第45話 置いてきた過去の、その先は

「シアが以前に剣をうまく扱えなかったのは、この独特なかたのせいかもしれない。俺たちが使うノーマン家の剣術は一見すると正統派の宮廷剣術にちかいのだけれど、その形にはいくつかタイプがあるんだ。一般的な中段の構え、上段の構え、下段の構え。それから、突きに特化した——」


(へー、教え方が違うと、こんなにも違うのね)


 セレンは実践を交えながら、すんなりと不自然についた癖を矯正し、正しい姿勢へと導いてくれる。

 その見事な手腕に、シアは本気で感心したものだ。

 それと同時に、心の中で懐かしくも憎たらしい友を、思う存分こき下ろす。


(ふふん。やっぱり私の出来が悪かったわけじゃない。アッシュの教え方が悪かったのよ)


 できることならば過去に戻って、アッシュを跪かせながら言ってやりたい。『こんなことだろうと思った』と。

 実は、才能がないとまで言われたことを、ちょっぴり根に持っていたのである。


(まあそんなことは無理だから、今回の人生でたっぷり痛い目を見せるので我慢しよう)


 アッシュに会いに行くのはまだまだ先の予定だが、それが少しだけ楽しみになったシアだった。




 * * *




 昼過ぎ。基礎を一通り実践した後、軽く手合わせをして、今日の訓練は終わりだとセレンが宣言した。

 体力づくりの鍛錬とはまた違った疲労感が全身を満たしたが、マナの満ちた場所だけに気だるさが少しだけ心地よくも感じる。


「じゃあ、お昼にしようか?」

「はい! 今日は料理長が張り切ってくれたので、デザートまでありますよ」


 シアがぱちんと指を鳴らすと、収納していたランチセットがふわりと出現する。

 かつてアイガスたちはこの魔法に目を丸くしていたものだが、魔法使いたちと生活するセレンにとっては見慣れたものだ。

 「やっぱり便利だな」と微笑みながら、てきぱきと敷物を広げ場所を作ってくれる。


 やがて美味しいサンドイッチとチェリーパイ、それに芳醇な香りの紅茶を堪能したシアは、片づけをした後で敷物の上にゴロンと横になった。


「はぁ……お腹いっぱいです」


 行儀が悪いといわれるかとも一瞬思ったが、意外にも、セレンも並んで仰向けに横たわる。


「なんだか眠くなっちゃいますね」

「はは、そうだね」


 衣擦れのようにさわさわと木の葉同士がこすれてたてる涼やかな音と、頬をなでるそよ風が心地いい。

 祝福のような木漏れ日を顔に受けながら、当初とは違い静寂が胸に満ちてくるのをシアは感じた。


(こうやって少しずつ、嫌な記憶はいい記憶で塗り替えられる。たとえ過去に何があったとしても)


 少しして、シアは視線を宙に向けたままこう問いかける。


「兄様も、夢はまだ見ますか?」


 オクルスの権能が及ぼす悪夢は、まだ見るのかと。

 囁くようなシアの問いかけに、静かな答えが返る。


「なにか知りたいことがある?」


 セレンの声は穏やかで、果たしてこれを聞いてもいいのだろうかと戸惑いがよぎる。

 けれど、必要な情報は得ておかなければならない。


「……はい」

「何が知りたい?」

「私が知らない、その先の結末を」


 シアはあのとき、禁忌の魔法を使用して一度目の人生を終えた。とはいえ、未来はどこまでも続いている。


(王位争いはどうなったのだろうとか、アストレア様はあの後どうなさっただろうとか。王后や黒魔法使いテネブレの結末は、どうなっただろうとか……)


 過ぎたことだと言えばそれまでだ。だが、シアは知っておきたいのだ。


「それとも、いくら神の権能とはいえ、そこまでは見えないものでしょうか?」

「そうだね。はっきりとした結末まではわからないかな」


 セレンは木の葉の向こうに視線を投じたまま、ぽつりぽつりと、自身が視た『夢』の内容を語った。


「ただ、あまり良くない未来だっただろうとは思う」


 セレン曰く、オクルスの力はすべての未来を映像として映し出すのではないらしい。

 ところどころぼやけていたり、戦場を眺めていたと思ったら突然王宮に場面が飛んだり。周囲の音が耳をかすめていくだけだったりと、様々なのだとか。


「まるで誰かと五感を共有しているような感覚、ということですか?」

「うん。自分では場面を操作することができないから、もしかしたらエタムか他の神々か、他者の五感を共有する能力なのかもしれない」


 ただ、オクルスの権能には記憶を読む力もあるらしく、意味をなさない夢とシアを通してみた魂の記憶とをつなぎ合わせ、セレンなりに道筋を立てたらしかった。


「おそらく、第一王子殿下があのような亡くなり方をしたために、一部の諸侯が蜂起して内紛へと発展したのだろう」


 王都へ向かって各地から進軍する兵団。おそらく反乱を陽動したとして、王宮に軟禁されていく重鎮たち。

 魔塔はルヴォン侯爵家を介して王家側についたために、反乱軍の討伐に駆り出されたという。


「反乱軍のせん滅を目的とした魔法はすべてを容赦なく薙ぎ払い、やがて神が天罰を下すように冷害が地上を襲った」


 内紛によって土地が荒廃し、穀物の収穫量も激減していたところに凶作だ。

 餓死者の数は数千にも及び、とうとう教会が介入する事態となった。


「夢は、崩れた王宮の胸壁から、民衆に向かって旗を掲げる一人の女性の姿で終わりを迎える。それ以上はいつも見えずに目が覚めるんだ」

「……その女性の容姿はお分かりになりますか?」


 もしかしたらと、一人の女性の姿が浮かび、シアは問いかける。


「榛色の髪、あるいは金色の瞳をされていませんか?」

「いや、容姿まではぼやけてはっきりしないけれど、そうだな……白い法衣のようなものを着ていらしたから、聖女様なのかもしれない」

(やっぱり。アストレア様が)

「まるで、公国が併合される以前に王国で起こったという、内紛の結末そのままですね」


 しかもセレンの話しぶりでは、今回はさらに悲惨だ。王家は滅び、都市は荒廃し、文明は消え失せたのだから。


「——最後に残ったのは『混沌』……」


(なんだか、そうなるように誰かが導き仕向けたみたい。……いいえ。誰か、ではないわね)


 ラギメスだ。

 思い返せばあの神は今回の騒動に深く関わっている。


(でも、何のために?)


「この王国の破滅が黒魔法使いの望みだったのでしょうか?」

「いや、多分違うと思う。そうであれば先に宿敵である聖女を襲ったはずだ。それにいくらラギメスでも、そんな大それた願いを叶えるはずがないと思うよ」


 そもそもラギメスは、いくら破天荒でも神の一員。それもアウラコデリスに最も近いとされる六神の一柱だ。

 王国の各地には神々の時代を記した碑石が存在する。それによると、この世の神は全て偉大なる母アウラコデリスによって生み出された存在なのだ。


「アウラコデリスがこの世界を創造したとき、最初に天を、次に大地と海を生み、その息吹で大気を満たして、最後に混沌を創造した」


 そしてその五つに自らの権能を分け与え生まれたのが五柱の神々であり、五柱の神とアウラコデリスの一部から生まれた『正義』の神・ユースティティアを合わせて六神と呼ぶ。


「その後もアウラコデリスは、エタムをはじめとする様々な神を生み出した。けれど、いつでも六神は特別な存在だ。アウラコデリスが去った後の地上、つまり人間たちの世界を監督する役割を引き受けたのだからね」

「それが創世時代から神話時代への移り変わりでしたよね」


 やがてすべての神々がアウラコデリスに続いて地上を離れるまで、神話時代は続く。

 そのあとは人間の時代となり、歴史書に記されたとおりだ。

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