む道のりがおおむね決まっているならば、彼らが充分にやってくれるだろう」


 そもそも水間技師は、私よりもずっと先輩で電気研究部のいくつかの研究を実質的に取り仕切っている。新米の私なぞがいなくても、なんの問題もないだろう。

「評価中の新型マグネトロンの試験については、先輩に任せれば、実験は進められると思います。それで、日本からの出発はいつになるのですか?」


「あまり時間がない。来週には横浜から出港する。それまでに出発の準備を済ませておいてほしい。英国のジョージ6世の戴冠式に我が国から秩父宮雍仁親王殿下が出席されることは知っているだろう」


「新聞記事にも出ていましたよ。戴冠式の随伴員を含めた一行が、巡洋艦『足柄』に乗船して4月の初旬に出発したはずですね。今頃はシンガポールのあたりを航海しているはずです」


 真田大佐が説明した経緯を要約すると、戴冠式への出席に合わせて、イギリス側から軍施設への日本軍人の見学を許可するとの回答が来たというのだ。かねてから日本側が要望していた見学が受け入れられたことにより、技術分野も含めて視察団を追っかけで大至急派遣することになった。


 戴冠式に遅れては英国での見学もできなくなるので、後発の我々はイギリスへの航海日程を短縮するために、高速輸送船で太平洋を横断してパナマ経由で欧州に向かうことになった。そのためにニューヨークやヨーロッパ航路への就航が可能なように設計されて、昨年竣工したばかりの輸送船を海軍が借り受けた。我々が乗船する高速輸送船は、17ノットで欧州まで無給油で可能な国際汽船の「香久丸」と決まった。航続距離の長さを生かして寄港しないでイギリスまで直行すれば、30日以内に到着できるとの目論見だ。目算通りに到着すれば、先に出発した「足柄」に追いついて、ポーツマスに到着できるだろう。


 我々は、4月15日になって横浜から乗船した。今回の視察団には、電気関係以外にも航空や艦船の開発に関係した技術者も含まれていた。また、欧州で視察が可能となったことを聞きつけて、陸軍からも参加することになっていた。


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