第16話 凱旋-1
二週間後——。
ザノックスの言った通りクロヴィス一行が凱旋すると、王都は歓喜に包まれた。
「第一王子万歳!」
「クロヴィス殿下、万歳!」
王都が近づいたあたりで先ぶれが出されていたらしく、城下町に入る最初の門をくぐった瞬間から、かなりの歓声と降り注ぐ花々に出迎えられた。
「あれが西部の領民や旅人を百人以上も襲った魔物……」
「すごい。その群れを二つも討伐されたなんて」
「やはり殿下は、剣王陛下の再来——……」
しかも王都の中心街へ近づけば近づくほど、レンガ造りの街並みのいたるところに、クロヴィスを現す青い布が掲げられている。
等間隔に建てられたガス灯。アパートが連なる民家のベランダやバルコニー。商店やサロンの屋根から伸びる錬鉄製の看板に至るまで。
結ばれた青い布やリボンが風にはためいている様は、まさに彼一色。
国民の歓待ぶりは立ち並ぶ人々の表情にも表れていて、クロヴィスを中心に騎乗した隊列が一糸乱れず大通りを進むたび、出迎えた誰もが興奮した様子で満面の笑顔とともに手を振った。
と、一行が十字に交差した大通りへと、差し掛かったときだった。
父親に肩車された小さな少女が、手にした花束をクロヴィスへ向かって放った。
青いリボンで結ばれたあれは、マーガレットだろうか。
白と青の花束は、綺麗な円を描きながら宙を舞い、そしてクロヴィスにあと一歩届かず、落下するように思えた。が、シアの主君は腕を伸ばして難なく掴むと、それを少女に向かって掲げて見せた。
とたんに、ドッと歓声がひときわ大きく響き渡る。
その様子を、シアは少し離れた時計塔の上から眺めていた。
「まったく、やけちゃうなぁ……」
ぽつりと小さく落ちた呟きには、言葉通り少しの嫉妬が混じっている。
格好いいクロヴィスに対するものではなく、彼の側でキラキラと煌めく時間を共有している人たちへだ。
最初の門をくぐる前に、シアは一行から抜けていた。
あそこは闇の世界に生きるシアには、少しだけ眩しすぎる。
(まあ、それに。ちょうど彼に用もあったんだけど)
「ずいぶんと、人を惹きつけるひとだと思わない?」
風による損壊を防ぐため、時計塔の上層階の四方に大きく開かれた空間には、一見するとアーチの縁へ気だるげに寄りかかるシアしかいない。
しかし、ふわりと風に弄ばれた髪を片手で押さえながら、シアは背後の闇を横目で見やりそう尋ねた。
「警戒心の強い狼も、好奇心が掻き立てられて巣穴から出てくるくらいだものね?」
「……冗談言うな」
むっつりと呟くと、アッシュは闇から姿を現した。首の裏をこすりながらシアの隣に並ぶ。
それから唐突に、灰色の瞳で呆れたようにシアを見下ろす。
「紅結晶を宿したインバルは、お前が狩ったんだろう?」
「ん?」
「あれはどう見たって、刃物による切り口じゃない」
アッシュが顎をしゃくった後方の荷車には、彼が指摘したようにシアが魔法で吹き飛ばした、二頭目のインバルの頭が据えられている。
「んー、つい勢い余って?」
首を傾げてそう言ったシアに、アッシュは乾いた笑みを浮かべた。
「はは……『勢い余って』で、体内で結晶石を生み出すほど長く生きた魔物を、殺るお前が恐ろしいわ」
結晶石とは、魔力が結晶化してできた鉱物のことである。
同じく百年以上生きる魔物の体内で赤く結晶化した結晶石を『紅結晶』または『
紅結晶は魔道具の材料としても、希少な装飾品としても取引される一方で、かなり採取が難しい。
百年以上生きた魔物は、簡単に狩れる存在ではないからだ。
「でも、よくお前があれを欲しがらなかったな。掌サイズ……売れば目の玉が飛び出るほどの額だぞ」
インバルの首のそばに据えられた紅結晶と、武骨な自分の手とを比較し、アッシュは物珍しそうにシアを見る。
「殿下にはそれ以上の価値があるのかもよ」
「……まじで、どうしたんだ、お前?」
わざわざ一句一句区切って強調され、シアはむっとした。
「……」
「いて!」
腹いせに分厚いブーツのかかとで思い切り足を踏みつけてやる。が、シアのブーツが特注なのと同じく、アッシュのブーツも頑丈なので、言うほどは痛くはない。
「なんなのさ、もう。せっかく私がタリアから『金輪際、月狼とは関わらない』っていうゲッシュまで引き出してやったのに、礼の一つもないわけ?」
「おおう、悪かったって」
「そう思うのなら、くれるものがあるだろう?」
ちょいちょいと片手を差し出せば、灰色の瞳に無言で見つめられる。
「ん」
「……」
「ケルマ金貨じゃなくて、カナリル金貨でね」
「っ!」
シュエラ王国の金よりも、質の高さで知られる東国の通貨に、当然アッシュはひくっと口元を引きつらせる。
「それって、三倍以上の違いが……」
「当然、払えるでしょ?」
「っ~~~、守銭奴め!」
ぐっとこぶしを握り、わなわなと打ち震えた末に、結局アッシュは懐から金貨の入った巾着を取り出した。それから素直に、差し出されたシアの手へと落とす。
「ご愁傷様」
チャリチャリと、確かな手応えと音がして、シアはホクホク顔で微笑んだ。
「は、それで、これからどうすんだ?」
「んー?」
袋の口を開け、金貨の枚数を数えながら、シアは生返事で答える。
「これからって?」
「……帰って来いよ。王位争いなんて、ろくでもない」
「?」
ぽつりと落ちた弱々しい呟きに、シアは思わず巾着から顔を上げた。
そこには珍しく、所在無げな表情を浮かべた友がいた。
(帰る、か……)
思えば十五歳を目前にして家を失い、流れ着いた世界で堕ちていくばかりだったシアへ、手を差し伸べてくれたのはアッシュだけだった。
金の稼ぎ方も、人の欺き方も、殺し方すらも。今のシアの技術は彼から学んだ。
『シア』として生きるようになって以来、アッシュと彼が束ねる闇ギルド『月狼』が、いつしかシアの家になっていた。
そう気付いたのは、今さっき。
彼が「帰ってこい」と口にした瞬間だ。
——ずっと、帰る家なんてないと思っていたのに。
「……」
(でも、ごめんね。多分もう私の帰りたい場所は、あのひとのそばなんだ)
シアは掌を広げて、巾着を魔法空間へ収納する。それから再び大通りを行くクロヴィスへ視線を向け、穏やかな声でこう告げた。
「アッシュ、ごめんね。あなたには感謝してる」
その短い台詞と横顔には、言葉以上の多くが込められていた。
「……っ。礼なんて言うな、馬鹿やろう」
やはり彼にしては覇気のない悪態をつき、それからアッシュは、シアと同じようにクロヴィスの姿を目で追った。
「どいつもこいつも、『氷の王子様』がそんなにいいかね。確かに身分も見た目も良いけどな、っと——くそ!」
「ふ、はは! ついでに耳もいいみたい」
シアがそう答えたのは、噂話が聞こえたようにクロヴィスがこちらを見上げ、確かな殺気がアッシュ目掛けて放たれたからだ。
多分、アッシュが闇ギルドの頭領——つまり、暗殺者の頂点に立つ男でなければ、その殺気にあてられることも無かっただろう。
だが危機に瀕した猫のように全身の毛を逆立てて、アッシュは思わず一歩、退いてしまった。
無意識の本能に、彼のプライドはもちろん傷ついた。
「何だってんだ、ちくしょう!? お前も第一王子もバケモンか! オーラは本来、武器に纏わすもんであって放つもんじゃねぇ! もういいさ、俺は抜けた。ふたりで仲良く世界征服でも何でもしてくれ——」
そう吐き捨てるとアッシュは背を向けて歩き出す。だが、二歩ほど行ったところでくるっと反転し、大股でシアに近づいた。
「わっ、なにさ?」
わしゃわしゃわしゃ、と頭を撫でられ、シアは抗議の声を上げる。
そんな彼女にアッシュは告げた。
「くっそほど面白くないが、これだけは言っておく」
「?」
唸る様に喉を鳴らした後で、アッシュはすっと表情を消す。
「最近の国王はどこか異様だ。第一王子を相手にすると、攻撃的な衝動が突き上げるのか。感情を抑えるたびに持病を発症している」
「それは……」
「世間が言うように、憎んでいるのではないらしい。だが……ただわかるのは、第一王子が王座を勝ち取るのは、想像以上に困難だってことだ」
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