第33話 計画を立てましょう-1
それから、記憶を頼りに作った年表をもとに、シアたちは今後の計画を練ることにした。
「我が家門が滅ぶきっかけとなったのは、中央政治から離れ平和を手に入れたことにあります」
かつて王家の所有する魔法使いとして、アルトヴァイゼン公爵率いる緑玉は、戦争や王位争いの前線で活躍していた。
その頃はフエゴ・ベルデの名とともに、誰もが彼らの存在を恐れていたものだった。
個々が卓越した知識と技術を誇り、奇跡にも等しき不可思議な現象を起こす――魔法使い。
統制された組織である緑玉は、アルトヴァイゼン公爵家に国王ですら無視できない権力を握らせたのだ。
しかし時が経つにつれ。
王都から退き、かつての国境の名残である城壁に囲まれた都市、エスメラルダで平和を享受するようになって、緑玉の関心は軍事的な魔法よりも、生活に直結した魔法へと変化していった。
当然、恐れるべきアルトヴァイゼン公爵家が弱体化したという情報は、王后の耳にも入ったのだろう。
それが、付け入らせる隙となってしまった。
ならば手段は一つ。
「もともと公爵家の持つ特権を疎ましく思っていた王后は、フエゴ・ベルデが弱体化したこの隙に、邪魔者を排除してしまおうと考えたのでしょう。王命への拒否権など、絶対的な支配権を手にしたい王后からしてみれば、最も忌々しい特権でしょうから」
「……なるほど。それでお前は、どのような対策を考えている?」
「隙を見せたのが原因であれば、その隙を埋めてしまえばいいのではないかと」
「具体的には?」
父からの追求に、シアは全員の顔を順番に見回しながら答えていく。
「まず、イリオ兄様と私で緑玉をダンカン・フエゴ・ベルデの時代の魔法使いと、そん色のないまでに鍛えます。それは総じて黒魔法使いから身を護るための、基盤づくりにもなりますから。そしてお父様には領地の強化を、お母様とセレン兄様には王都へ赴き、中央貴族と親交を深めていただきたいのです」
「ふむ、存在感をアピールするとともに、かつての栄光が健在であることを大衆に知らしめるためか」
「はい。しかも人々の興味と関心を集めれば集めるほど、王后にとって我々を消すことはよりリスクを伴うものになります。王都と縁遠い領地でひっそりと暮らしていた時ならまだしも、中央政権に参入する姿勢を見せたところでなにか不幸な事件にでも巻き込まれれば、同じように中央で権勢を誇るあの人物の仕業だろうと、憶測を招くようなものですから」
公爵家が滅んだあと、シアは考えたことがある。
もしも一族がもっと積極的に中央貴族との繋がりを築いていたら、どうだったのだろうかと。
人々の胸に射した疑惑は、やがて大きな波となり、王后の罪を明らかにする一条の光になったのではないだろうか。
(それだけで抑止力になるとは思わないけれど、公爵家を亡ぼすリスクは格段に上がる)
「人々の注目を逆手に取るのね。社交界での定石だわ」
「お母様の教えを参考にしてみました」
おっとりと目元を和ませる母へ微笑みを返し、シアは熟考する父へと向き直る。
「いかがでしょうか、お父様」
「……それだけではまだ弱いな」
公爵は顎を撫で、瞬きの後にそう言った。
「注目を浴びたところで実質的な影響力がなければ、公爵家という肩書などただの飾りに過ぎない。むしろ権勢を増した分、自分に歯向かう可能性があるとして、どんな手を使ってでも排除しようとするだろう」
「そうです。なので……」
シアは一瞬だけためらうと、意を決して告げる。
「王后が我々を排除するのを惜しむように、我が一門が長らく壁の内側でひっそりと守ってきた『財産』を、この王国の隅々へと広め根付かせるのです」
「……」
つかの間の沈黙の後、公爵はすっと目を細めた。
「その意味が分かっているのかね」
緑柱石の瞳の中で、ほの暗い火がゆらりと揺らぐ。それと同時に、重い緊張が静まり返った居間に立ち込める。
シアは己の発言がなにを意味するのかを考えながら、慎重に言葉を発した。
「はい、もちろんです」
(もちろん、わかってる。当主として、お父様がそれを許すわけにはいかないことも)
公爵領エスメラルダは堅牢な城郭都市だ。
領地を囲むように建つ城壁の内側で、一門がひっそりと守ってきた『財産』とはすなわち、魔法をもとに発展を遂げた技術や知識。そして、それらすべてを注ぎ込んで生み出される、魔道具のことである。
(時の当主が王都を離れ、公爵領を閉鎖的な都市に作り替えたのは、なにも王都での政治争いに嫌気がさしたからだけじゃない)
「シュエラ王国の歴史と魔塔の思考を辿れば、我が一門の知識や技術が悪用される可能性は否定できません。とくに英知の結晶である魔道具が魔塔の手に渡れば、新たな火種を生むかもしれません」
かつてシュエラ王国は、王位争いの駒となった魔塔の魔法使いたちによって、一度滅びの危機を経験している。
明らかに魔塔を超える一門の力。ひいてはフエゴ・ベルデを中心に独自の発展を遂げた魔道具が彼らの手に渡れば、今度こそ世界が崩壊するような災害がひき起こされるかもしれない。
(それに、問題はそこだけじゃない)
幼い子供へ武器を与えるのが危険なように、王家や欲を宿した権力者の目に留まれば、量産の効く魔道具が強力な兵器として利用される可能性も、ゼロではないのだ。
(そう危ぶんだからこそ、領内で生み出されたものが外の世界へと流出することがないように、城壁の更に外側を囲む外壁には、強力な保護魔法が施された)
たとえば、エスメラルダで生産された工芸品や植物、魔道具と言った「物」が持ち出された場合、それらは強制的に壁の内側へと転送される。
形のない情報や知識が持ち出された場合は、関連する記憶が細部にわたって、靄がかったように不明瞭となる。
情報が文字や暗号として紙に起こされた場合も同様だ。
紙そのものが塵と消えたり、情報や知識に関する部分だけがまるで意志を持っているかのように紙面から逃げ出したりと、即座に阻止するような仕組みが成されている。
もちろん当時の国王は、花の一輪でさえ持ち出しを禁じるこの厳重な守りの魔法に、危機感を抱いた。
なぜなら、もしも領内で反旗を翻すような策謀が図られていても、自分たちはそれを伝え聞くことが出来ないからである。
国王はすぐさま閉鎖的な態度を改めるよう、公爵へ警告した。
だが、物資の供給を止められようと、圧力をかけられようと、公爵は頑として譲らなかった。
一門の存在が人々の記憶から薄れ、領民が人の欲に振り回されることなく平和に暮らせることを願って、あらゆる権力に抗ったのである。
そんな背景があるからこそ、父がこの提案を一つ返事で受け入れるとは、もちろん思っていない。
(それでも……)
「お父様、どうかご英断を。確かに魔道具を始めとした財産は、多くの場合において脅威とも呼べるでしょう。ですが同時にそれだけの影響力を持つのも事実なのです。王権を欲する王后やそれに対抗する手段を得たい王は、我々の価値に気付いたとたん、必ず忠誠を取り合うことになるでしょう」
「それではまるで権力と財を得るために、我らが守り抜いた平和を売り払うと言っているようではないか。王后から身を守るためだけに、そうまでする必要があると言えるのか」
「いいえ」
シアは鋭い公爵の眼差しを正面から受け止め、はっきり告げた。
「王后から身を守るためだけであれば必要ありません。しかしアルトヴァイゼン公爵家には、王国の貴族としての義務があります。我が一門が王国で権威を振るうことは、結果この王国の未来を守り、正しく導くことに繋がるのです」
「ほう?」
「王后の問題を差し置いても、王国はさまざまな問題を抱えています」
(王位争いは現段階で表面化していないとはいえ、数年後にはここ北部にも影響を及ぼしはじめる)
そして何よりも、民から魔法に関する知識を奪い、特権を振りかざす魔塔の存在が最たるものだった。
「いまから数年後、貴族を中心に影響力を広げた魔塔は、絶対的な権力を手に入れます」
(それは公爵家の滅亡が後押しになったとはいえ、直接的には関係のないこと。けれど唯一牽制できる公爵家が、魔塔をのさばらせたからこそ、その事態を招いたともいえる)
この先の未来を知っているからこそ、シアは断言できる。
(いま布石を打たなければ、いずれそれが障害となって立ちふさがる)
「王都で魔法とは、選ばれたものだけが享受できる奇跡であり、魔道具とは社会的な特権を見せびらかすための、ただの高価な飾りにほかなりません。ここ公爵領ではどんな貧しい家庭でも、生活に直結した魔道具を誰もが有している、というのにです」
初めて王都での暮らしを経験したとき、シアはあまりにも違いすぎる世界に、周りの人間を困惑させてしまったほどだ。
煤の始末や火の番がいらない暖炉も、コックをひねれば水やお湯が出る設備も、自然に発熱する寝具や外套ですらも――王都の人々は存在すら、知らなかったのである。
アッシュですら、そんな技術があれば大枚をはたいてでも欲しいと嘆いていた。だが生憎と、魔塔が生み出す魔道具はどれも華美で非実用的なものばかりで、ついぞ手に入れることは叶わなかった。
理由は簡単だ。
魔塔が顧客と見なす上流貴族にとって、暖炉を灯した後に出る、煤の始末や火の番も。
風呂や生活のために、水を張った重い桶を手に、何度も井戸と上階とを行き来する苦労も。
主人の快適さを保つために、あつく熱した温石で寝具や外套を温めておく労力ですらも、全ては使用人の領域。
生活に直結した魔道具があれば便利だな、などと、考えたことすらないだろう。
(……だからこそ、一門の技術があれば、王国民の暮らしは格段に向上する)
「魔法とは本来、誰もが平等に享受できる女神の慈悲です。その信念を掲げる我々が、このまま魔塔をのさばらせ、魔法の本来の姿を歪めてもいいのでしょうか。それに、お父様もおっしゃったではありませんか。実質的な影響力がなければ、公爵という地位などただの飾りに過ぎないと」
「……」
「王后の後ろ盾であるルヴォン侯爵家は強大です。数多の貴族を動かす影響力、そして国の財政を潤す経済力、某計算術に長けた手腕。そんな相手と、強力な手札を持たない我々が、対等に渡り合える要素があるでしょうか」
「一門の技術がその手札になると?」
「なります」
父の問いにシアは信念をもって答える。
「諸刃の剣という言葉もある。我々にとって代わろうとしている魔塔へ知恵を与えれば、確実にその刃は己に向くぞ」
「たしかにその可能性はあるでしょう。ですが、果たしてそれだけなのでしょうか」
「なに?」
「神聖力を持つ教会が確固たる信念を貫いてきたように、要は扱う者の力量しだい、そう捉えることもできます。たとえどのような脅威に直面しようと、フエゴ・ベルデは屈しない。道を誤らず、困難に立ち向かう知恵と信念を抱いている。少なくとも私は、リスクを恐れるよりも力にできる、一門の結束力を信じています」
「……」
つかの間、公爵はシアを突き刺さすような目でただじっと見つめていた。
クロヴィスとはまた違った冷ややかさを伴う父との問答は、知らず知らずのうちに緊張してしまう。
(でも、ここでお父様を納得させられなければ、きっと家臣たちも説得できない……)
そうなればいくら望もうと、実現は難しい。
たまらずシアは汗の滲んだ手で、ぎゅっとスカートを握りしめる。
やがて父は重苦しい声で「そうか」と呟く。
かと思えば、一転して、にやっと唇の端を持ち上げたのだった。
「さすがは私の娘。そうだ。フエゴ・ベルデは屈しない、主人以外には」
「!」
「ふ、試すようなことを言ってしまったが、そこまで理解しているのならいいだろう。それにしてもまさか、まだまだ幼いと思っていたお前の口から、セレンと同じような答えを聞くことになるとは思わなかったがな」
「え、セレン兄様と同じ……?」
喜色を隠さずそう言った父に、シアは目を丸くして傍らの兄を見上げた。
「兄様も同じようなことを、お父様におっしゃったのですか?」
「うん。魔道具の流通に関しては悩ましい問題だけれど、魔法を特権として振りかざす魔塔のやり方は諫めるべきだと思ったからね」
十六歳のセレンは次期後継者として、すでに父の手伝いを始めている。だから重鎮たちとの会議にも参加し、意見を述べたことがあるのだろう。
加えて一門は王都から退いたとはいえ、公爵領と接する近隣貴族とは交流がある。
そうした場に赴くのはもっぱら、セレンや家臣の役目でもあるので、彼らとの会話から危機感を感じ取ったということだった。
「教会との軋轢も考えれば、一門にも飛び火しかねない懸念事項だ。家臣たちには『外の問題など放っておけ』と、あっさり突っぱねられてしまったけれどね」
それでも、と続けるとセレンは公爵へ向かって言った。
「いくら一門を守るためとはいえ、失われた公国ではなく王国の公爵家として存続していくのなら、決断しなければなりません。問題を先延ばしにしたところで、いつかは選択を迫られる。それが今なのでしょう」
「俺も、シアと兄貴の意見に賛成ですね」
話の合間を見計らって、それまで聞き役に徹していたイリオスがすっと手を上げる。
「もともとダンカンから数代まで、我々の使命は王国の守護と発展にありました。それなのに今じゃ、魔塔が王国の指導者気取りだ。魔法の真理をこれっぽちも理解していない集団なのに、です」
言いながらひょいと肩をすくめた仕草は、彼らしく飄々としている。
だが、輝きを増したその瞳には、たしかな怒りが宿っている。
「公爵家の義務もたしかに大事ですが、おれとしては欲のために人々から魔法を学ぶ機会を奪い、特権を振りかざす魔塔のやり方がなによりも許しがたい。はっきりいって気に食わないですね」
権力や欲のためではなく、ただ純粋に『魔法の真理』を追求することに喜びを見出す真の魔法使いにとって、情報の統制は許しがたい蛮行だ。
それは同じ魔法使いである公爵にも共通して言えること。
「ふふふ。みんな考えることはおんなじね、あなた?」
柔らかな笑い声とともにそっと腕に手が添えられて、公爵は隣に座る妻を見下ろした。
「サーシャ?」
「あなたも、ずっと昔から同じことで悩んでいらしたでしょう。このままエスメラルダは時から切り離されてもいいのか。王国の一部でありながら、公国としての名残を引きずっていていいのかと」
「それは――」
「それにね。正直わたしも、イリオスと同じ気持ちなの。魔塔も王后も『気に食わない』」
にっこりと笑う母の姿は、シアから見てもどこか凄みがあった。
(お母様……?)
「ふふふ。やるなら徹底的に、やらなくちゃ、ね?」
いや、実行やるが『殺る』に聞こえたのは自分だけだろうか。
「あら、みんなどうしたの?」
「あ、いえ……」
「なんでも」
「…………」
母の黒い面が見えた気がして、さっと視線をそらした子供たちへ、サーシャが不思議そうに首を傾げる。
その隣で、夫である公爵だけが、笑いをこらえるような、妙な表情を浮かべていた。
「ふ、まったく君には敵わんな。血は争えん」
妻に向けてそう囁くと、公爵は唇を歪めて不敵な笑みを浮かべる。
それから、こう宣言したのだった。
「我々を手にかけた時点で、奴らに未来などない。身の程知らずの愚か者どもには、その愚行に見合った償いを、用意してやろうではないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます