第18話 団らん-1

 その日はやることもなく、定位置と化したクロヴィスの書斎の片隅で、シアはぼんやりとしていた。

 南側に面した窓辺は夏が近づき始めたこの時期、開け放した窓から時折そよそよと冷たさを含んだ風が吹き込み心地好い。

 そこへ一人がけ用のソファーを置いて、ふかふかな背もたれに埋もれるように寛ぐのが、シアの最近のお気に入りなのだ。


(これで、上等なブランデー……は、ダメだから紅茶とボンボンでもあれば、最高なんだけど)


 と、ちょうどそこへ。ジュノーが茶を淹れると言うので、お相伴に預かったわけなのだが……。


 ——茶に、毒が盛られた。


「うっ、ゴホッ——ッ!」


 いや。

 正しくは『毒のように恐ろしく不味い』茶が供された、だ。


(なんだ、これ)


 日頃の恨みか。


「……」


 過去に毒殺されかけたことは何度もあるし、それ以来、魔法によってあらゆる毒に耐性を持つシアだった、が。


 これには不覚にも、一瞬言葉を失った。


 渋くて、苦くて、おまけにぬるい。

 三拍子そろった液体は、何なら錆び付いた鎧の頑固な汚れまで落とせそうだ。

 要するにつまり。


(くそ……不味……)


 あまりの不味さに思わず脳内語調が乱れた。

 クロヴィスと行動すようになってからは、言葉遣いに気を付けていたのに。


「大丈夫ですか!?」

「…………。いいえ?」


 思わず駆け寄ってきた犯人へ、シアはふふっと殺気のこもった笑みを浮かべる。

 それから相手がひるんだすきをついて、胸倉をつかんで低い声で凄んだ。


「ちょ、なにを——」

「私を殺す気ですか、ジュノー卿?」

「な! 人聞きの悪いっ。だから先に、味に自信はありませんと、断ったではないですか!」


 身に覚えのない濡れ衣を着せられて、ジュノーがかぁっと顔を赤くする。


(なるほど、自分の淹れた茶が殺人的に不味いという、自覚はあるらしい)


 シアは納得するとぱっと服から手を離し、それから遅れて、傍観しているクロヴィスを見やった。


「なんだ?」

「捨てましょう」

「……」


 だめだ、と言わないところを見ると、クロヴィスも不味いとは感じているようだ。が、この味に慣れてしまったのか——いや、慣れることは絶対にない——やせ我慢なのか、


「眠気覚ましにはちょうどいい」


 そんなことを言うので困ったものだ。


「眠気が吹っ飛ぶ前に、意識が飛びます」

「飲めなくはない」

「殿下……!」


 憮然と言い返すクロヴィスに、ジュノーが感涙の声を上げる。が、シアはなおも指摘する。


「全然減っていないではありませんか」

「……減ってはいる」

「……」

「……」


(は、この意地っ張りめ)


 王族から無断で物をひったくるわけにはいかない。それがたとえ、限りなく健康に害がありそうな代物であってもだ。

 だからクロヴィスが否と言えば、シアは引き下がるしかなく、この時は不本意にも負けを認めるしかなかった。


 思えばクロヴィスは、あまりにも食に関心がなさすぎる。


(偏食だったりまったく食事をしないというわけではないけれど、まるで仕方なく栄養補給をしている感じ)


 シアがそう結論付けたのは、何度目になるか、恒例の食事風景の最中のことである。


 その日も——というか、いつもなのだが——アイガスやザノックスが厨房から湯気の立ちのぼる昼食を運んできた。

 香辛料のきいたチキンのソテー。ポテトと茸の付け合わせ。

 新鮮な牛乳と野菜をコトコトと煮込んだ、具だくさんのクリームスープ。それに表面がこんがりと焼かれた丸パン。


 王族の昼食にしてはどこか素朴であるものの、味は文句の付け所もないほど美味しい。味に煩いシアも唸らせるほど、カエルレウス宮の料理人は腕が立つ。

 しかも、クロヴィスが幼い頃から仕えているというから、彼にとっても馴染みの味だ。

 けれど……。


(また放置するな、あれ)


 机の端に置かれたままの皿を見て、シアはうむむと眉を寄せる。


 その上には毒味を終えたリフが、甲斐甲斐しくパンに切れ目を入れて、同じくスライスしたチキンと、ポテトや茸を挟んだお手製サンドが置かれている。

 一切れが一口で食べられるようサイズは小さめにカットされ、毒味後のためチキンは冷めてしまっているものの、まだきっとジューシーで柔らかい。

 しかし、クロヴィスがそれを胃に流し込むのは、ジュノーに強制的に書類を取り上げられて初めて、どうにかだ。


『我々が殿下の元で食事をしたりお茶を淹れて差し上げるようになったのは、実はそれほど昔ではありません。二年ほど前からでしょうか——』


 シアがなぜみんな揃って食事をするのかと聞いた際、リフが経緯を説明してくれた。


『それまで宮には殿下のお世話をするメイドが大勢おりました。ですが、毒を盛られることも少なくなく。ある毒味役が買収されたことがきっかけで、殿下の口に入るものはより徹底して注意を払おうとそう決めたのです』


 カエルレウス宮の主要な使用人は料理人同様、皆クロヴィスの幼少期から仕え、信用に足る者たちである。だが、メイドや使い捨ての毒味役はそうもいかない。


『二年前と言えば……第四王子が現れたころですね』

『ええ。どれもうまく処理されてしまったので、証拠はつかめませんでしたが』


 以来、アイガス、ザノックス、リフの三人がメイドの代わりに給仕を行い、交代で毒味をしていた。

 それがある日、ミセス・ハンナ——コックの采配でいつの間にやら全員分が用意されるようになり、クロヴィスも「会議もかねてちょうどいい」とのことで、ああした団らんの図が出来上がったのだとか。


 クロヴィスを毒殺したがっている犯人——おそらく、タリアだろう——もわかっているのだ。

 クロヴィスの側近は、王国でも軍や政治の中枢を担う侯爵家や伯爵家の縁者。

 その者たちが毒で死ねば、王位争いだけでことが済まなくなると。


 それに、リフが毒殺された場合は、南部貴族を敵に回すことになる。商人気質の南部貴族は、横のつながりがとても強いのだ。

 だからけん制の意味も込めて、公の場でリフが毒味を買って出ることが多いのか。


『殿下はもともとご自分のことに無頓着であられますが、毒味役の一件以来ますます食が細くなられて……』

『その時、どのくらい酷く煩われたのですか』


 当時のクロヴィスの容態についてシアが尋ねると、リフはその時の情景を思い出したのか、ぐっと何かを堪えるように言葉を紡いだ。


『……司祭を呼ぶほどには』


(つまり、生死の境をさ迷った?)


 毒味役が買収されたのだとしたら、クロヴィスは確実に毒に倒れただろう。

 神聖力を持つ司祭を呼んだということは、解毒薬が効かなかった、もしくは臓腑をやられたということだ。


(あの方は優れたソードマスターなのに……)


 ソードマスターはオーラマスターとも呼ばれ、体内の気を練り、身体能力を高めたり、武器を強化したりすることが出来る。

 身体能力が高いということはつまり、毒への耐性も強く、自己治癒力も凡人より高い。


『一国の第一王子でありながら、宮の使用人が少ないと思いましたが。そんなことがあったのですね』


(だからこそ、クロヴィス様はなにかを口にするという行為に対して、抵抗感を持っている。味や内容に興味が持てないし、楽しむ気が起きないのもそのせい)


 たとえそれが、どれほど信頼できる部下が用意したり、毒味したりしたものであっても。


(喉を焼き、胃の腑を爛れさせるあの感覚は、忘れられるものではないものね……)


 シアも経験したからわかる。毒が蝕むのは体だけではないのだ。

 そのうえで、こうも思うのだ。


(あのひとが奪われたもの、失ったものを、少しでもいいから取り戻して差し上げたい)


『……あなた方があれほど騒がしく、殿下の前で食事をする理由がわかりました。少しでも興味を持ってもらえたら、そう思ってのことなのですね』


 シアが彼らの思いを的確に汲み取って告げると、リフは穏やかに微笑んだ。


『ええ。殿下は毒味もいらないと仰るのですが、殿下が思って下さる以上に、我々もあの方をお守りしたいのです——』

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