第3話 風の子

「のって!」


 ヴォイテクは背中を向けて尻を地面につけたので、俺はその上に乗り、ヴォイテクの首元をがっしりと持った。すると、ヴォイテクは叫び声の方向へと、その力強い四肢ししで地面を蹴って走った。


 森の木々を華麗かれいによけ、草を踏み分けるその速さは、まるで車にでも乗っているようで、ヴォイテクの足の速さで俺たちはあっという間にその叫び声の元までたどり着くことができた。


 茂みの間から俺たちは顔をのぞかせた。そこに何かにおそわれて右腕を負傷した少女がいる。ニンゲンだ……俺がこの世界に来てはじめて見るニンゲンだった。


 なんてかわいらしい女性かと、俺はそのニンゲンに一瞬、見とれてしまった。


 少女は右腕を覆って辺りを見回していた。周囲には何もいない。しかしただごとではないようで、ヴォイテクが俺の背中を触って言った。


「獣の匂いだ。多分トカゲだと思う。でもただのトカゲじゃない、ひときわ大きなトカゲが三匹。たぶんリザードのたぐいだ。近くに潜んでいるよ、気を付けて。」

「リザードって、あのリザードか……異世界にいるっていう。」

「イセカイ……なんのこと?」

「なんでもない。」


 リザード、恐竜のような見た目をしたトカゲニンゲンだ。


「しかしお前、よく分かるな。俺には見えないのに。」

「へへ、ぼく鼻には自信があるんだ。それよりも、あの子を助けたいなら、早くしないと。あいつらは茂みから、気配を消して襲い掛かるのが得意なんだ。早くしないと、あの女の子は襲われて、食われてしまう。」

「そうは言っても、あんなのと戦うって……ヴォイテク、おまえヒグマだろ。俺より何倍も身体が強いんだから。先に言って様子を見てきてくれないか。」

「嫌だよ。田中、お前が行くんだ。」

「ヴォイテクは?」

「ぼくはニンゲンの前に姿を出したくない。良いことなんてありゃしないからさ。いまあの少女を助けられるのは、田中、お前しかいない。」

「いや、そうは言っても、確かに助けたいのは山々だけど。いいじゃんか。クマがぜんぶ悪者ってわけでもないだろうに……多少人間と関わっても、大丈夫だってば。」

「いや、やっぱりそれは怖い。」

「なんだよ、それ……」


 このまま俺があの少女を救わなければ、少女はきっとここでリザードに食われてしまうだろう。しかし怖かった。ヴォイテクが一緒ならまだしも、俺一人で、三匹のリザードを相手にして生還できるわけがない。この世界のリザードの相場は分からないけれど、前の世界のゲームや漫画に出てくるリザードの体長は二メートル。少なくとも俺と同じくらいの体格に達するのだから、下手に出れば、俺もあの少女の共々死ぬだけで、きっとなんの意味もない。


 ならば逃げてやろうか。そんなことをすれば俺は、そんな自分をきっと許せない。例え犬死でも、ここで飛び出せるような人間でありたい。ありたかった。そうやって、あと一歩が出ない。


「もう、田中!」


 ヴォイテクは吐き捨てるようにテレパシーで言う。


「田中、お前はあの子を助けたいんだろう?」

「そりゃ、そうだけどさ……」

「なら助けに行くしかないよ。田中、後悔したらダメだ。」

「とは言ってもさ……」

「もう、じれったいなっ!」


 そう言ってヴォイテクは、俺の身体を後ろから腕で小突こづいてきた。無論、クマの小突きはニンゲンにとっては強すぎるもので、俺は情けなく茂みから前へ吹き飛ばされた。


「うわあっ!」

「大丈夫だ、頑張れ。」


 そうして前に倒れ込みながら、その少女の前に醜態しゅうたいさらしてしまった。


「おいバカ、何してるんだよ!」]


 ヴォイテクは茂みの向こうから出てくる素振りを見せない。だとすれば、俺はリザードのおやつになりに来ただけじゃないか……心なしか、背後から視線を感じるような気がする。全身に悪寒が走った。その時


 バサァ……!


 茂みから少女をめがけて、三匹のリザードが物凄い勢いで飛び出してきた。恐竜のような頭に、ゴブリンのような緑の身体。その牙を剥き出しにして、俺と少女に向かってくる。


「ほらいわんこっちゃねえ、ヴォイテクのアホ!」


 俺はやけになって叫んだ。ここまでだ。俺も、この少女も、三匹のリザードのおいしい昼下がりのごちそうになるだろう。あでも僕はそんなにガタイが良くないから、きっとおいしくないから食べないでね、それよりもあそこに潜んでいるクマの方がおいしそうだぞ。なんていう命乞いのちごいを俺は心の中でしつつ、いよいよ食われるのだと死を覚悟して目をつむった、その時だった。


 どどどどっ……!


 凄まじい突風が吹き荒れて、俺はたまらず両手で顔を覆った。


「もう、逃げるなら逃げて! 私を助けたいなら、もっとしっかりして、情けない!」


 この可憐かれんな少女との初めてのやりとりだった。


 突風の勢いはすさまじかった。茂みを飛び出したリザードたちは、その猛烈もうれつな勢いにね返され、地面にばったばったと倒されてしまう。


 よく見ると、リザードたちの緑の皮膚ひふに、たくさんの白い傷がついている。まさか風が俺たちを助けてくれたのだろうか。神風のような。それにしてはあまりにも不自然だ。


「君は、何者なの!」


 俺が思考をめぐらせていると、少女が叫ぶように言った。少女は左手を前にかざし、まるで魔法使いが魔法を打ち終わった後のような恰好かっこうをしていた。


 その声は少しハスキーだが凛々りりしく女性らしく、大きな目は少し緑がかった色をしており、まるで緑の宝石のようであった。見た目は二十歳はたちくらいに見える。身長は平均的だが、線が細く、手足の長さが目立つ。白く滑らかな肌と、その顔にはかすかにがあり、北欧の民族が着けているような白いかぶり帽の下には、少し緑がかった黒髪が艶やかに光を放っていた。


 彼女がまとう服にはナルトのようなうずまきの刺繍ししゅうが数多くほられていた。まるでアイヌ民族の着物のようだ。ああ、美しい。俺がその少女に抱いた感情だった。


「あの、今の風って……?」

「説明しているひまはないよ。ほら早く立って、やつらまた来るよ!」


 少女がまた叫ぶやいなや、リザードたちは相当腹を立てた様子で、俺たちめがけてまっすぐ突撃を敢行かんこうしてきた。俺はとっさに背中の剣を抜いたが、自分よりも大きなリザードたちの突撃を止められる気がしない。


 グワアアアア!!!


 その時、茂みから獰猛どうもうな獣の声が聞こえたと思いきや、大きな黒い影がリザードのうち一匹に横から襲い掛かり、地面に押し倒してしまった。ヴォイテクだった。


 ヴォイテクはその鋭い爪と牙をリザードの首元に食い込ませていた。体格はヴォイテクの方が劣るが、その勢いはヒグマさながらで、確実にリザードの喉元のどもとを引き裂いていた。ヴォイテクの突撃により、残り二匹のリザードは少しひるんだ様子で、俺たちに向けられていた鋭い目がヴォイテクの方に向けられる。


 今度は少女が、それを見逃さなかった。


「今だ……っ!」


 後ろで少女が呟いた。すると少女は左手の人差し指を立てて、銃のようにして顔の横に構えると、何やらそこに覇気を込める仕草をする。すると、その人差し指の先が心なしか白くにぶく光ったと思いきや、少女はまるで拳銃を放つように、狙いすましてその光を撃つ。すると、先のような猛烈もうれつな風が俺たちの周囲に吹き荒れる。


風銃エアロ・ライフル……!」


 風魔法・風銃エアロ・ライフル……空気を圧縮して解き放つ一発の銃弾は、暴風が吹き荒れるかのごとくひゅうひゅうと音を立て、解き放たれると、ヴォイテクに気を取られた一匹のリザードの首元に命中し、深く食い込む。そのまとう風の威力いりょくはすさまじく、深く食い込んだ銃弾で、赤い血が周囲にこれでもかと飛び散る。


 グエエエエエエ!!


 風銃エアロ・ライフルを喰らったリザードはしばらく千鳥足ちどりあしになると、やがてその場に倒れてしまった。仕留めた。一匹はヴォイテクが仕留め、もう一匹はこの少女が発した謎の銃撃で仕留め、そしてもう一匹は、それを見て逃げるように去っていく。


「助かった……」


 俺はほっと息をついた。安心すると疲れがどっと襲ってくる。俺はその場で腰を下ろすと、その場で天をあおぐように倒れ込んだ。まだ日は高く、青いままだった。


「君、わたしを助けようとしてくれたの?」


 少女があお向けになる俺の横に座り込んで言った。少女は地面に落ちている弓を拾い上げる。しかし矢は全弾使い果たしたのか、一本も残っていなかった。怪我をして右腕は赤く染まっていたが、それでも少女は晴れ晴れとした様子で、俺と同じ空を見上げていた。


 気付けば、ヴォイテクの姿はどこにもなかった。ああ、あいつ、まだお礼も言ってなかったのに……


「ありがとう。助けてくれて。」

「ああ、いや、たまたま森の中にいて、悲鳴が聞こえたんだ。正直、とても怖かったけど、助けたいと思っていた。そしたら茂みから身体が飛び出しちゃって、死んだって思ったよ。」

「ふふ、随分ずいぶんとドジな登場だったもんね。でもありがとう。」


 少女はその可愛い顔を赤くしながら、にこっと笑った。胸がどきっとした。


「初めまして、私は風の村のフウコといいます。」

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