第40話 始動-1

 翌朝、目を覚ますと隣にセレンの姿はなかった。


 枕を抱いて俯せになったイリオスはといえば、いつの間にか結晶石を手にして、ふんふんと鼻歌を歌っている。呆れるほどにご機嫌だ。


(あ……枕の下に隠しておいたのに)


 だがまあ、手の平で転がしたり光に透かして、魔力の濃度を確かめているだけの様なので放っておく。

 吸収してしまえば、観察することもできなくなってしまうのだから。


 そのあと各々の部屋で着替えを済ませた二人は、一階の食堂で母と三人で朝食をとった。

 セレンと父は昨日に引き続き、すでに家臣たちとの会議のために出かけたあとだった。


(残念。紅結晶を吸収するところを見せてあげたかったのに)


 朝食後。

 ちゃっかり自分のものにしようとしていたイリオスから紅結晶を取り返し、シアは鉱石に蓄えられている魔力を取り込んだ。


 手の平に乗せた紅結晶はわずかな魔力を注ぐと、ルビーのような色鮮やかな赤い光を放つ。やがてその光も薄れて消ええていき、色を失った結晶石は、パキッとひび割れて最期には塵も残さず消えてしまった。


「うーん……」


 手を握って開いて、体に行き渡った魔力を確認してみる。


(あれだけ大きかったのに、最盛期の十分の一……いや、十分の一にも満たない……かな?)


 この結果は少しだけ残念に思ったが、仕方がない。

 魔力があればやれることは格段に増えるのだ。


(焦らずに、一歩一歩——)


 シアは小さな両手をぐっと握り、にっこりと微笑んだ。

 一方その横では、イリオスがこの世の終わりのような顔で頭を抱えていたが。


「あああー、勿体ない! 貴重な紅結晶がこの世からまた一つ消え失せた」

「……勿体ないって、もともとはセレン兄様がこのために下さったものですよ」


 未練がましくぶつぶつ不満を漏らす兄を、シアはじとっと眺めやる。


「イリオ兄様は妹の体調よりも、魔物の残骸の方が惜しいのですか?」

「残骸っていうなよ。しかもその二つを天秤にかけるのは卑怯だぞ。なんてったって、動力不足で断念した実験を、あれ一個で何個試せたか……」


 めったに手に入らないから、やっぱり色々試したくなるじゃん。そう本音を漏らすイリオスは、骨の髄まで魔法おたくだ。


「もう。失ったものはかえりませんし、おとなしく諦めてください。それが嫌ならご自分で採りに行くとか……」


 ついでにセレンとの会話も思い出したので、「今度の討伐では、大物がいそうな山岳地へ向かうそうですよ」と、笑顔で付け加える。

 もちろんイリオスが素直に頷くとは思っていない。

 実際彼は悔しそうに拳を握った。


「く、馬鹿言うな! 普段から鍛えてる兄貴と違って、オレが討伐隊に加われるわけないだろ!」

「ああ、体力が赤ちゃんですもんね」

「赤ちゃん言うな! その哀れみの視線をやめろ! 魔法使いはインテリなだけ!」

「…………」

「……っ」


 テンポよく一息に言い切ったイリオスだったが、酸欠のせいでぜえはあと、肩で息をしている。

 やっぱり肺活量も赤ちゃんだ。


「くそっ、いいか、シア。魔法はイメージの世界だ。もしもおれが運動音痴だったらどうする」


 どんと胸を張ったイリオスは真剣も真剣。難しい理論を講義するときのようにまじめな顔をしている。だが、その内容は実に残念である。


「挫折を経験し、もしも『世界には努力だけでは不可能なことがある』と脳が認識してしまった場合、魔法ですらもそれは実現不可能だ。たとえば——」

 

(ははん。そうやって鍛錬から逃れる方向へと、持って行こうとしているわけですか)


 イリオスの狡賢い企みを察したシアは、内心で悪魔の微笑みを浮かべる。


(残念。逃しませんよ兄様)


 魔力が戻った恩恵か、筋肉痛も消えて気分もいい。おまけに機嫌もいいので、笑顔でがしっとイリオスの手を掴むと、颯爽とした足取りで歩きだす。

 目指すは東塔の魔法陣、その次は緑の館だ。


「ちょ、まだ話は終わってな——」

「はいはい。言い訳は道すがら聞きますから。それにイリオ兄様、人間なにごとも死ぬ気で取り組めまば、ある程度のことは克服できます」

「え」

「たとえ兄様が運動音痴でも安心してください。妹の私が必ず責任をもちます」

「は?」


 ずるずるとイリオスを半ば引きずるようにして廊下を歩いていれば、すれ違ったメイドたちが「仲がいいわー」「可愛らしいわね」と囁きあう声が聞こえる。

 微笑ましく二人を見送る彼女たちへ笑み返し、シアは兄にだけ聞こえる声で言ったのだった。


「不可能を可能にする超短期スペシャルメニュー。それで兄様をバッキバキに鍛えてみせますとも」


 


 * * *


 


 緑玉が住まう緑の館はウィリデ城から見て右側。針葉樹の茂る、始まりの森の中に建っている。

 公爵家所有の魔法使い「緑玉」は、王国きっての実力ぞろいだが、魔塔のように門徒を叩いた魔法使いならだれでも、その懐に迎え入れるわけではない。


 まず、緑玉のトップ三名による圧迫面接——個性的な魔法使いのほとんどは相手の話を聞かないので、緑の館で共同生活を送れるのか精神力が試される——と、実力試験。

 その後適正が認められたら、悪しき魂を宿していないか魔塔の回し者ではないか、聖なる火の洗礼によって、最終的な判断が下される。


 この聖なる火とは、物理的なものではない。

 エタムが誕生した始まりの森は、さすが神の揺り籠というべきか、王国でも屈指のマナの源泉。その聖域の禁則地には、聖典で「あらゆる罪穢れを焼き払う」と語られる『火の川』のように、濃縮したマナの揺らぎが流れている。

 その火の川に身を投じることで、魂の善悪を判断するのだ。


 もしも悪しき魂やこの地へ災いをもたらすような宿命を負った者であった場合、聖典通り、罪人は業火に焼かれて魂ごと消滅する。

 一方めでたく緑玉として認められた魔法使いは、火の川のマナによってその身へ公爵家への誓いが刻まれ、厳格な戒律のもと、一生をこの地と公爵家に捧げることを誓うのである。


『我らが主、フエゴ・ベルデを愛し、逆らうことなかれ』

『真理への貪欲なる探究心、それ以外の欲を持つなかれ』

『緑玉は知識の僕、英知への迷走者、そして賢者。この始まりの森で沈黙の誓いを守り、我らが領地を守り、この大地に眠れ』


 つまり、一門の秘術を身に着けようともそれを口外せず、主人である公爵家を崇拝し、この地に骨を埋めろ、という強制力を伴った誓いだ。

 命を懸けたわりに、好きに魔法を使えないのでは制約が多すぎる。そう不平に思う者は、まず緑玉に向いていない。

 緑玉にも、真の魔法使いにも、だ——。




 移動魔法が完了されると、魔法陣から放たれた白い光が緩やかに収束していく。

 それとともに、吹き抜けのエントランスホールで待ち構えていた十五名あまりの若者が、一斉にシアとイリオスを取り囲んだ。


「いらっしゃいませ、公女様! 体調を崩されていたとお聞きしましたが、具合はもうよろしいのですか?」

「ああ! ちょっとお痩せになったんじゃありません!? ハムスターのようにふくふくのほっぺがぁ!!」

「何を言うリンデ、見よ! 公女様の魅力は健在だ。この光で紡いだかのような繊細な御髪、白雪の肌、桜色の唇……はぁ、なんて人形のように愛らしい」


(う、うぐ)


 嵐のように押し寄せたかと思えば、べたべたと頬をつつき、やたらと顔を寄せ、うっとりとあるいはじっとりと観察してくる集団に、シアはぐっと息をのんだ。

 そのそばでは、とっさにシアを守ろうと前に踏み出したイリオスが、もみくちゃにされ悲鳴に近い声を上げている。


「ちょ、やめろ! こいつに触んな! ——っ! てかいま、おれの頭撫でたやつ誰だ!?」

(相変わらずだな、もう……)


 きんきんと耳に騒がしい状況に、シアはこっそりと嘆息した。

 昔から、若い緑玉はシアの姿を見かけるたびに、誰もかれもが目をぎらつかせ息も荒く迫ってきたものだった。緑玉以外の他の家臣や領民は、公爵一家に適切な距離と節度を守っていたので、ほぼゼロ距離に戸惑ったし恐怖も覚えた。


(だってなんだか……)


 その時、カツン——!と鋭く床を打つ音が聞こえ、シアはハッと顔を上げる。




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