第13話 魂をかけた誓い『ゲッシュ』-2

 すらりと、涼やかな音を立てて抜かれた剣が、太陽の光を反射する。

 

「!」

 

 その鋭利な切っ先が首に向けられ、息を呑んだのは、当の本人ではなかった。

 

 シアの周りを囲むように立っていた騎士たちは、いったい何が起こるのだと固唾をのんで見守り、アイガスとリフ、そしてクロヴィスの背後に控えたジュノーが、僅かに緊張した面持ちで身構える。

 

 それを気配で感じて、シアは胸の内で小さく「へぇ?」と呟いた。

 

(リフ卿はともかく、この二人が殿下から私を庇おうとするなんて)

 

 アイガスとジュノーは、側近の中で特にシアを煙たがっていた。それなのに、主君を止められるよう構えた。

 

(目の前で殺されるのは忍びない。そう思うくらいには、少しは私を認め始めたってところかな? ……まあ、もっとも、殿下のこれは私を試しているんだろうけれど)

 

 シアは喉もとに突き付けられた刃と同じくらい、鋭利な瞳をまっすぐ見つめたまま、艶やかに微笑む。

 

「私はいま、なにか罰を受けているのでしょうか?」

「いや。魔塔主によればそなたには首輪が必要らしい」

 

 その台詞に、いつかのクロヴィスの言葉を思い出し、シアは思わず反復する。

 

「首輪……。ふ、ふふっ」

 

 それから思わず声を立てて笑ってしまったのは、クロヴィスもまたあの時のことを持ち出しているのだと、その表情から伝わって来たからだ。

 

『流れの魔法使いなど、首輪の無い獣も同然だ』

 

「つまり、ゲッシュを結ばれる気になったということですね」

「ああ」

「では、条件は——」

「条件は『絶対服従』。それ以外は、魔塔の主として許容できません」

「……」

 

 突然、会話に割りこんできた魔塔主へ、クロヴィスは僅かに声を落とすと瞼を伏せた。

 

「……だ、そうだ。不本意であれば断っても構わない。だが、従うつもりがあれば跪け」

 

(つまり、『絶対服従』はあなたの本意ではないと)

 

 それを望んでいるのは魔塔主であり、クロヴィスの真意は別にある——シアはクロヴィスと魔塔主を見比べ、そう汲み取った。

 

(なるほど。大方あの古狸は、私が殿下に服従しないと読んでいるのだろう)

 

 噂に聞く『白い悪魔』であれば、誰かに服従など誓わない。自分の主は自分のみ。

 しかし、フエゴ・ベルデであれば……。

 

 シアが公に姿を現してから、彼女を「紛い物」とする噂が流れた。

 

『その瞳は<緑の火>と呼ぶには平凡で、実力自体も並程度』

 

 過去を打ち消すような噂は、シアが望んだことでもあるが、今になってこう思わずにもいられない。

 

 ——もしも私が本物であると知らしめたならば。

 

(魔塔は……殿下は、どんな反応を見せるだろう?)

 

 真意を尋ねるように、シアはクロヴィスをじっと見つめる。

 そして、応えるようにゆっくりと瞼が持ち上がり、交差したアイスブルーの瞳がシアに答えを促した。

 

「選べ、魔法使い。二つに一つだ」

 

 ——『白い悪魔』として跪くか。それとも誇り高き『フエゴ・ベルデ』として、忠誠を誓うか。

 

(それがクロヴィス様の本心なのかもしれない)

 

 シア自身に、道を選ばせること。

 揺るぎない双眸が、シアに問いかける。

 

(二つに一つ……だったら、私の答えはこれです)

 

「王国の貴き星、我が至高の主——」

 

 シアの厳かな口上に、ふと、耳の中で柔らかな声が重なる。

 

『ドレスの端をつまむ手は優雅に。右足は斜め後ろに、左足をゆっくりと曲げて』

『背筋をまっすぐにしたまま少しだけ頭を下げて、そう。最後の微笑みは、花がほころぶ様に愛らしく——』

 

(……ごめんなさい、お母様。これでは及第点はもらえませんね)

 

 シアが今履いているのは、戦闘を想定したズボンだ。特注のデザインなため、ゆったりとしたシルエットで脚の形がはっきりと分かるほどではないが、つまみ上げるには布が足りない。

 

 だからスカートの代わりに、背に流したマントを掬い、シアは優しい声に促されるまま礼を取る。

 それはいつかのように道化じみたものではなく、優雅で上品な高位貴族のお辞儀だった。

 

 剣を突きつけられていることすらも忘れさせるほど、堂々として完璧な所作に、誰もが息を呑んで見惚れる。

 クロヴィスの側近として高貴な女性たちを見慣れている、アイガスやジュノーたちですらも、呆気にとられた表情だ。

 

 それも当然。

 

 十五歳まで、シアは公爵令嬢として最高水準の教育を受けてきたのだから。

 

(ましてや母は、社交界の華と呼ばれたひとだった……)

 

 驚きと感嘆の視線の中、シアは僅かに瞠られた瞳に向かって真っすぐ宣言する。

 

「女神アウラコデリスの名において、私『シア』はクロヴィス・フォン・ディザインへ誓います。跪く代わりに相応しき礼を。服従の代わりに、忠誠を。そしてあなたが望む世界をその手に——」

 

 宣言と同時に、シアの体から白い光がふわりと舞い上がる。魔力ではない。

 女神アウラコデリスが、シアの誓いを聞き届けた証だ。

 その光は揺蕩うように、クロヴィスとシア、ふたりの体を優しく取り巻く。

 

 どうやらその心が伴えば、生まれ持った本当の名前でなくてもいいらしい。

 ゲッシュを交わすのに、シアは真の名を告げなかった。その過去はすでに捨てたものだから。

 

(いまの『シア』という者として、私はあなたに忠誠を誓う)

 

 ——『白い悪魔』でも『フエゴ・ベルデ』でもなく、いまの自分として。

 

(……それくらいは、きっと許されるから……)

 

 眼差しに込めた思いを汲むように、クロヴィスは静かに瞬く。そのあとで、翳していた剣を喉元から外した。

 剣を治め、代わりにシアの口元へ差し出されたのは、手袋をはめた右手の甲だ。

 

 シュエラ王国において、剣は騎士の叙勲や従属の証として用いられ、高貴な地位にある者が手の甲を差し出す仕草は、信頼と忠誠を受け入れることを示す。

 

(つまり……)

 

 シアはその手を取り、そっと頭を傾けて、黒い革の手袋へ唇を落とす。

 

「そなたの忠誠を受け入れよう」

 

 クロヴィスがそう宣言した瞬間、ふたりを包んでいた優しい光が、すうっと体に吸い込まれて消える。

 これでゲッシュは結ばれた。

 

「これは……」

「なんていうか、凄い、な……」

 

 ゲッシュの儀式を初めて目にした若い騎士たちは、興奮したように口々に囁きあう。それを革切れに、あたりが急にざわめき始める。

 

 興奮のさざ波のような中で身を起こしたシアは、唇の端を意地悪く持ち上げ、クロヴィスを見上げる。

 

「殿下? これで私を厄介払いすることはできなくなりましたね」

「ずいぶんと嬉しそうだな、魔法使い」

「もちろんですとも。ゲッシュを結んだとはいえ、最初にお約束頂いた報酬は帳消しにはなりませんので」

「……なんだと?」

 

 不満そうな声にシアはふっと目を細める。

 そんなことだろうと思っていた。

 賢いクロヴィスならば、どうにかして貞操の危機を回避しようとすることは。

 

(でも、ツメ甘かったですね、クロヴィス様)

 

「忠誠に無償の献身が含まれることもありますが、あの条件はゲッシュを結ぶ前の契約。つまり、破棄することはかないません」

「……」

 

 ぐっと眉間に皺が寄りシアはますます意地の悪い笑みを深める。

 

「まあでも、こうして深くつながりあう関係になったわけですし、そろそろ……」

「いったい、なんの話をしているのです?」

 

 不穏な話題に何かを察知したのか、それまで影のように佇んでいたジュノーが、突然会話に割り込んできた。

 

「……気にするな」

 

 クロヴィスはそう言ってこの話題を打ち切ろうとした。が、ジュノーは意味ありげな眼差しをシアに向けてくる。

 もちろん、シアには内緒にしておく理由はない。

 しかし彼女が何かを発する前に、クロヴィスが表情を消して背後を振り返ったことで、シアの注意はそちらに逸れた。

 

「これでそなたの憂慮は解消されただろう」

 

 視線の先にいたのは、じっと何か考えるようにシアを見つめている、マギステルだった。

 

(ああ、こいつの存在を忘れていた)

 

 シアは値踏みするような視線に片眉をあげ、わざと抑えている魔力を開放する。

 どうやらマギステルは魔塔のトップでありながら、シアが何者であるのか、本気で見抜けていなかったらしい。

 その証拠に、シアの瞳が輝きを増し魔力の火が灯るにつれて、皺の刻まれたその顔からさあっと色を失っていく。

 

「そ、その目は……本当に……」

 

(まあ、そうか。『フエゴ・ベルデは滅んだ』そう確信していたのだものね)

 

 公爵家の襲撃が魔塔ぐるみだったかは、いまだわからない。

 けれど、魔塔の魔法使いが関わっていて、その事実を把握していないとも思えない。

 

「殿下……やはり、その者は——」

「マギステル・アウディオ」

「は、はい」

「すぐに浄化作業を始めろ」

「あ……ですが……」

「俺の命に従えぬと申すか」

「め、滅相もございません。ただ、いま一度、その者になぜ魔道具の浄化が必要なのか、その目的を問わせていただきたく」

 

 クロヴィスに眼差しで促され、シアは短く答えた。

 

「テネブレ・セルウィー」

「——!」

 

 その名、たった一つで説明がつくことを、シアもマギステルもわかっていた。

 だからこう言い添えたのは、魔塔の内情に明るくないクロヴィスのためだ。

 

「魔道の神ラギメスと取引した者の魔力は穢れて歪み、より魔物を惹きつけます。テネブレ・セルウィーは、因果律の懲罰から逃れるために魔道の神と取引をしたとして、教会が名をあげた黒魔法使いの一人です。そして、未だに行方をくらませている」

「……」

 

 黒魔法は、魔法使いの間でひっそりと語られる禁忌だ。そして、穢れた力だとして教会からも異端視されている。

 見つかれば魔法使いを管理する立場として、魔塔も処罰を免れない。

 ましてや、今回は王族も被害にあっているのだ。

 

「もし、魔法使いの中にテネブレと繋がっている者がいれば……。魔塔の存続が危ぶまれる一大事、ですね」

「い、言いがかりは許しませんぞ! 現時点でテネブレが関わっているという根拠は、どこにもない! 黒魔法と通常の魔法を見分ける術は……——っ」

 

 蒼白になりながらもシアに反論しようとしたマギステルは、しかし、最後まで言い終わらぬうちにぐっと口を噤んだ。

 

「……そなたには、あると言うのか」

 

 かすれた声で告げられた言葉には、隠し切れない苛立ちが滲んでいた。

 

 魔塔の魔法使いは、昔から、フエゴ・ベルデに劣等感を抱いている。だからあえてシアは何食わぬ顔で誤魔化した。

 

(そんなこと教える義理はない)

 

「さあどうでしょう? どちらにしろ、ここにある魔道具をすべて聖水で浄化すればわかること。黒魔法が込められた魔道具は、文字通り塵となって消えますから」

「つまり反論の余地はないということだな。——ジュノー」

「はっ」

「魔塔主に付いて浄化作業を開始しろ。対象は魔法使いに限らない。傭兵や騎士らが所持している魔道具も含めて、全員を洗い出せ」

 

 一息に命じると、クロヴィスは瞳から一切の感情を消して告げた。

 

「これが最後の命令だ。マギステル、魔道具をすべて浄化しろ」

 

 その厳命に、否という答えはとうとうなかった。

 

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