第20話 シアのもう一つの才能-1

「——不合格」


 微笑みを伴ったシアの唇から、そんな言葉がもれる。

 それと同時にガチャリと鍵の回る音が響いた。

 配膳のために、ワゴンを押してクロヴィスの執務室へ足を踏み入れた侍女は、「ひっ」と小さく悲鳴をあげて、閉ざされた退路を振り返った。


 大きく見開かれた瞳は、わけが分からないと言いたげだ。


(ほんとうに理解していないって?)


 この女がただ鈍いのか、それとも演じているだけなのか。

 緊張感の漂う空気に呑まれて震えながら、けれど、この女が今にも気絶しそうなほど動じる理由がそれだけではないと、シアは侍女が一歩室に足を踏み入れたその瞬間から見抜いていたのに。


 不穏な笑みをたたえる、残虐と噂の魔法使い。

 険しい表情で立ち並び、自分を注視している第一王子の側近たち。

 熟練の騎士たちでも怯む顔ぶれなのだから、普通のメイドがこの状況に怯えるのは当然だ——しかし。


(はぁ、まったく。侍女に食事を運ばせるようになって早々、これとは……耳聡いことで)


 シアがクロヴィスの毒味役を請け負う——そう決めて、配膳を侍女に命じてからまだ一週間も経っていない。

 なのに、もう毒が盛られた。

 しかもタリアはいまだ旅の途中だ。


(つまり、あの女に命じられて動くものが別にいるってことか)


 今回の主犯が、第三王子一派や他にクロヴィスを恨む者たちだとは考えていない。

 自分が不在の間に仕留められれば、疑いの目は他へ向く。ついでにもう一人の目障りな第三王子も、難なく消せれば一石二鳥。

 あの女がこの好機を逃すわけがないのだ。


(敵が傍にいなくてクロヴィス様の気が緩んだ。そう思ったのかもしれないけれど、情報は正確に集めないとね)


 たった一つの過ちが、大きな損失を生むことになる。


(とりあえず、手駒を一つ)


 そう胸の内で呟きながら、シアは青い顔で立ち尽くす若い女に近づいた。

 窓辺から離れ、一歩また一歩。その動きに対して、足音はない。

 鍵が閉められる音を聞いてから、そばに控えていた側近たちも無言で事の成り行きを見守っているので、部屋はいつになく静寂と緊張感に包まれている。

 と、そこでシアはあることに気付く。


(んん? なんか……思ったよりも、素人くさい?)


 いや。


「まさかほんとに、こんな素人を使うだなんて。……拍子抜けだな」


 あまりにも堂々と仕込んできたから、てっきりその道のプロでも差し向けられたと思ったのに。ただの素人。正直言って残念だ。

 シアは女の前に立つとため息交じりに零した。


「それにどうやら貴族階級ではなく、平民出身」


(年の頃は二十代前半。王宮に勤められるのだから、それなりに裕福な家庭か、もしくは身内に伝手があるもの……)


 狼狽えた様子でぐっとドレスを握りしめ、身を震わす女を観察し、シアは独白のように特徴を上げていく。

 その間に、女は侍女の作法を思い出し、慌てて頭を下げた。


「……」


(脅すか誘惑するかして、本物の侍女を使ったのか)


 現場の人間を利用するのは、足が付かないようにするための常とう手段だ。


「名は」


 椅子の背にもたれ、肘置きに頬杖をついて成り行きを見守るクロヴィスに代わり、シアが尋ねる。

 メイドはちらりとクロヴィスを見た後で、僅かに上ずった声で「アリス」だと名乗った。


(ふ~ん? この状況を切り抜けられるって思ってるのかな?)


 絶望感よりも緊張と困惑の入り混じった一瞥に、シアはアリスの思考を推測する。

 どうやらまだ、アリスは自分の置かれた状況に気付いていないらしい。


「あ、あの……私の出自が、なにかお気に障ったのでしょうか……」


 シアへ問いかける口調に焦りはなく、給仕の技術が『素人で平民出身』だからいちゃもんをつけられているのだと、勘違いをしている。

 だから分をわきまえさせるために、シアはあえて質問を無視し、クロヴィスへ楽し気にこう告げる。


「愚か者どもへの見せしめに、首を撥ねてもよろしいですか?」

「!」


 シアの物騒な提案に、アリスは息をのみ、がばっと顔を上げた。自分の命が危機に瀕していると、ようやく気付いたらしい。

 一方クロヴィスは淡々としたものだ。


「まだ料理に触れてもいないのに、わかるのか?」

「ええ。触れるまでもありません。側近の方々の皿も並ぶ中で、殿下のものだけを追うその視線。室に入った瞬間の息遣い、瞬き、イントネーション。そして、うっすらと滲んだ汗……魔法使いでなくとも、これほど分かりやすい自白はありませんので」

「え? いったい何のことを……」

「とぼける必要はないでしょう? 先ほどから不自然なほどに興奮した様子も、付け加えましょうか?」

「そ、それは……」


 緊張して、そう言い募るアリスの後ろで、リフとアイガスが顔を見合わせる。


「わかったか」

「いいえ、ぜんぜん……」


 一方、首を振って短い会話を交わす二人の隣で、ザノックスだけは同意するように小さく頷いてみせる。

 ザノックスは密偵として、暗殺者ばりの技術を身に着けている。その実力はシアやアッシュには到底及ばないものの、彼女が羅列した特徴を見抜くくらいには優れている。


「さて。いかがいたします、殿下? すべてはあなたの采配のままに」


 シアがそう言って振り向くと、クロヴィスは無言のままアリスを見つめた。

 アイスブルーの瞳はいつになく無感情で、凍えそうに冷たい。

 美しい人が表情を消すと、これほどまでに威圧感を伴うのか。シアがそう感心する傍らで、耐えきれなくなったアリスがどさっとひざを折り、床に這いつくばって命乞いを始めた。


「お、お許しください殿下っ! わ、わたしは、脅されて仕方なく……幼い弟妹の命と引き換えに、殿下の皿へ渡された小瓶の薬を一滴だけ。そう——ほんの一滴! 一滴だけで、少し体調を崩すだけだと——」

「は、『脅されて仕方なく』ね」


 必死にそう言い募るアリスへ、シアは冷ややかな嘲笑を浴びせる。


「ひっ——」


 そしてアリスのそばへ膝をつき、その首を鷲掴むとぐっと力を込めた。


「うぐっ」

「だったらその薬を、私が幼い弟妹とやらに盛っても、お前は『仕方なく』で済ませるのだろうね」

「は、ぐ……っ」

「のたうち回る兄妹を前に『体調を少し崩すだけ』だと。『自分は知らなかった』と、笑ってみせても、きっと許してくれるだろう」


 その場の誰も、シアの行動を止めなかった。


「あ、たすけ……」


 どれだけアリスがもがいても、切望の滲んだ瞳で助けを求めても、誰一人動こうとはしない。ただ、静かな怒りと軽蔑を湛えて見下ろすばかりだ。

 アイガスなどは震える拳を握りしめ、音が聞こえそうなほどに奥歯を噛みしめている。そうでもしないと、激情のままに怒鳴りつけてしまいそうなのだろう。


(それだけで、いままでに殿下がどれほど毒や刺客に苦しめられてきたのかがわかる)


 だからこそ、誰もシアを止めない。


(たとえこの場で、私がこの女の首をへし折っても)


 だが——。


 まだ早い。そう言い聞かせると、シアは僅かに手から力を抜いた。

 元々加減はしていたので、アリスはそのすきにもがいて抜け出し、必死にクロヴィスへと取りすがる。


「お、お許しください殿下! 知っていることはぜんぶお教えいたしますっ、だから、どうか命だけは! どうか——」

「……近衛兵を呼べ」


 クロヴィスは短く嘆息すると、扉に近いリフへそう命じた。

 アイガスやジュノーは何か言いたげな視線を主君に向けたが、クロヴィスはシアを一瞥した後で静かに目をつぶった。

 これで終わりではない。そういうことだ。


(クロヴィス様があのメイドを見逃したのは、慈悲のためではない)


 近衛兵が駆けつける足音を聞きながら、シアはなるべく自然に扉の横へと移動し、壁に背をつける。


(一、二、三、四、五……)


 近づいてくる気配はぜんぶで五つ。


(ただし、その内不自然な足音が一つ)


 クロヴィスが静かに瞼を上げるのと同時に、開け放たれた扉から近衛兵たちが駆け込んでくる。

 皆、敬愛する主君に刺客が差し向けられたと聞き、切迫感と怒りの滲んだ表情だ。


「殿下!」

「ご無事ですか!?」

「ああ。そこのメイドを連れていき、すべて吐かせろ」

「はっ」

「おい、立て!」


 隊長と思しき壮年の兵士がクロヴィスの命を受け、そばにいた若い兵士が乱暴にアリスの腕を取る。

 過ぎ去った興奮の余波か、これから待ち受けている尋問への諦めか。ぐったりとしたアリスを支えようと、もう一人の兵士が近づいたのは、そのときだった。


「両手を上げて、止まれ」


 シアは男がアリスを始末する前に、すっと気配なく動き、その首に鋭いナイフの刃を突きつけた。


「な、殿下の御前だぞ!」

「ヴァーミルに何を——」


 近衛兵の仲間がぎょっとした声をあげる中、シアと男は音のない攻防を繰り広げる。それはほんの一瞬の出来事だ。


「はは、甘いなぁ」


 男が後ろ手に突き刺そうとした毒針を蹴り落とし、逆に軍服に包まれた肩へとナイフを突き立て、床へ引き倒す。


「ぐはっ——ッ!」

「だから甘いんだって。そうはさせないよ?」


 男は最後の抵抗とばかりに、奥歯へ仕込んだ毒で命を断とうとした。

 けれどそれも想定内。


(こいつらって本当に、ひねりがないよね)


 魔法で男の自由を奪い、それから絨毯を汚さないようにナイフをそっと引き抜いて、背中の布地を袈裟懸けに切り裂く。


 リフから『どの刺客もうまく処理されて、証拠がつかめなかった』と聞いていた時点で、闇ギルドの関与は視野に入れていた。

 クロヴィスも可能性として気づいていたからこそ、シアの自由にさせてくれたというわけだ。


(情報が洩れる前に、騒ぎに乗じて手駒は始末する——それは暗殺者の常とう手段。そしておそらく、こいつは……)


 ビーッと高い音を立てて裂かれた、軍服の切れ目から覗いたのは、三本足の鳥の入れ墨だった。

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