第32話 追及と告白-2

 いつまでも、誤魔化せるとは思っていなかった。

 しばしの沈黙の後、シアは観念したようにため息をつき、「降参です」と肩を竦めた。


「イリオ兄様なら、いずれ答えに辿り着いてしまうと思っていましたよ。こんなに早いとは正直想定外でしたが」


 その口調も表情も仕草も、あきらかに十歳の少女のものではない。

 シアは無理に貼り付けていた無邪気な笑顔を引っ込めて、物悲しく唇を歪ませる。


「そうです。私は大切な人を救うために禁忌に手を染めました。すべては私の欲のため。でも後悔することも、罪の意識を感じるつもりもありません。だから……軽蔑されても、仕方ありません」

「……」


 ぽつぽつと語られるシアの告白を、イリオスは険しい顔で聞いていた。


 無理もない。

 禁忌の魔法は、禁じられた魔法。

 人の身で神々の領域を侵さないよう定められたタブー。


 それは妖精の子孫であるフエゴ・ベルデも例外ではない。

 いや、女神の血を与えられたフエゴ・ベルデだからこそ、順守しなければならない理だ。


 とくに魔法の真理に精通しているイリオスは、きっと誰よりもことの重大さを理解している。

 だから――。


「軽蔑されても仕方がない、か……。そうだな」


 やがて落ちた呟きに、シアは自然と視線を落とす。

 視界の隅でイリオスが手を上げるのがわかったが、抵抗はしない。

 荒っぽい言動のわりに優しいイリオスのことだから、体罰を与えられることはないだろう。だが、父が処罰を下すまで、拘束魔法をかけられる可能性はあった。

 そして、


「!」


 ぽんと頭の上に置かれた手が、突然、項垂れたシアの頭をわしゃわしゃわしゃと撫でくりまわす。

 予想していなかったことだけに、前後左右、激しく動く手の動きに合わせて、シアの小さな体ごと翻弄される。


「わ、わわわっ」

「ばかやろう……」


 そしてもう一度小さく「ばか」と呟くと、イリオスはふらりとよろけたシアの体をきつくその胸に抱き留めた。


「シアのくせに生意気言うな」

「イリオ、兄様……?」


 くぐもって聞こえたその声は、責めていると言うよりも、しょげていると言った方が正しいかもしれない。


 実際、イリオスは責めたいわけではなかった。

 ただ彼は、シアが目覚めてから感じていた違和感の正体を、突き止めたかっただけだ。

 彼女の瞳が時折陰るその理由を知り、一人で抱えさせるつもりがなかっただけなのだ。


「自分の欲のために魔法を使ったって? それは魔法使いの本質だろ。魔法使いは誰だって自分勝手なんだよ」

「……」

「禁忌を犯した、それがどうした。お前はフエゴ・ベルデとして誰よりもその危険性をわかってる。だから禁忌の魔法を使ったってことは、それほど追い詰められたってことだろうが」


 イリオスは急に変わった妹が心配だった。

 どこか遠くを見つめるその横顔は、イリオスが知る天真爛漫な妹の姿とはかけ離れていて、そして、ある日忽然と消えてしまうんじゃないかという不安に駆られた。

 ……まるで禁忌を犯した、アズラのように。


 だから正しい状況を知り、因果律に連れて行かれる前に捕まえておかないと――そう思った。


「怒らないんですか? 馬鹿なことをしたって」

「怒ってる」


 むすっとした声で告げ、イリオスは体を離す。


「お前がおれを騙そうとしたことに怒ってる。本当のことを話したら軽蔑されるんじゃないかって、疑ったことにも怒ってる」

「そ、それは、巻き込んでいいのか――」

「巻き込んでいいに決まってんだろ! お前はおれの妹だ。誰がなんと言おうと、おれの大切な妹なんだよ」

「……っ」


 まるで責め立てるような強い口調。けれどその裏に込められた言葉は、強くシアの心に響いた。


 たとえ時を越えたのだとしても。

 今のお前も、おれの大切な妹。


「……私の決断は、一門の教えに反します」


 再び項垂れると、シアはきつく握りしめた両手を見つめた。

 左手の親指にはまった金の指輪が、そんなシアの姿をぼんやりと映し出す。


「そうかもな。でも、聞いて見なけりゃわからない」

「お父様はきっと許してくださいません。お母様や、セレン兄様も……」

「そんなの、話してみなけりゃわからないだろ。父上や母上、兄貴がどうとらえるかなんて、本人にしかわからないことだ」

「話して、いいのでしょうか」


 家族を救うためには、真実を話すときがきっと来る。

 だが、巻き込んでもいいのだろうか。

 王位争いに。自分の欲に。


(でも、もしも話して追放されたら……? 今の状況で追放されたら、誰も救えない)


 家族も。クロヴィスも。

 それがシアには一番恐ろしかった。


 そんなシアの迷いを読み取ったのだろう。


「話せ。まずはおれに全部」

「え?」


 唐突に、イリオスが告げる。


「自分の中で考えがまとまらない時は、誰かに話すのが一番だ。客観的な意見も聞けるし、思考の偏りにも気づいて、頭の中も整理できる。まずはおれに話してみろ。そうすれば、家族に話す時の練習にもなるだろ?」

「……」


 たしかにそうだ。

 そうかもしれない。


 イリオスの言葉はすとんと腑に落ちて、シアはこれまでのことを語った。



 公爵家が襲撃されたこと。黒魔法使いのこと。王后の陰謀。そして、王位争いのこと。

 必要な部分だけを絞って話したため、長くはかからない。


「そうか、そんなことが……」


 未来に起こることを聞いて、イリオスはしばし考え込んでいた。だがやがて思考を整理すると、「家族に話すべきだ」という結論に達する。


「これはお前一人で抱え込むべき問題じゃない。一族の危機もそうだが、王位争いも、黒魔法使いも。シュエラ王国の貴族として、アルトヴァイゼン公爵家が対処すべき問題だ」

「やはり、イリオ兄様もそう思うのですね」


 王都で繰り広げられる政争に嫌気がさして、自領の統治にだけ注力しているとはいえ、アルトヴァイゼン公爵家はシュエラ王国の最高位貴族。

 この国の未来に責任を持つものとして、正しい方向へ導く義務がある。


「父上なら正しい決断を下されるはずだ」


 そう言った後で、イリオスは険しい目元をふっと和ませる。


「おいおい、そんな顔するなって。もしもお前の考えが当たっていたとして、父上がお前に処分を言い渡したら、そうだな。その時はおれも一緒に受けてやるさ」

「え」

「おれは絶対に見放したりしない。父上にめっちゃ怒られたときも、お前の味方だっただろ?」

「イリオ兄様」


 ああ、そうだ。

 ぽんぽんと頭を叩き、茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせる。

 それはシアの良く知る兄の姿だった。

 口が悪くてぶっきらぼうで、それでいて、いつだって自分の味方でいてくれる。


「……っ、にいさま!」

「わ!」


 思わず滲んでしまう視界を誤魔化すように、シアはその胸に抱きついてソファの座面に押し倒す。


「はは、お前は回帰したって子供だな」

「こ、子供に、子供って言われたくないです」


 揶揄うようなその言葉に、シアはむきになって反論したが、ぎゅっと抱き締める腕は緩めなかったのだった。



 * * *



 イリオスからもう少し助言を受けた後、決心が鈍る前にと、シアは素早く行動に移すことにした。

 何事も勢いが大事。昔の人はいいことを言ったものだ。


「お話があります」


 昼食後。ドレスをぎゅっと握ってこう切り出したシアに、家族は顔を合わせ、それから父・ロナンが険しい表情で頷いた。


「居間で聞こう」


 食堂から隣接する居間へ、移動する足取りは重かった。

 けれどそんなシアの肩を、追い越したイリオスが励ますように叩いていく。

 それに背を押されて、シアはそれぞれ所定の位置に座った家族と向き合った。


 正面の一人掛けの椅子にはイリオスが。その右側の長椅子に両親が並んで座り、反対の左隣の長椅子にセレンが端に寄って座る。

 シアのお気に入りはそんなセレンの隣だったが、今はパチパチと静かに燃える暖炉を背に立つ。


 彼らが集う場所に敷かれた絨毯の縁が、まるで境界線のように彼女が立つ床とを区切っているようだ。


(多分ここが、今の私の立ち位置)


 今後の雲行き次第では、この場所すらも危ういかもしれない。


(それでも)


 シアはグッと背筋を正すと、父を見つめてまず約束を取り付けた。


「これからお話しする内容は全て事実です。そして他言無用でお願いいたします。もしも耐え難いと思われても、最後まで聞いてくださるとお約束してください」

「ああ」


 短いロナンの答えに合わせて全員が頷く。

 シアはそれを見届けて、父へ一枚の紙を手渡す。


「これは?」


 びっしりと文字と線で埋められた紙を見て、ロナンが凛々しい眉を顰める。


「疫病の蔓延、南部を中心とした豪雨、飢饉……」

「年表です。これから先、八年ほどの未来にかけて起こることを、覚えている限り全て書き出してみました」

「どういうことだ?」


 訝しく思うのは当然だろう。


(突然、八年先の未来だなんてね)


 だが勇気を奮い立たせると、シアは真実を包み隠さず話しだす。

 自分の罪を、未来に起こるすべてを。

 ただし、自分が過去にどう生きていたのかの詳細は伏せた。

 自分のためではなく、両親のために。


 娘が禁忌だけでなく犯罪に手を染めていただなんて、母が知ったら、どれほど悲しむか。

 陽のささない世界で生きていただなんて父が知ったら、どれほど自分を責めるか。


 最終的に生き方を決めたのはシアだったが、そうならざるを得なかったのだと、両親は自分たちを責めるだろう。


「私はこの選択を後悔していません。ただ、家門の恥だと追い出されても仕方がないと理解もしています。ですから、お父様とお母様、お二人の決断を私は受け入れます」


 勘当してくれても構わない――やがて暗にそう締めくくったシアへ、父はぐっとこぶしを握り、母は美しい顔を悲しみに歪めた。


「なんてことだ」

「禁忌だなんて、そんな……」


 予想していたことだ。

 室内に落ちた責めるような空気に、シアは挫けそうになりながらも歯を食いしばり、背筋を伸ばしたままでいた。


(もう俯かない。私は逃げない。たとえ厳しい処罰を言い渡されたとしても)


 そして沈黙を破る重い声に、シアはぎゅっと唇を引き結ぶ。


「これは早急に、然るべき処遇を下さなければならないな」

「……はい、罰はいくらでも覚悟しています」


(仕方がない。……仕方がないのよ。お父様は、父親である前にフエゴ・ベルデの当主だもの)


 公国王の子孫として誇りを持つロナンは、道理を曲げるものを許さない。例え自分の娘であろうと、公平に裁きを下す。そんな厳格なひとなのだ。


 彫りの深い顔立ちと、鋼のように鋭い眼光。引き締まった肉体と一部の隙も無い所作。

 ただ座っているだけでも圧倒的な威圧感を湛えている公爵は、娘の目から見ても完全無欠な為政者だ。


 普段は自分と同じその緑柱石の瞳に溢れる愛が輝いているから恐ろしくないけれど、その目から父親らしさが消えた今、自分をまっすぐ見据えるのは、広大な領地と魔法一門を統べるフエゴ・ベルデの当主だ。


 そんなひとが自分にどんな罰を課すのか――張り詰めた緊張感にジワリと手の平に汗が滲む。

 不快な感覚を、ふつふつとこみ上げる感情とともにスカートで拭おうとした、そのときだった。


「――アーテミシア・フエゴ・ベルデ」


 父ではなく母の口から自分の名が発せられ、シアはビクッと肩を揺らした。


 普段温和な母は滅多に怒りを露わにしない。だが、このときばかりは灰緑色の瞳にも静かな声にも、強い怒りが浮かんでいた。


「あなたは、お母さまたちをなんだと思っているのかしら?」

「申しわけ――」

「勘当しても構わない? 罰せられても仕方がない?」

「……」

「いいえ! 罰せられるべきは、あなたじゃない。責められるべきは、あなたじゃないでしょう?」

「え」


 鋭い叱責にも関わらず、思わず問い返すような声をこぼしてしまったのは、その言葉の行き先が見通せなかったからだ。


「お、お母様?」

「たしかにわたしは、あなたたちのように魔法に詳しくはないわ。でも……」

「サーシャ」


 美しい宝石のような瞳に涙を溜め、言葉を詰まらせ。それでも頬を赤くしながら語る母を、父がさりげなくその肩に引き寄せる。


「どうして、そんなふうに……っ」

「…………」


 母は泣いていた。

 シアのために。

 そう、自分のために泣いていたのだ。


 そして優しい手つきで宥めるように妻の髪を撫でながら、公爵は改めてシアを見つめる。


「シア、私の可愛い娘。禁忌を犯したくらいで私がお前を罰すると、そう思ったのか?」

「私、は……」


 あまりにも穏やかな問いに、思わず言葉が喉に詰まる。

 思っていた、と答えたら父はどんな気持ちになるだろう。

 だが同時に、その沈黙が答えだった。


「みくびってもらっては困る」

「!」

「むしろ禁忌の魔法を操れるその才能を、褒め称えるべき。そうじゃないか?」


 緑柱石の瞳を悪戯に煌めかせると、父はたしかに言ったのだ。


「フエゴ・ベルデの当主としてお前を手放しで誉めることはできない。だが、父親としては誇らしく思う。その才能と決意に」

「お、とうさま……」

「一人でよく頑張ったな。たった一人でお前が背負ったであろう苦しみや悲しみ。そして無念を思うと、私は無力な自分が不甲斐ない。だからこそ、お前一人を責めることなどできない」

「そうよ、シア」

「おかあ、さま……っ」


 免罪符にも似たその赦しに、シアは呆然とし、ぎゅっとスカートを握りしめる。


「わ、私は……」


 ――私は、そんなふうに、赦されていい人間じゃない。


(だって禁忌の魔法以前に、この手でたくさんの人を殺めた)


 たとえそこに自分なりの理由があったとしても、この魂が穢れたことに変わりはない。なんの咎めも受けないわけにはいかないのだ。


(ましてや私は……家族を、過去を――捨てたのに……っ)


「シア、おいで」


 だが、そんなシアの迷いを見抜くように、セレンが自分の隣をポンと叩く。

 そこはシアの定位置だ。

 家族の輪の中で、自分がいた場所。

 自分が、いる場所。


 いつもの穏やかなセリフが耳に蘇る。


『大丈夫』


 暖かい灰緑色の瞳が告げている。


 ――自分で一歩を踏み出しておいで。ここで待っているから。


(ああ、そうか)


 その瞬間シアは気づいた。


(線を引いたのは、私自身なんだ)


 彼らのシアを奪ってしまったと。受け入れられるはずがないと。

 けれどそれはシアの考えで、彼らの意見ではない。

 イリオスだって言っていたじゃないか。

『父上や母上、兄貴がどうとらえるかなんて、本人にしかわからないことだ』と。


 静観しているイリオスへ確かめるよう視線をくれれば、力強い頷きが返ってくる。


『ほらな、言っただろう?』


 唇の動きだけで告げられたセリフに、気がつけばシアは駆けだしていた。

 正真正銘の子供みたいに、泣きながら。

 立ち上がり絨毯に膝をついたセレンが、そんな彼女の体を抱き留める。


「――……ふっ、う……」

「お帰り、シア」

「っ、セレン、にいさま……」


 ぎゅっと首にしがみついてくるシアの頭を、暖かな手が優しく撫でる。

 その仕草が、声が。さらに涙を誘うとも知らず、兄は優しくシアを抱き返す。


「よく、頑張ったね」


(ああ。私は戻って来れたんだ)


 過去では二度と抱き返してはくれなかった、その腕の中へ。


「シア」

「アーテミシア」


 あふれる愛情に満ちた、暖かなこの場所へ。

 取り戻したかった自分の家に。


「へへ、泣き虫」

「イリオ兄様のいじわる。~~っ」


 涙のせいで鋭才を欠いた瞳でイリオスを睨みつけつつ、回帰して初めてようやく、シアはその事実を実感したのだった。


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