第19話 団らん-2

(私もそう思いますよ、リフ卿)


 シアは改めてペンを走らせているクロヴィスを見ると、おもむろに立ち上がった。


「殿下、熱々の美味しい料理を食べたいと思いませんか?」


 そう言いながらクロヴィスのもとへと歩み寄り、机の内側に回り込んで至近距離から彼を見下ろす。


「なんだ、急に……」


 音もなく近づいたシアににっこりと微笑まれ、クロヴィスは若干警戒した声をあげた。


「また変なことでも企んでいるのか?」

(うーん、当たらずしも遠からず)


 変なことは企んでいない。

 心の中でそう返し、シアは机の縁に腰をかける。それから食事の乗った皿を取り、組んだ膝の上に置いた。ついでに加温魔法もかけておく。

 本来は雪山などで体温を保つために使用される魔法だが、応用すれば可能性は無限大だ。


「ただこの、リフ卿の愛情こもったサンドイッチが温かかったら、もっと美味しく感じられるだろうなと思いまして」

「……」


 シアの膝に置かれた皿を一瞥して、クロヴィスは告げる。


「食べたかったら食べていい。そなたは何も口にしていないだろう」

「ええ。私、何も口にしていません」


 私も、というところを強調したら、黙れとばかりに睨まれた。が、シアは心の中でぺろっと舌を出す。


(ははん、全然怖くありません)


 しかめっ面をして見せようと、目を細めて凄んで見せようと。そこに敵意がなければけん制にはならない。

 修羅場をいくつも潜り抜けてきたシアにしてみれば、ただ「そういう冷ややかな顔も相変わらず美しい」だけなのである。

 だからシアは、黙るどころか哀れっぽい口調を意識してこう続ける。


「ジュノー卿のように、殿下にお付き合いしようと思ったのですが、そろそろお腹がすいてきました」

「別に付き合う必要はない」


 これはジュノーに向けた言葉だ。


「もう少ししたら終わりにする」

「ですが……」


(ぜったい終わりにしたりしないでしょう)


 ジュノーが呑み込んだ言葉を引き継いで、シアは胸の中でそうこぼす。

 クロヴィスの『もう少し』は、ぜんぜん少しじゃないし、『終わり』は次の始まりだ。


(やれやれ、この手は控えようと思ったけれど……仕方がないひと)


 内心で溜息を吐き、それから意地の悪い笑みを浮かべて、シアは告げた。


「クロヴィス様、それではまるで玩具に夢中で手放せない、お子様みたいですよ。ああ、それとも。文字でびっしり埋まったその書類には、しっかり捕まえおかないと、羽が生えて飛んで行ってしまう魔法でもかかっているとか?」


 小馬鹿にしたその台詞に、ジュノーがぎょっとし、それからちらりと主君を横目に窺ったのは言うまでもない。


「ま、魔法使い殿、言葉は選ばれたほうが……」

「おや、なぜです?」

「…………」

「なぜってそれは」


 ——クロヴィス様が、本気で殺気を飛ばしてくるから。


 案の定、シアたちの周りをヒヤっとした空気が流れる。


「ほう?」


 たった一言。短く発しただけなのに、今度のこれはちょっぴり怖かった。


(やば、鳥肌立った)


 たっぷりの間もそうだが、冴え冴えとした瞳に剣呑な光が宿り、絶対零度の声音に室温がぐっと下がった。

 チリチリと肌がひりつく感覚に、思わず袖に隠したナイフを抜きそうになったほどである。

 だがここで降参するわけにはいかない。


(もうちょっと、あと少し……)


 そう心の中で呟くと、シアはわざと軽い口調を心がけ、クロヴィスをなおも挑発する。


「おや、そうでない? なら決まり良く食事の時間は食事をしないと。昔乳母に教わらなかったですか? 『お行儀の悪い子は大きくなれない』って」

「魔法使い……今すぐその戯けた口を——」


 クロヴィスがムキになって、口を開いたその瞬間だった。


(——隙あり!)


 シアはきらっと目を光らせ、サンドイッチを一切れ、そこへ素早く押し込んだのである。


「うっ」

「殿下! ……えっ? 魔法使い殿!?」


 突然異物を押し込まれ、クロヴィスが咽たような声を漏らす。

 机の反対隣りでは、ジュノーが卒倒しそうな表情で駆け寄ろうとしたが、シアはそれを魔法で縫いとどめる。

 それから、閉じたクロヴィスの唇に指を添えたまま、にこっと微笑み、こう告げた。


「ね? 美味しいでしょう」

「……」


 クロヴィスはもちろん無言だ。

 殺気は若干緩んだものの、冷ややかな眼差しは変わらない。


(覚えていろよ、って感じ?)


 それでも、シアが指を離すと大人しく咀嚼しているあたり育ちがいい。

 口に入れたものは——毒や害がない限り——必ず呑み込んでから、喋ること。

 だからシアは彼が再び口を開けるのを待って、二切れ目を押し込む。


「おい、ジュノーの——ッ」

「ふふ」


(まるで餌付けされているひな鳥みたい)


 もしくはむっつりと不機嫌な、黒豹の子供?

 可愛らしい反応に思わず本気で笑みがこぼれた。


「ぬおおおい、小娘! 貴様、殿下に何をしておるっ。恥知らずな——」

「はいはい、アイガス殿。お邪魔虫はいけませんよ~」


 それまで呆気に取られていた外野が、急に騒がしくなった。かと思えば状況を察したリフが機転を利かせ、立ち上がったアイガスを押しとどめる。

 手際がいいのは、アイガスの従騎士として、散々世話を焼いてきた経験があるからだろう。


 それを横目に見ながらシアはおもむろにパチンと指をはじいた。扉の横に、ティーセットの乗ったワゴンを見つけたのだ。


 魔法で浮き上がったティーセットがふわりと浮き上がり、滑らかな動きでお茶を淹れ始める。それを視界に捉えたジュノーがぎょっと目を瞠り、まじまじと見入る。

 まるでサーカスを始めて目にした子供のよう。

 そんな感想を抱きながら、シアは再びクロヴィスの形のいい唇へ、三切れ目のサンドイッチを運んだ。


「もう一ついかがです?」

「……」


 だが賢いことに、今度はクロヴィスも口を開かなかった。

 むっつりと唇を引き結び、怒りのこもった眼差しで告げてくる。


(それをさっさと下げろ、ってことかな。うーん、下げたらどうなるんだろう、私……)


 クロヴィスのアイスブルーの瞳には、穏やかでない光が宿っている。

 それが少々……、いや、だいぶ不安だが。殺されたくはないので大人しく皿を机に戻し、両手を上げる。


「はいはい、もう何も持ってません。代わりに口直しの紅茶をどうぞ。あっつあつのお茶を流し込むなんて、拷問みたいなことは致しませんので、ご安心を」


 そう告げたのと同時に、瑠璃色のティーカップが音もなく机の上に着地した。遅れて茜色の紅茶が綺麗な弧を描いて注がれる。


(いい香り。アルマ産のダージリンかな?)


 ふわりと香った瑞々しい芳香に、シアは銘柄を当てた。

 あの時もそうであったが——ジュノーの腕はともかく——王族の口に入るものだけあって、用意された茶葉は最高級品だ。


「……」


 クロヴィスはじっと無言でシアを睨みつけた後、やがてはぁと溜息を吐きだした。


「ジュノーを離してやれ」

「はいはい」

「で、殿下! どこか優れないところは……?」

「問題ない」

「はは、もちろんあるわけありません」


 警戒したようにじとりと見てくるジュノーへ軽口を返し、シアはクロヴィスへ告げる。


「ゲッシュで忠誠を誓ったのですから、私が殿下を害することなど出来ないのです。たった髪の毛一本であってもね」


 それから表情を改めて、目の前の冷たく美しい顔へと手を伸ばす。


「温かい料理はいかがでしたか? 冷めきったものよりは香りも楽しめて、込められた思いを感じられたでしょうか」

「……魔法か」


 クロヴィスは珍しく、頬を撫でられるままでいた。


「ええ。冷めた料理を温めなおすことも、異物が混入していないか探知し、取り除くことも魔法なら可能です」


 そのとき、淡々としたアイスブルーの瞳に、一瞬よぎった感情はなんだったのだろう。

 驚きか、安堵か。

 それとも両方だろうか。


「これから毒味役は必要ありません。私が魔法でその役を引き受けます。殿下には安心して温かい料理を楽しんでいただきたいので」

「……」 


 クロヴィスは静かに瞬きした後で、再び深く嘆息しながら手の甲でシアの手を追い払った。


「ジュノー、休憩だ。これでは仕事にならない」

「は、ですが……」

「いい。たまにはアイガスたちと同じ席につけ。でないとあれが煩い」

「……畏まりました」


 向こうに行けという意図を汲み取って、ジュノーがそっと傍を離れる。だがその瞳は、また主君がシアに何か無礼なことをされないかと、少し心配そうだ。


(いまだに信用されてない)


 そう思うが、先ほどのシアの行動を考えれば、無理もないと納得もする。


(まあ、私のことを信用してないのは、この人もだけど)


「ふふ、そんなに睨まないでください」


 シアはじっと注がれる視線を受けて、どう説得しようかと頭を悩ませた。


(ゲッシュを結んだからといって、クロヴィス様が私を信用するとは思えない。う~ん。いくら言葉を重ねても、信用されていなければ響くこともないしなぁ……)


 いますぐ説得は難しいのかも——そう思ったときだった。


「そなたは本当に万能だな……」


(ん?)


「それに底が知れない」


 どうやら聞き違いではないようだ。

 それに皮肉でもない。

 すっと逸らされた瞳は、湯気を湛えた茜色の液体を見つめ、その眼差しは心なしか優しい。


「お褒めに預かり光栄です」

「は、褒めていいのかは迷うところだがな」


 ——王宮内ではどんな魔法使いも魔法を使えないよう、神の加護が働いている。

 意味ありげにそう告げられ、シアはそ知らぬ顔で首を傾げた。


「さあ、それは存じ上げませんでした」


 本当は王宮に来て一週間程で無効化する方法を編み出したのだが、それは秘密だ。ジェフリーたちの前でも、シアは当然、加護の範囲内では魔法を使えないふりを貫き通した。


(まあこれからは、公然の秘密になるけれど)


 シアは心の内でそうこぼし、グリーンの瞳を悪戯っぽくきらめかせる。


「ですがこうして魔法を使えているのですし、もっと褒めて下さっていいのですよ」


 それから内緒話をするように、クロヴィスの整った顔へぐっと顔を近寄せた。


「私の実力はこんなものではありません。魔法以外にも優れた才能をたくさん隠し持っていますから」


 かがんだ拍子に、耳に掛けていた髪の毛が一房、はらりとこぼれてクロヴィスの肩にかかる。


「……」


 なにを思ったのか、クロヴィスはそれを掬い上げると、興味深げに指へと巻き付けた。

 それから、確かに興味を宿した瞳でこう問いかけた。


「たとえば?」

「たとえば、凄腕の暗殺者と肩を並べるほどにはいろいろと。機会があればぜひとも披露させていただきます」

 

 不敵な笑みを伴ったシアのその宣言は、すぐに披露されることになった。

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