第42話 始動-3
実は公爵家襲撃の後も、生き残った緑玉が数名いるのだ。
といっても、事件に居合わせた者たちではない。他の任務にあたっていて、領内の離れた場所にいた者たちである。
彼らの中には、異民族のラナイを始めとした領外の出身者も含まれていて、「その者たちが手引きしたのでは」という噂もたったそうだ。
(でもきっと、アルシェが一番に疑われたはず。彼は魔塔出身の魔法使いだから)
しかも、意見の相違から破門を言い渡されたとはいえ、一時でもあの魔塔主マギステルと、次期魔塔主の座を争っていた人物だ。
そう聞けば、邪推する者は後を絶たなかったはずだろう。
けれどどれほど疑いの目を向けられようと、肩身の狭い思いを強いられようと。
アルシェを始めとした生き残りの全員が、最後までエスメラルダの守護者であり続けてくれたという。
(契約主である公爵家の人間をすべて失った時点で、彼らを縛る誓約は効力を失った。衰退していくエスメラルダを捨てて、どこでも自由に生きることができたのに)
火の洗礼を受けた緑玉やフエゴ・ベルデの直系は、公爵領を囲む保護魔法の対象にはならない。
その秘密は、もちろん彼らも知っている。
だが彼らの誰一人として、緑の館を後にする者はいなかった。
それどころか、魔法使いの多くを失ったことで機能しなくなったインフラを再整備し、この極寒の北部で育つ農作物を開発し。これから先、少数の魔法使いでもエスメラルダが存続できるようにと、様々な策を講じ続けた。
もちろん、緑玉の存在を聞きつけた国内の貴族や近隣諸国の王侯貴族が、彼らを引き抜こうとしなかったはずがない。
アルシェに至っては、魔塔が破門の取り消しを打診したというほどである。
緑玉はかつて、王国軍すらも恐れさせた集団だ。そこに名を連ねる魔法使いであれば、フエゴ・ベルデの秘術がなくとも最高の魔法使いであるに違いない。
そう邪推してのことだ。
しかし、下心を宿した輩がどんなに破格の待遇を差し出そうと、相応の地位を約束しようと、彼らが興味の一片たりとも示すことはなかった。
彼らの答えは一貫していた。
『緑玉の主はフエゴ・ベルデのみ。秘術を口外せず、魔塔に属さず、緑の館で終生を迎えるエスメラルダの守護者であり続ける』
だから、緑玉としての矜持を貫き忠誠を示してくれた彼らに報いるためにも、シアは絶対に未来を変えるつもりだ。
(もう誰にも、何も奪わせたりはしない)
「——というわけで、あと少し手直しをして情報を解析できない仕組みを施せば、王都でもどこでもすぐに買い手が殺到することでしょう」
昨日のうちにイリオスが元老の三人へ渡しておいた製図について、アルシェが考察を述べ終える。
それからシアへと視線を移し、「素晴らしいことを思い付かれましたね」そう言って目元を和ませる。
もはや彼に隠し事をするつもりはないので、シアは満面の笑みでその称賛を受け入れた。
「へへ」
(アルシェのお墨付きがあれば、魔道具は問題ない。となれば、私は緑玉を鍛える方に注力できる)
その対象である緑玉たちへ視線を向け、シアは考察する。
(魔法の素養はもともと持っているから、重点的に鍛えるのはずばり体力と筋力、それから経験ね。優れた体に優れた魔力が宿るもの……例えば、ラナイみたいに)
彼らの喧嘩もそろそろ勝敗が付きそうだ。
「くっそう、どうしてお前なんかに」
「ひやぁぁぁ! ち、血が上る……」
「くっ、おろしなさいよ、この馬鹿ラナイ! 」
「あーはいはい」
完全にしてやられた緑玉は、なすすべもなく宙吊りにされている。彼らを拘束し吊り上げているのは、魔法で編まれた無数の糸だ。
一本一本は細く繊細なのに、力でも魔力をもってしても解くことができないらしい。
「くっそう、なんでこんな蜘蛛の巣みたいな糸が断ち切れないのよ!」
「知らないの? 蜘蛛の吐く糸って、場合によっては鋼鉄よりも丈夫らしいよ?」
「そういう雑学はいらない!」
(ラナイ一人に対し、相手は十五。それでも歯が立たないか)
この結果にシアは驚いたりはしなかった。
(まあ、予想通りね)
圧倒的に勝てる状況であったのに、彼らがラナイに負けた原因はずばり、魔力の純度の差だ。
フエゴ・ベルデの血を引くオルタやここエスメラルダで生まれた魔法使いと比べると、ラナイは魔力量が少ない方だ。けれど圧倒的に魔力の純度が高い。
(ラナイは自力で魔法を習得した努力型。その出自のせいで魔塔に所属することは叶わなかったけれど、その魔塔で魔塔主候補と目されていたアルシェが認めた一番弟子だもの)
エスメラルダという恵まれた環境でぬくぬく育ったオルタ達が、太刀打ちできるはずがない。
(魔力の質はつまり魂の質。人生経験や精神性が反映される。それに、器となる肉体の強度も重要だから、ラナイのように体を鍛えているか、そうでないかも実力に差が出るのよね)
同じレベルの魔法使いが同じ出力、同じ魔力量、同じ魔法で岩を狙っても、貫通するか粉砕するか、結果が分かれるのはこのためだ。
(緑玉は攻撃範囲のでかい上級魔法に頼っている分、全体の魔力錬成がおろそかになって脆い。魔獣の群れを一気にせん滅するならばともかく、標的がラナイ一人なら最小限の初級魔法で十分)
かつてのシアがそうであったように、真に優れた魔法使いは、最小限の魔力と純度の高い魔力で相手を圧倒するものだ。
(まあ、たいていの魔法使いは難易度も高く、規模も大きな上級魔法を使いたがるものだから、緑玉が特別ってわけでもないんだけれど)
けれども今の戦い方を見る限り、緑玉は特にその傾向が強いようだ。
(これも、才能と魔力に恵まれているが故の反動ね)
フエゴ・ベルデに伝わる秘術の一つに『大気中からマナを吸収する方法』がある。これを習得した緑玉は、魔力切れを心配することもなく大技を連発できるというわけだ。
(けれど、魔法に頼り切りな半面、攻撃が単調なのよ)
いまのままでも緑玉は十分強い。しかし体力は言わずもがな。『戦闘経験という点で、まだまだ未熟さが残る』というのが、シアの見立てであった。
(やっぱり、ここで実力を知れてよかった。いずれはオーラ―マスターである緑影と模擬戦をさせて、戦い方を学んでもらおうと思っていたから)
当面は体力と精神面を鍛えるのが先だ。
(さて、ちょうどけりもついたみたいだし……)
ちらっとアルシェに視線を送ると、彼が頷く。
今後の計画については、昨日イリオスが製図を渡すときに伝えてくれてある。
鍛錬の必要性についても心得たアルシェがいるので、シアがいまさらその効果を説明する必要もない。
(『健全な肉体も優れた魔法使いの証』。アルシェの口癖だったものね)
「ラナイ、そろそろお遊びは終わりにしなさい」
そのアルシェがよく通る声でそう告げると、緑玉を宙吊りにしていた魔法の糸ぱらりと解ける。
「あ」
「!」
油断していたところでいきなり拘束を解かれた大半は、そのまま重力に負けてぺしゃっと床に落とされた。
——ドサ! ドサドサ!
「う、わあ!」
「ぐっ」
「お、もい……」
上がった悲鳴と惨状に、シアは思わずびくっと片目を瞑った。
(いったぁ……)
とくに、一番下敷きになったホセは潰れたカエルのように伸びている。
「ラ・ナ・イ~~!」
「いや、俺のせいじゃないし」
濡れ衣にしれっと反論すると、ラナイは自らの師を振り返る。
「アルシェ様?」
「ラナイ、私はそろそろルードベキアとロマの監視に戻らなければ。あの二人を放っておくと、新たな魔法式でとんでもないことをやらかすでしょうから」
「ああ、イリオス様が渡された製図を見てから、色々と実験したそうにそわそわしていましたもんね」
ルードベキアとロマは、アルシェと同じ、緑玉を束ねる三人の元老だ。
ふたりは生粋の魔法使いというべきか、魔法と真理の追究以外には興味がなく、新たな題材を見つけるたびに周りを巻き込んだ実験を繰り返すという悪癖がある。
そんな二人にとって魔道具用に渡した新しい魔法式は、弄って解析して、この正体を解き明かしたいと、大いに欲求を刺激されることだろう。
(ルードベキアとロマの暴走を止められるのは、お父様以外には、アルシェだけだものね。苦労が絶えないわね)
「では、イリオス様、公女様。あとはラナイに何なりとお申し付けください。例のあれも、彼に預けてありますので」
「ああ」
「ラナイも、後は頼みましたよ」
「はい」
シアとイリオス。それからラナイを順番に見た後で、アルシェは最後に床に積みあがった緑玉へ視線を移す。
彼は透き通った灰色の瞳をすっと細めると、「くれぐれも、くれぐれも、イリオス様と公女様を困らせないように」と強く念を押して、例のふたりが待つ二階の研究室へと階段を上っていく。
それとすれ違うように傍へやって来たラナイが、イリオスとシアへ問いかける。
「じゃあ俺たちも、さっそく場所を移しますか」
「ああ、そうだな。——ほら、お前たち! いつまでも床に伸びてないで行くぞ。昨日言ったように、今日からみっちり特訓だ!」
いっこうに動く気配を見せない緑玉へイリオスが活を入れに行く傍らで、ラナイがその手をシアへ差し出す。
「お手をどうぞ、公女様」
「うん」
鍛錬のためにイリオスが騎士団から借りた訓練場は、始まりの森の敷地内にあるとはいえ、少しだけ距離がある。
シアが差し出された手をそっと握ると、ラナイは移動魔法で目的の場所へと飛んだ。
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