第2話 ある日、森の中
トラックに
そうして初めての異世界で目を覚まし、辺りを見わたすと、そこは深緑のうっそうとした森で、まるで昔行った白神山地のブナ林のような光景が広がっており、近くにはザアっと川の流れる音も聞こえた。なによりも空気がきれいで、ひとたび深呼吸をすると身体中に染み渡り、どこまでも歩き続けられるような気がした。
俺は黒い服を身に付けており、非常に動きやすかった。そして背中にはまるで剣のようなものが備わっていた。なるほどこれが初期装備ってやつか。ひとまずニンゲンに会わなければ何もできないと思った俺は、ニンゲンが住む村を目指し、川沿いに山を下っていくことに決めた。
確かに、これはゲームみたいな世界かもしれない。
歩き続けても疲れがない。前の自分よりも、この世界の自分の身体のほうが丈夫だった。最初はまるでハイキング気分で川を下っていたが、途中で岩のごつごつした場所に出ると、奈落の滝に
「困ったな……」
仕方ないから
その時、俺の後ろの茂みが音を鳴らす。
「誰……?」
不意に足元を見て僕は肝を冷やした。ああ、なんで気が付かなかったのだろう。俺の歩いてきた川沿いの草むらの中に、巨大な生物の足跡があった。それは、はるか向こうにそびえる山の方へと続いている。
これほど巨大な生物がこの森の中にいるのだと思うと、とたんに怖くて仕方なくなった。そうして
獣に出くわすかもしれない。
もし肉食獣ならどうしようか。死ぬのか俺は。さっき死んだばかりなのに、また死ぬのかと恐怖でいっぱいになりながら、背中の剣に手を伸ばしていた。
何かが来る……俺は剣に手を置きながら二歩くらい後ずさりした。そして草むらの中から黒い影があらわになる。それを見て、いよいよ絶望する。
「ヒグマだ。」
ヒグマはゆっくりと川辺に
俺は背中の剣に手をかざしながら、恐怖で抜くことすらできず、腰をぬかして立ちすくんでいた。ヒグマはそれほど大きくない個体で、子クマのようにも思われたが、それでも真っ向から戦えばどうなるか。きっと俺はやつ裂きにされて殺されてしまうだろう。
死を覚悟した、次の瞬間だった。
「君は、誰だ。」
そんな声が聞こえた。俺は拍子抜けして、えっと思わず口を
「おまえ、誰なのさ。」
と、このヒグマしか周囲に生き物がいない状況で、しかもテレパシーのように頭に言葉が入ってくるので、間違いなくこのヒグマが俺に話しかけているのだと悟った。そして脳内でヒグマに対してテレパシーを送るイメージで、俺はもうどうにでもなれと、このヒグマにテレパシーを送ってみた。
「信じてもらえるか分からないんだけど。俺は、変な黒い犬ニンゲンにこの世界に飛ばされてやって来たんだ。だからこの世界のことは何にも分からない。元の世界では
「そうか、ならお前は転生者なんだな。」
クマはあっさりと言って、俺の方に歩み寄る足を止めた。そしてその場で腰を下ろすと、俺の方を向いたまま瞳をまっすぐ向けた。それでも俺は怖くてたまらなかったが、クマはもう一度テレパシーを送ってきた。
「始めまして。ぼくの名前はヴォイテク。ヒグマの子だ。君はニンゲンの
物わかりのいいヒグマだと思った。これも異世界だから通用することなのだろうか。ヒグマは、まるでついて来いと言わんばかりにのっそのっそと歩き出したので、俺も恐る恐る足を動かし、森を
最初は怖かったけれど、ヴォイテクは優しいクマで、俺も次第に慣れててくる。そのまましばらく歩き続けると、草むらの中に
「田中、ここは東の国のとある森なんだ。そしてこの道をまっすぐこっちへ進めば、風の村という場所に着く。風の村にはたくさんのニンゲンたちがいるから、きっと田中にとっても有意義だと思うよ。まずは、そこを目指すといいかもね。あと、田中って名前はこの世界ではなじみがなさすぎるから、他の名前を考えた方がいい。ぼくはこの先には行けない。クマはニンゲンと関わることのできない生き物だ。ぼくのお母さんも、ニンゲンといざこざで殺されてしまったから、田中、ここからはおまえ一人で行くんだ。」
「一人か、まあ、そりゃそうだよな。クマは人里には降りれないからね。ここまでありがとうヴォイテク。もっといい名前考えておくよ。」
「ああ、そうしてくれ。あと森の獣たちには十分注意してくれ。最近なんだか、森が騒がしくて仕方ないんだ。何が起こるか分からない。」
「分かった、気を付ける。」
そうして俺とヴォイテクは別れを告げた。クマを間近で見るのは怖かったし、今も少し怖いけれども、俺は誇らしい気分になった。どうやらこの世界は動物と話せる世界らしい。なんて素晴らしいのだろうか。
前の世界では動物のことなど
「じゃあね、田中。」
「ああ、お前も達者で。いつかまた会おう。」
別れ際、ヴォイテクは少しほほ笑んだような気がした。動物だからほほ笑むわけがないのだけれど、動物とは、こんなに感情豊かな生き物なのかと驚いた。俺は驚きと感動混じりに、ヴォイテクが森へ向かうのを見届けていた。しかし、次の瞬間だった。
「いやあっ!!」
俺の後ろの方から、それほど離れていないだろうか。空を
「ヴォイテク……!」
「うん!」
ニンゲンとクマ。形は違えど、俺たちは同時に駆け出していた。
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