第41話 始動-2

「いい加減になさい、お前たち」


 決して大きな声ではないのに、良く通る穏やかな声だ。

 虹色に透き通るステンドガラスを背負うように、踊り場に現れたのは二人の人物である。


「放っておくとすぐこれなのだから」


 白髪を綺麗に撫で付けた老魔法使いが、呆れたようにため息をこぼすその傍らで、王国では珍しい青い髪の異国風の顔立ちの青年が、どこか気だるげに肩を竦める。


「仕方ありませんよ、アルシェ様。あいつらは正真正銘の変態なんですから」


 シアの心の声をさらったかのように、青年・ラナイは同僚たちをそう評す。

 彼の皮肉ががった一言に、当然その自覚のない緑玉はかっと気色ばんだ。


「なっ、わたしたちが変態ですって!?」

「聞き捨てならんな! ラナイ!」

「我々が変態なら、お前はなんだ!」


 だが痛烈な批判にも、飄々とした彼はどこふく風である。


「あー、常識人?」


 気の抜けた口調で首を傾げるその姿は、なんとも皮肉めいている。

 それに勢いよく噛みついたのは、シアの背後に立つ銀髪の女性魔法使い・オルタだった。

 直系ではないものの、フエゴ・ベルデの血を引く彼女は、感情の起伏に合わせて淡い緑柱石の瞳をゆらりと揺らす。


「はあ? 誰彼構わず人を実験台にしまくるあんたが常識人なら、私たちは偉人級の常識人よ!」

「え、なに? ちょっと言ってる意味がわからない」

「真顔で引くな! 余計にムカつく!」

「ははは」


 目くじらを立てて反論するオルタへおちょくった笑い声を返し、ラナイは穏やかな表情で「でもさ」と続ける。


「冗談は抜きにしても、いまの姿を鏡を見てみなよ、オルタ」

「は?」

「君たちが興奮しすぎた野生馬かってくらい変態臭く突進してくから、公女様が引いてるじゃん」

「う、な……!?」


(あ、それはそう)


 思わず心の中で同意してしまったシアの背後で、オルタが声を震わせた。


「わ、私たちのどこが……はぁ、興奮しすぎた、野生馬ですって!?」

「だからそういうとこ。目が血走って、呼吸が荒くて、はぁはぁしながらにじり寄ってくるって、どこからどう見ても興奮した野生馬じゃなかったら、立派な変質者でしょ」

「こ、これは……! ただ、叫びすぎて……息が、上がっただけで」

「叫ぶだけで息が上がるって、どんだけ脆弱なん」


 肩で息を始めたオルタに「やれやれ」と言わんばかりに手を広げて首を振ると、ラナイは底意地の悪い瑠璃色の瞳を、今度はシアに向けてきた。


「ね、公女様もそう思われますよね?」

「へ」


(なぜこっちに振る!?)


 もはや嵐が過ぎるまでまともな話は無理かと、諦めの境地で激しい応酬を眺めていたシアだったが。突然巻き込まれ、思わず心の中で突っ込んでしまう。


 喧々轟々とやり合うラナイとオルタに挟まれているだけでも厄介なのに、これ以上の面倒ごとはごめんだ。


「こ、公女様も……オルタのことを変質者だとお思いですか!?」


「え、そんなことはありません。オルタは美人ですし、最年少で緑玉になった努力家ですし、変質者だなんて……」


 なるべく無邪気に見えるよう、シアは必死に愛想笑いを浮かべてみせる。それが功を奏したのかはわからないが、とたんにべそべそと泣きつかれてしまった。


「公女様ぁ!」

(ああ、もう。そう言うところ……)


 シアは遠い目になりながら、助けを求めてちらりとイリオスを見上げる。

 誰かを慰めるなんて、慣れてない。

 だが頼みのイリオスには、さりげなく視線をそらされてしまう。


「あー、みんな、本当にシアが大好きだなー」

(全然心がこもってない!)


 こういうことはイリオスも苦手だ、というか、絶対に面倒臭がっている。


(くっそう、ラナイめ。いい趣味してるわ)


 ひしと抱きついてくるオルタの柔らかな銀髪をおざなりに撫でながら、シアは呑気にあくびをかみ殺しているラナイを見て、様々な言葉で彼を呪った。

 もちろん心の中だけで、ではあるが。

 もとを正せば彼のせいである。


(オルタを揶揄うために私を巻き込まないでよ。意地悪がたたると、後で自分の身に降りかかるんだからね!)


 このふたり、緑玉一仲が悪いことで知られているが、本当は好意の裏返しだということをシアは知っている。

 最後のあの日、オルタが「素直になればよかった」と後悔したことも。


(……それに、みんながどれだけ私のことを大切に思ってくれているのかも)


 懐かしい人たちと言葉を交わしたからか、シアの眼裏にあの日の光景が蘇る。


『——さあ、公女様。ここは我々に任せて公子様とともにお行き下さい』


 あのとき、シアとセレンが迫りくる魔法から逃れられたのは、自らを盾にして守ってくれた彼らがいてくれたからだ。


『なあに、そんなに心配なさらなくとも、あの馬鹿どもは一発吹き飛ばしてやれば正気に戻りますよ』

『目を覚ましたら絶対に、あいつらの首根っこを掴んで連れていきますから。そのときは厳しく叱ってやってくださいね』

『我らが愛しの公女様。あなたの健やかな成長を、緑玉はいつまでも願っておりますよ』


 慈しみと悲しみをはらんだ声を耳の中に聞きながら、シアは改めて、再び口喧嘩を始めた全員の顔を見渡した。

 たとえ普段はラナイが言うように引くほど変態臭くても、彼らに代わるものなんてない。この騒々しさも、生きていればこそだ。


(昔は仲が悪いのかって心配したけれど、喧嘩するほど仲がいいって今ならわかる)


「表に出ろ、ラナイ! 今日という今日は決着つけてやる!」

「はは、君たちの誰も、今まで一度も勝てたことないくせに?」

「言ったな!」

「……」


 まあ、うん。

 魔法使い同士の喧嘩は規模が違う。

 早速シアから離れたオルタを始めとして、周囲を破壊しつくすような魔法合戦が始まり、シアはそっと現実から目をそらす。

 多少建物の風通しがよくなったとしても、まあ問題はないだろう。


(緑の館全体に、あらゆる異常を感知し正常に戻すような魔法がかけてあるし。跡形もなく吹き飛ぶような事態にならない限り大丈夫)


 とは言え、そろそろここへ来た本題に入りたいのだが。

 シアがそう思ったのと同時に、杖を突く音が聞こえた。

 ゆっくり階段を下りてくるのは、緑玉の中でも年嵩の魔法使いアルシェだ。


 彼は型破りな魔法使いたちの中にあって、唯一の常識人。そして元魔塔の魔法使いでありながら、緑玉を束ねる三人の元老にまで登り詰めた、異色の経歴をもつ人物である。


 彼はシアたちの傍らに立つと、離れた場所で魔法の応酬を始めた部下たちへ諦めの眼差しを投げた。それから、そっとため息を零す。


「イリオス様、公女様。あの阿呆どもは放っておきましょう」

「……まあ、アルシェがいいなら」

「ええ、いいのです。馬鹿は死んでも治らないと申しますか……どう教育しようとも血気盛んな部分だけは治らないようで。いつまでも子供で困ったものです。幼い公女様のほうがよほど大人びてみえる——」


 そう言ってシアと目線をあわせた瞬間、アルシェは目を瞬いた。

 それから優しい灰色の瞳を細め、ふっと微笑む。


「……公女様はしばらくお会いしないうちに、ずいぶんとされたようですね」

(うっ)


 穏やかな物言いではあるが、なんとも含みのある言葉だ。


「お子の成長は早いと申しますが、ほんのふた月ほどの間に、まるで一足飛びに大人になってしまわれたようだ」

「あ、ははは……」 

(あー、もう。緑玉の中でもアルシェは特に目が良いものね)


 好々爺と笑うアルシェに、シアは心の中であちゃあと額を叩く。

 一目見ただけで、あっさり見抜かれてしまうとは。


(でもまあ、イリオ兄様に見抜かれた時点で、わかっていたことだけど)


 魔力は人と同じで、経験や年齢と共に成長していく。

 魔力の質が磨かれるというか、純度が高まるというか……。

 だからわかるひとには、魔力を見ただけで魂の成熟度がわかってしまうのだ。


 しかも外の世界を知っている魔法使いだけあって、アルシェはとても見識の高い魔法使いだ。

 その才能を買われ、緑玉だけでなくシアやイリオスの師匠せんせいとして教鞭をとっているほどである。


(うーん。アルシェは優しいけど、魔法に関してはお父様なみに厳しいからなぁ)


 彼が最初の授業でまず教えることは、魔法の持つ危険性と『禁忌は決して犯してはならない』という、魔法使いの理なのである。


(ばれたからには、どんな小言が待っているか……)


「ふふふ。まったく、長生きはするものですな」

「?」

「緑玉としてこの地に迎え入れられてからはや数十年。それ以前にもたくさんの、個性的で勇敢で、魔法使いと接してきましたが、公女様のような方は初めてです」

「……」


(なんだ。てっきり怒られると思っていたけれど、余計な心配だった?)


 心なしか無謀と言う部分に力がこもっていた気がするが、皺だらけの手でシアの頭を優しく撫でる彼はとても嬉しそうだ。

 好意的なこの反応には少しだけほっとした。

 だが——。


「公女様。あなたはそのような素晴らしい魔法を、いったいどこで身につけられたのでしょうね」

(うん?)


 シアの身長に合わせて屈みこんだアルシェの瞳が、剣呑に光る。


「いいえ、今ここですべてをお話になる必要はありません。魔力を失われた経緯についても。あとで時間を取りますので、じっくりとお話をお伺いいたしましょう」

「……」

(えー、と?)


 なんだか怪しくなっていく雲行きに、シアは戸惑った表情を浮かべる。


(なんかこれ、喜んでるんじゃなくて、めちゃくちゃ怒ってるんじゃ……)


 シアの隣で事の成り行きを見守っていたイリオスも、ぼそっと「やべえな」と呟くのが聞こえた。

 だって、アルシェの頭に角が見える。


「ほほほ。公爵様がお許しになっているのですから、そんなに緊張なさらなくてもよろしい」

「うっ」


 ぽんと、思いの外がっしりした手でシアの肩を叩いて、アルシェがゆっくりと身を起こす。が、含みのある眼差しは変わらずだ。


「もちろん公女様はわたしの生徒ですから、包み隠さず話してくださることでしょう」

「……」

「ええ、それはもう。どんな無茶なことをやらかしたのか、教えを破ったことまで包み隠さずに、ぜんぶ」

「……うん」


 こうも圧を込めて言われたら、さすがのシアも神妙に頷くしかない。

 だから見かねたイリオスが仲裁してくれた時には、シアは心の底から兄に感謝した。


「あ、あー、アルシェ。ほどほどにな?」

(イリオ兄様!)

「それで、昨日渡した魔道具の製図のほうだが——」

(はぁ、なんだかどっと疲れた)


 アルシェの注意がそれたことで緊張を解いたシアは、がっくりと項垂れる。


(こりゃ、お説教は免れないわね)


 アルシェの説教はとにかく長い。イリオスが東の塔を爆発させたときは、二時間も延々と彼のお小言を聞かされた。

 それよりも禁忌のほうが遥かに重大事件だから、おそらく過去最高を記録するだろう。


(まあ、でも……それだけ私を心配してくれてるってことだし、ね)


 禁忌が禁忌たる所以は、その代償が計り知れないものであるのと同時に、術者自身をも犠牲にするものだからだ。

 つまりアルシェがこうも静かな怒りを見せたのは、シアの身を案じてのこと。

 それがわかっているからこそ、お説教の一つも受け止めねばと思う。


(それにアルシェは、仕える公爵家が滅んでも、エスメラルダを守るためにこの地へ残ってくれた……)


 当時聞いた話を思い出し、シアは改めてアルシェや緑玉の忠義心を噛みしめる。

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