第17話 凱旋-2

「陛下はジェフリー殿下がお戻りになるまで、殿下とお会いになられないそうです」


 アッシュと別れた後、転移魔法でクロヴィスの住まいであるカエルレウス宮に戻ったシアは、沈んだ顔のリフにそう告げられた。


(なるほど、アッシュの言うことは正しかった)


 なんでも、クロヴィスが帰還の報告のため謁見を申し入れたところ、「二人の王子に討伐を命じたのだ、帰還の報告も両王子がそろってから聞こう」とはねのけられたとか。


 ルヴォン侯爵や報告を受けていた大臣らが、ジェフリーの帰還がだいぶ先になることと、「国王としてこれほどの偉業を成し遂げたものを冷遇しては、人心が乱れる」と諭しても、王は頑として聞き入れようとはしなかった。


(そんなにもあの頼りない第四王子が可愛いかな……)


 ――王位を継がせたいのなら、いっそ楽にしてやればいいものを。


 そう思っているのは、きっとシアだけではないだろう。

 クロヴィスの書斎には苛立ちと失望が入り交じった、微妙な空気が満ちている。

 ソファに深く埋もれ、不機嫌に絨毯を睨みつけたり。放心したように天井を眺めている姿から、シアは側近たちの心情を汲み取った。


 国王ケルサスは決して暗君ではない。が、シアにしてみれば、臆病者の愚か者。おまけに父親としても不合格、だ。

 かつて、ダンカン・フエゴ・ベルデが膝を折り、公国を統合した剣王、ウィクトール・フォン・ディザインが稀代の名君ならば、ケルサスもまた、国民から明君と称えられてきた人物であるはずだった。


(若い頃には革新的な改革を推し進めたり、国民の声を広く聞いたりと、貴族の反対にもめげず平民の生活水準を高めるような、強引な政策も執ってきたと聞く……)


 だからこそ真に民を思う王であれば、病に侵され自身ではまともな政治を行えていない今、王太子を定め揺るぎない後継者を育てることが、急務であると理解しているはずなのだ。


(それなのに……)


 優秀な第一王子から目を逸らし、唯一心から愛した女性の忘れ形見というだけで、夢想家な第四王子に期待をかけ続けている。

 その姿は一国の主というよりも、理性を失ったただの偏愛的な親バカだと言われても仕方がない。


『いまのジェフリーの実力では到底、国を統治できない。かといって、王后の子であるクロヴィスには王位を与えたくない。だがしかし、国の繁栄のためには第一王子のような優秀な後継者を、切り捨てることもできない』

 そんな葛藤まで聞こえてきそうだ。


(それで振り回されている周りは、たまったもんじゃないけれどね)


『もしかしたら。次こそは――』

『国王陛下も目を覚まし、優秀なクロヴィス殿下を認めて下さるかもしれない』


 そう期待を胸に、散って逝った家臣はどれほどいたのだろう。


(同じだけの損失が出るのなら、いっそ……)


「もういっそ、クーデターでも起こしたらいいのでは?」


 シアがボソッと漏らしたつぶやきは、思いのほか大きく響いた。

 執務室に集まったいつもの面々——ただし黙々と書簡に目を通しているクロヴィス以外——が、一斉にぎょっとした表情でこちらを見る。


「ん?」

「な、なんてことを言うのだ、この小娘は……っ。誰かに聞かれでもしたら」

「そこはぬかりありません。宮にはもともと使用人の数も少ないようですし、防音魔法もばっちりですから」

「そういうことではない!」


 息まくアイガスに、シアため息交じりに呟いた。


「ですが、一度くらいは考えたこともあるでしょう?」


 窓枠にゆったりと寄りかかり見透かすように微笑んで一同を見渡せば、口ごもったり、さっとシアから視線を逸らしたり。実に雄弁な反応だ。


「う、ぐ……」


 やましそうな反応を見る限り、やはり一度は考えたことがあるのだろう。

 シアが調べた過去の経歴を鑑みても、考えないことのほうがおかしい。


 無茶な王命。敵だらけの王宮。

 仕置きに、息子の権力を削ごうとする母親。


(命の危機に直面したのは片手で収まりきらないほどあるし、そのたびに多くの犠牲を出してきた。その状況をこのひとが見過ごす理由は——……)


「クーデターはリスクが高すぎる。なによりも、教会に睨まれたくはない」


 書類から目も上げず、けれど律儀に答えたクロヴィスの理由に、シアは「なるほど」と素直に納得した。


 教会は、エスメラルダ公国がシュエラ王国に統合されるよりも以前から、王家と魔塔の監視者だった。

 女神の声を聞く『聖女』と、二番目に強い神聖力を持つ『教皇』。

 そのふたりを筆頭に、神のお告げに従い、神の目となり手足となって人々を救済することを使命としている。


(遥か昔、シュエラ王国の歴史の中で、対立する王族に雇われた魔法使いたちによる代理戦争が起こって以来、だっけ?)


 その時、滅びかけたこの国を救ったのが教会であり、魔塔と王家で相互不干渉のゲッシュを結ぶことになった始まりだ。

 王家と魔塔のゲッシュは、教会の監視の元に交わされた。


『王家は魔塔と取引をしてはならない、魔塔は王家の争いに介入してはならない。これを破った場合、その者は神の祝福を失い、すべての恵みから遠ざけられるだろう』


 そのあとにはこう続く。


『女神との誓いは神の僕である我々が見守ろう。いかなる手段でもっても、主との誓いを捻じ曲げることは許されない。そして、それはゲッシュに限らず。欲をもって弱きを虐げる罪悪を、教会は決して許さない』


(もともと横暴さが目立つ王后のせいで、教会はクロヴィス様に好意的でない。国王も、王太子の選定を急ぐよう教皇から苦言を呈されたと聞くけれど、とはいえ、クーデターが許される理由にはならない)


 あくまで穏便に、速やかに、というのが教会の要望である。

 そもそも、民を犠牲にする行いを好まない教会が、武力行使を容認する可能性はゼロに等しい。それで『リスクが高すぎる』と言うわけだ。


(教会から破門されれば、王位どころではないものね)


 下手をすれば、王族であろうと異端審問にかけられて、神の祝福を失う事態もあり得る。この場合の『神の祝福』とは、病気やけがを癒す神聖力ではなく、女神アウラコデリスの祝福そのものをさす。

 王国民であれば、あらゆる災禍から守られるよう、生後一年以内に『アウラコデリスの祝福』を教会から授けられる。それを失うとはどういう意味なのか……。


 過去に、祝福を失った罪人は——ゲッシュを破った者と同様——その瞬間雷に打たれて亡くなったという記録さえ残っているから、あまり想像したくない。


(教会を懐柔するという選択肢もあるけれど、それよりも民心を集めたほうが早い。……まあどちらにしろ、私はクロヴィス様のお考えに従うだけだけど)


 だからそれ以上、余計な口出しはしなかった。

 クロヴィスに危害が及ばない限りは。


 しかしその数日後。シアでも口出しせざるを得ない事態が起こった。

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