第31話 追及と告白-1

 二日後、体調のほうはある程度まで回復した。

 まだ体は重いが、それは魔力とともに時間が解決してくれるだろう。


「とりあえず目先の問題は、塵みたいな魔力よりも今後家族とどう接するか、なのよね」


 今までは体調を理由に部屋にこもることもできたが、これからはそうもいかない。誤魔化すにしても限度がある。

 シアは鏡の中の見慣れない顔を見つめ、はぁ……とため息を吐いた。


(十歳の頃の記憶なんて、鮮明に覚えているはずがないし。せめて日記でもつけていればよかったんだけど……)


 そうすれば日記の内容をもとに情報を収集し、思考をたどり、それらしく振舞うこともできたのに。

 だがあいにくと、シアは部屋にこもって文字を追うよりも、外に出て太陽を浴びる方が好きな活発な子供だったのである。


「うーん、まさか過去の自分に手を焼かされることになるとは……よし! 悩んでいても仕方がない。まずはできることから片付けよう」


 シアはとりあえず公爵家の図書室で、禁忌に関する情報を集めることにした。


 かつて『回帰の魔法』を成功させたとみられる、一門の魔法使い――アズラ・フエゴ・ベルデ。

 変わり者と言われた彼の手記が、たしか図書室のどこかにあったはずだ。


 気合を入れて二階の西側にある図書室へと向かい、重厚な扉をそっと開ける。

 まず初めに視界に飛び込んできたのは、舞踏会のホール並みに広い空間。壁一面どころか床を埋め尽くさんばかりに整然と並んだ、本棚の列。

 それから、そこに納められた膨大な数の蔵書だ。


 一階の窓際に置かれた読書スペースをのぞき、吹き抜けになった二階部分の壁に至るまで、すべてが知識と記録で埋め尽くされている。


「はぁ……相変わらず、圧巻の佇まいね」


 古い本特有の匂いを噛みしめながら室内を見渡し、思わずそんな感想が口からこぼれた。


 アルトヴァイゼン公爵一家が住まうウィリデ城といえば、かつてはエスメラルダ公国王の居城であった城だ。

 フエゴ・ベルデと同じく、千年以上の歴史を誇るこの城の図書室は、歴史の保管庫と言っても過言ではない。

 そして蔵書量と歴史もさることながら、その内装までもが芸術品のように美しいのである。


 家具や壁紙は重厚な茶色と家門の色である緑で統一され、所々に施された彫刻や装飾は繊細優美。

 唯一の読書スペースでは、会議も行えるようにと広い机といくつもの椅子が置かれていて、庭園が一望できる窓からは、太陽の光がほどよく差し込んでいる。


 だがそれだけでは読み物をするのに採光がたりないので、天井から吊り下げられた、結晶石を動力とする大きなシャンデリアが、室内に軟らかな光をもたすとともに、荘厳な装飾として大きな役割を担っているのだ。


「……懐かしいな」


 昔はここで、兄や家庭教師から様々なことを学んだものだ。

 大切な思い出を一つ一つ辿りながら、シアは部屋の奥へと歩みを進める。


「個人の手記や禁忌の魔法関連は、たしか続き部屋の方だったわよね」


 ウィリデ城の図書室は緑玉の魔法使いや政務に関わる家臣たちも利用するため、禁書や貴重な文献といった閲覧者を限定する書物は、特殊な保護魔法がかけられた続き部屋の方に収められているのだ。


 もちろんこの城の主一家であるシアたちなら、鍵を用いて自由に出入りが可能だ。

 本棚に挟まれた扉の前に立ち、彼女はその鍵となる指輪をはめた左手をかざした。するとたちまち、金の指輪がぽうっと光り、共鳴するように淡い輝きを放ち始める。


 掴みがたい違和感をシアが覚えたのは、その様子をぼんやりと眺めていたときだった。


「……」

(なんだろう?)


 親が子の健やかな成長を願って、誕生と同時に授ける二連の指輪。

 そしてその子供がやがて成長し、護りたい人ができたとき、相手の無事を祈って贈る、対の指輪。


 金のシンプルなリングに、変わったところはない。

 だが――。


「……ああ。そっか、二つ揃っているから……」


 ポツリと呟くとシアは指輪を撫でた。


(過去に回帰したのだから、手元に二つ揃っているのは当然なのに。二つ揃っていることが、こうも落ち着かないだなんて)


「~~っ、しっかりしなきゃ! 過去と今を混同しちゃだめ!」


 過ぎたことを振り返るな――パンっと両手で頬を叩いて、こみ上げた感情を振り払う。

 それからシアは魔法が解除された扉を開けた。


 樫の木の扉の向こうにあったのは、書庫というよりもプライベートな談話室を思わせる、重厚でいてどこかゆったりとした作りの小部屋だ。

 手前の図書室とはまた趣が違う。

 広さはせいぜい、家族が普段使用しているこぢんまりとした居間くらいで、三方の壁にはずらりと古そうな背表紙や巻物が収められている。


 中央には、座り心地の良い一人掛けソファが四脚。

 両開きの大きな窓がはめられた南側には、景色も眺められるようにと、外を向いて寝椅子が置かれている。


(あ……あの寝椅子。背もたれまでふかふかで、いつもイリオ兄様と取り合ってたのよね)


 懐かしい、そう思って一歩踏み出したときである。


「!」


 思わずあっと声を漏らしそうになり、シアは慌てて自分の口を両手で塞いだ。

 繊細な彫刻が施された寝椅子の縁から、ふわふわの金髪が覗いているのが見えたのである。


 ――そうだった。ここはイリオ兄様の根城だった。


(うぅ、なんてタイミングが悪い……。ここの本は持ち出し禁止だってのに)


 昼寝をしているのか、本を読んでいるのかは背もたれが邪魔でわからない。が、ここまで来て引き返すことはできない。

 シアは抜き足差し足で部屋に入るとそっと扉を閉めた。

 ここまでで、イリオスが反応した様子はない。


(よし。寝てるのなら、そのまま熟睡しててね、お兄様)


 魔法が使えればイリオスを眠らせるか、探索魔法で目当てのものを探し出し、頭に叩き込むこともできたものを。

 残念ながら今のシアにできるのは、魔力の流れを見る程度。

 マッチ一本ですら灯せやしない。


 念の為、シアは足元からソファを回り込んで、イリオスの様子を確認した。


 すやすやと寝息を立てている姿はあどけない天使のようだ。

 普段は愛想のない口元が無防備に綻び、長いまつ毛が頬に影を落としている。


「……」


 と、無性に、シアはその鼻をむぎゅっと摘みたい衝動に駆られた。


(いや、ダメだって)


 そんなことをしたら確実に起きる。そしてお仕置きされる。


「…………」

(だから、ダメだって)


 回帰して思ったのだが、時間を巻き戻すと、精神年齢も若干退行するらしい。


 十歳といえば、まだまだ子供。

 悪戯盛りだ。

 けれど精神年齢二十二歳の立派な大人も同居しているので、ちょっとした葛藤が生まれた瞬間である。


 むずむずする右手をぎゅっと握りしめながら、シアは自分に言い聞かせる。


(ここに来たのはイリオ兄様に悪戯するためじゃなくて、情報を探しに来たのよ。……そう。アズラの手記、アズラの手記……)


 口の中でぶつぶつ唱えながら、シアはどうにか誘惑的な悪戯から目を逸らす。

 そして静かに、その場を離れようとしたときだった。


(うん? あ、あれは……!?)


 視界に映った題名のない青い表紙の本に、反射的にパッと振り返る。

 イリオスの胸に乗っているあれは、例の手記ではなかろうか。


(なんだって、そんなところに?)


 ゴクリと固唾を飲みこみ、素早く周囲の状況を把握する。

 ――どうやったら気づかれずに、あれが取れるだろうか?


 ソファの手前にはあいにくとローテーブルが置かれている。それを避けて手を伸ばすとなると、足元から身を乗り出さなければならない。


(そおっと、そぉ〜っと抜けば、いける? どこにも触れないようにそおっと……)


 シアの計算ではいけるはずだった。

 だって自分は、凄腕の暗殺者アッシュとも肩を並べるほどの技術を持っている。

 忍び寄って物を盗むなど朝飯前だ。 

 だが――。


(な、に?)


 シアは完全に目測を誤っていた。

 この短い手足を、計算に入れていなかったのである。


「う、ひゃっ」


 ソファの出っ張りに足が引っかかり、シアは見事にすっ転んだ。

 しかも、イリオスの鳩尾に頭突きを食らわせる、というおまけ付きで。


「ゲホっ!」


 鼻を摘むよりなお悪い。大失態だ。


「…………」

「なんなんだよ、クソ!?」


 かつての軽やかな身のこなしはどこへやら。

 退行と同時に失ったものがあまりにもデカすぎて、打ちひしがれるシアだった。

 が、イリオスが咽せて起き上がった瞬間、ハッと現実に引き戻される。

 今は無力を噛みしめている場合ではない。


「シア〜、お前……っ」


(あ、やばい)


 ジトリと睨め付けてくる緑柱石の瞳は、完全に据わりきっている。

 これは絶対に怒らせた。


「え、と……」


 ――取り敢えず、笑顔で誤魔化してみる?

 咄嗟のひらめきに、シアはとっておきの笑みを浮かべる。


「え、えへ?」

「『えへ』じゃない!」

「はわ!」


 ダメだった。誤魔化されなかった。


(く、屈辱……!)


 イリオスの魔法によって、シアは首を摘み上げられた子猫のように、ぷらんと宙に浮かばされた。それで最後の尊厳も消え失せた。


(よりにもよって、魔法! 魔法で宙吊りにされるだなんて!)


 これでは本当に、悪戯を仕掛けて罰を受ける十歳児ではないか。

 魔塔を震撼させ人々から恐れられた大魔法使い、『白い悪魔』が聞いて呆れる。


「……兄様のばか」


(魔法さえ使えたら、同じように仕返しできるのに!)


 力で抵抗しても無駄なので、されるがまま吊るされていたシアだった。が、ぼっそっと言葉で反撃することは諦めない。


「この恨み忘れませんよ」

「あ?」

「まずはお母様へ、兄様が暴言を吐いたことを報告して、それから――」

「おいおい。それはこっちのセリフだろ」


 耳ざとく拾い上げたイリオスは腰に両手を当てて仁王立ち、それからシアをすとんとソファへ下ろす。


「この跳ねっ返りめ。自業自得だ、阿呆」


 イリオスは低い声で唸ると、中指で彼女の額をバチンッと弾いた。


「いたっ!」


 彼のデコピンは実に容赦がない。


「むぅ、転けたのはわざとじゃないのに」


 痛む額をさすりながら上目遣いに睨みつければ、「どうだか」とばかりに、凛々しい眉が持ち上がる。

 そういう顔をすると、本当に父とそっくりだ。


 普段は母譲りの目元が険しさを和らげているものの、元が父親譲りの険しい面持ちをしているので、尊大な表情がよく似合う。


 思わず毒気を抜かれてまじまじと見入っていれば、イリオスがどかっとシアの横へ腰を下ろし尋ねてくる。


「で? なんだっておれの腹に頭突きをかましたりしたって?」

「それは……」


 シアは一瞬言葉を詰まらせ、それから床に落ちた手記を指差した。


「あれが読みたかったんです」

「あれ……?」

「前にセレン兄様が読んでみて面白かったって、おっしゃっていたから」

「ふぅん? 兄貴がアズラの手記をねえ?」


(う、何? その疑いの眼差し)


 セレンが読んだと言うのは嘘じゃない。

 アズラの手記は少しマニアックかもしれないけれど、魔法について学ぶにはとても良い教本だ。

 もっとも、公爵家の蔵書で面白くない本などほとんどないが。


(過去にここの蔵書を網羅しておけばよかったと、悔やんだことは何度もあった)


 魔法使い一門であるウェルデ城の図書室は、公爵家の襲撃と同時にすべて灰になり、失われた遺産とも呼ばれていたのだ。


 でも、もしも。

 もしも残っていれば。

 いや、『禁忌』や『刻印』について学んでおけば……。


(クロヴィス様を、助けられたかもしれない)


 そのことが悔やまれてならない。


「シア」

「え?」

「なんかお前、最近変だよな……」

「変、ですか?」

「心ここにあらずっていうか、魔法についてだって、そこまで積極的じゃなかったのに」

「……」

「ようやく兄貴に遠慮するのをやめたのか?」


 これだから、イリオスは嫌なのだ。

 大雑把に見えて細かいところまで目端が効く。


『兄貴に遠慮するのをやめたのか?』


 そう、シアは天才と呼ばれるイリオスを凌ぐほどの魔力を持ちながら、才能のないセレンに遠慮して、魔法をあまり学ぼうとしなかった。

 自分までフエゴ・ベルデの才能を発揮してしまえば、後継者であるセレンの立場が悪くなる。そんなふうに思っていたのだ。


(私は忘れていたのに)


 今思えば、子供らしい発想だったと思う。それに、セレンに対して失礼だった。

 だからシアはにっこりと笑って、今の自分の考えを口にした。


「さすがですねイリオ兄様。私もようやく気づいたのです。フエゴ・ベルデとして生まれたって、魔力を持たなかった当主は珍しくもありません。それで揺らぐほど、セレン兄様の立場も次期後継者としての素質も、疑われるはずがないと言うことに」


 現にセレンが後継者として不服だと訴えるものは、この公爵領にはいない。

 そう、一門で争うような要素などどこにもないのだ。


 色眼鏡で見るつもりはないけれど、フエゴ・ベルデには人を見る目がある。

 そして逆光に立ち向かう力や結束力があることを、長い歴史が証明している。


「それに魔力がなくなって初めて、この身に与えられた力の大切さを痛感しました。魔法の習得は早ければ早い方がいい。私が立派な魔法使いになれば、お兄様たちを助けて差し上げられます。そのためにはまず、失われた魔力の回復が第一だと思ったのです」

「だからアズラの手記をねぇ。じゃあ、心ここに在らずな原因は?」

「……」


 全然納得していない口調でそう言われ、シアは笑顔を保ちつつも内心では苦々しく思ってしまう。 


 そうなのだ。忘れてはいけない。

 この、違和感を覚えたらとことん追求しなければ気が済まない強情な性格も、フエゴ・ベルデの特徴なのだ。


(イリオ兄様を騙し続けることは、できないかもしれない)


 ふと、シアは一抹の不安を覚えた。

 彼がここにいたのも、アズラの手記を手に持っていたのも、何か考えがあってのことではないだろうか。


(たとえば、答えに辿り着いて、私を待ち伏せしていたとか――)


「当ててやろうか?」


 案の定、イリオスは意地の悪い笑みを浮かべて、身を屈めてアズラの手記を床から拾い上げる。


「アズラは魔法の真理を突き止めた鬼才だが、変わり者の変人で、書かれているのはまるで予言のようなことばかり。けれど予知の力を持つ『オルクス』であるダンカンと、明らかに違う点がいくつかある」

「……違う点?」

「ああ。何十年とわたって、未来を完璧に予言して見せたのに、ある時を境にその予言が外れるようになった。そしてある日忽然と姿を消した。何よりも明確な答えは、自身が『回帰者である』と明言したことだ」


 そして言葉を切ると瞳から笑みを消す。


「『禁忌の魔法によって回帰した者には特徴がある。魔力を使い果たし、どこかここではない場所を見つめる者。時代の先を知る者。時の歪みをその魂に宿す者――』」


(……ああ、やっぱり気づいてしまったのだ)


 確信に満ちた眼差し。そこに宿った、咎めるような厳しい感情の火。

 シアはぎゅっと胃を掴まれたような緊張感に、我知らずスカートを握る。


 やがて、イリオスは淀みのない口調でこう告げる。


「お前、回帰の魔法を使ったな?」

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