第34話 計画を立てましょう-2
そう言うわけで、闘志に燃える家族の行動は早かった。
父とセレンは一門の重鎮と会議するため城を留守にし、母も何やら考え込んだ後、侍女を一人伴って出かけて行った。
母を乗せた馬車が曲がりくねった私道を抜け、エスメラルダの街へ続く、針葉樹の森へと消えていく。その様子を最後まで見届けて、シアは窓から離れソファでくつろぐ兄の隣にちょこんと座った。
「ではイリオ兄様。善は急げと言いますし、私たちも緑の館へ参りましょうか?」
「んー」
少し眠たげな口調でそう告げると、イリオスが微妙な返事を返してくる。
侍女が用意したお茶を飲みながら、なにか考えこむようなその表情にシアは首を傾げた。
「? どうしました?」
「……お前は留守番」
「え! どうしてですか!?」
「どうしてって、病み上がりだろ。それに、なんの前触れもなくお前を連れて行ったら、あいつらが煩い」
「あ……」
イリオスの言うあいつら、とは、緑玉の魔法使いである。
公爵家に忠誠と憧れを抱く彼らは、シアのことを天使だなんだともてはやしているのだ。
しかもめったにお目にかかれない末娘だけに、顔を出したときの感動たるや。
「さっき散々泣いたせいで体力もヘロヘロだろうし、ぜったいぶっ倒れるだろ」
おまけに魔力が枯渇した経緯についても根掘り葉掘り追及されるだろう、面倒くさい、ということだった。たしかに。
その状況が目に浮かぶだけに、否定しきれないシアである。
「とりあえず、今日はおれが話をつけてくる。魔塔の蛮行を聞けば緑玉で反対する奴はいないだろうし、コレも、出所はおれってほうがいいんだろ?」
ぴらっとイリオスが振って見せたのは、三枚の紙である。
真っ白い上質紙に描かれているのは、図形と古代文字を用いた、一種の芸術品のような魔法陣。これから公爵家が世に送り出そうとしている、魔道具のための構成式であった。
「はい。私がそれを知っていると、ややこしいことになるので」
実際は彼女が書き記したその魔法陣には、いまの緑玉が使用しているものよりも、高度な理論が用いられている。
つまり、まともに魔法学を修了していないシアが、緑玉を超える代物を生み出した、などと知られたら、大事件なのである。
(その点、天才と名高いイリオ兄様であれば、なんの問題もない)
「それは三年後にイリオ兄様が開発された公式でもありますし、数年早まったところで問題はないでしょう」
「ふうん?」
三枚のうち、一枚を顔の前にかざすと、イリオスは面白くなさそうにこぼす。
「これを、おれが、ねえ……?」
どうやら、自分が探求するはずだった公式を先出しされて不服、というよりも単純に、なにか欠点を見つけてしまったようだ。
「十七の公式を使えばもうちょっとこう、簡略化できるはず……でもそうすると、こっちが——」
「……」
イリオスの性格上、悩み始めるとテコでも動かなくなるので、根が生える前にと、兄の手からスッと製図を奪う。
「あ」
「もちろん開発途中に新たな発見、改良があるのはいいことですね。でもとりあえずは彼らに事情を説明して、外部でも使用可能な魔道具の開発と、魔法訓練の算段をつけてきてください。訓練場を使用するとなると、騎士団の許可も貰わないとなのですから」
「あー、それなあ」
魔法訓練と聞いて、イリオスは表情を曇らせた。
先ほどの話し合いで、シアは「ダンカン・フエゴ・ベルデの時代の魔法使いと遜色のないまでに緑玉を鍛える」と、父に約束した。
しかし、その方法を聞いているイリオスとしては、半信半疑でならないのだ。
「まじでやるの、鍛錬?」
「当たり前です。いまの緑玉の平均的な実力値は、魔塔のトップ三人に若干及びません。それに生活魔法ばかり磨き上げたせいで、戦闘魔法も実践もまったく足りていないのです」
「だからって、あの騎士団と一緒に……」
「おやまあ、坊ちゃま。緑影と一緒になってお体を鍛えられるのですか? それはそれは、ようございました」
げんなりといった様子のイリオスのぼやきを遮ったのは、少ししわがれながらも張りのある老女の声だった。
お茶のお代わりを持って現れた公爵家の乳母は、歳のわりに矍鑠とした所作で、温かいお茶をイリオスのカップに注ぐ。
「机にかじりついてばかりでは、身長も筋肉もつきやしませんからね。年々ますます薄っぺらくなられて」
「薄っぺらっ!?」
「このまま不健康にお育ちになるようなら、セレン坊ちゃまに言って、緑影に鍛えていただこうかと思っていたところですよ」
「…………」
(マーサったら。相変わらずお兄様を黙らせるのが上手ね)
容赦のない皮肉にむっつりしつつも、黙る兄。珍しい、けれど見慣れた光景に、シアは内心で唇を震わせた。
この老女に口で勝てる者などいやしない。
シアたちの祖父、前公爵の時代から公爵家に仕えるマーサは、もともとは父ロナンの乳母であった人物である。
本来はセレンが生まれたときに、彼女の娘が新たな乳母として迎えられるはずだった。
だが高貴な女性にしては珍しく、母が自らの手で三人の子供たちを育て上げたため、子供たちの世話係として、いまも乳母として働いているのだ。
つまり、子供たちどころか公爵である父のおしめまで取り替えた彼女は、使用人の中で唯一主人一家に憎まれ口を叩ける人物であり、おまけに、相当な曲者でもあった。
「ああ、お嬢様にはこちらをお持ちしましたよ」
「え」
「我が家秘伝の強壮剤。お飲みになりやすいよう温めたミルクにお混ぜしましたからね」
(う、げ……)
にこにこ、というよりも、気難しい魔女のような顔でにやりとカップを差し出され、シアはひくっと口元を引きつらせた。
「は、はは……っ」
マーサ秘伝のなんちゃらに、いい記憶は一切ない。
「これ、原料はなあに?」
ホカホカと湯気を立てている乳白色の液体に、ぶつぶつとした何かと、切り刻まれた葉っぱらしき物が浮いている。匂いは……うん。
あらゆる薬草や毒について学んだシアだったが、この原料はちょっと特定できない。
あきらかに怪しい。
「私も紅茶がいいな」
だめもとで得体のしれない飲み物を見つめながら、ぽつりと懇願してみたが、やはりだめだった。人差し指をふって一蹴される。
「我が儘はいけません。それを全部飲みきったら甘~い紅茶を入れて差し上げますから。お嬢様にはそのままブラックティーでは苦すぎますからね」
「ぶふっ。だってさ、シア?」
あからさまな子ども扱いと、それを知って噴出した兄に、シアは内心で憤怒の悲鳴を上げる。
(くそっ! 苦い紅茶も死ぬほどまずい飲み物も、ジュノー卿だけで十分!)
だが口に出してそんなことは言えないので、どうにかマーサーの目を盗み処理できないかと視線をさ迷わせた。と、そのときである。
「……」
マーサのエプロンのポケットから、ひょっこりと端が覗いているそれ。
紛れもなく、瑞々しいキュウリを視界に収め、目を瞬く。
「え、あの、マーサ?……そのキュウリはなあに?」
もしやまだなにか爆弾を隠し持っているのか。恐る恐る、尋ねてみる。
だが返ってきた答えは、意表を突くものだった。
「ああ。お嬢様の腫れた瞼にお乗せするんですよ」
「え?」
なんだって?
その、丸くてイボイボな代物を、目蓋にのせるって?
シアは戸惑って、マーサとキュウリを交互に見つめた。
困惑を隠しきれない様子に、マーサは一瞬キョトンと目を瞬いていたが、やがて合点がいくと「ははは!」と声をあげて笑った。
「そうじゃありませんよ、お嬢様。スライスしたキュウリをお乗せするです。冷えて気持ちがいいんですよ」
ああ。なるほど。
マーサお得意の民間療法というやつだ。
だが、両瞼にキュウリのスライスをのせて昼寝だなんて、あまりにも絵面がよろしくない。
案の定、イリオスもその姿を想像したのか、声を詰まらせて隣で身もだえている。
「ぐ、げほ……っ、ごほっ——」
そんなイリオスの腿を、シアは腹立たしさを込めてつねる。「うおっ!」と声をあげて飛び上がったのを横目に、シアはにっこり笑った。
「マーサ。治療魔法を使えば一瞬だから、そのキュウリはサンドイッチにでもしてちょうだい」
野菜は貴重なビタミン源だ。食べるに限る。
「ね、兄様も。今すぐ治療魔法をかけてくださいますよね?」
「え? どうしよっかなぁ……っ、て、いて!」
天使のような甘やかな笑顔に圧を込めつつ、シアは憎たらしい兄の腿を微妙な強さでつねり続ける。
「に・い・さ・ま?」
「いてて! わかった! 悪かったって、もう!」
冗談なのに、と零しつつ、素直に治療魔法をかけてくれるあたりがイリオスである。
シアだったら絶対に、弱みに付け込んでなにがしかの対価を要求していた。
その間、マーサからはぶつぶつと不満の声が上がっていたが、もちろん聞こえないふりをした。
「ああまったく、これだから魔法使いがたは。なんでもかんでも便利な力に頼りきりで——」
(聞こえない、聞こえない)
「だいたい、聞きましたよお嬢様。なんでも無茶なことをしでかして、魔力が——……」
(う、うん。聞こえない!)
「あ、兄様!」
どうやら矛先が不穏な方向へと流れていくのを察して、シアはガシッとイリオスの手を掴んだ。
「これから緑の館へ行くのですよね! それなら魔法陣の用意もありますし、急がないと」
それからどさくさに紛れて、手をつけていないカップをテーブルに返し、マーサの小言からも地獄の飲み物からも逃げ出したのだった。
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