第12話 魂をかけた誓い『ゲッシュ』-1
その少し前。クロヴィスは魔塔主マギステルと、机を挟んで睨み合っていた。
「聖水で全ての魔道具を浄化しろ」
「な、なんてことを仰るのですか!?」
無茶な要求に、老いた顔からさあっと血の気が引いていく。
「そんなことをしたら、我々の研究成果と努力が……」
しかし動揺に震えながらも、老齢の魔法使いは怯むことなく抗議の声をあげた。
「聖水に宿る女神の力が、我々の魔力を無効化してしまうことは、殿下もご存知でしょう! 我々の叡智と魔力が詰まった魔道具もまた同様ですっ。魔道具は魔法の発動を補助したり、身を守る道具程度にしか思われていないのかもしれませんが、中には何十年もかけて魔力を蓄積した貴重なものもあるのです! それなのに何の理由もなく、我々の財産とも言うべき魔道具全てを浄化しろなどと——」
険しい瞳に過ったのは、遅れて生じた怒りか。
必死な抵抗に、クロヴィスは胸の内でため息を漏らした。
(……まあ、当然だろう)
『魔塔主へ、全ての魔道具を浄化するよう命じてください。もしも浄化を拒む者、もしくは聖水によって破壊される魔道具があれば、それがインバルを呼び寄せた原因です』
そうシアに言われて魔塔主へ命じたクロヴィスだったが、自分でもこれが無茶な要求だとは理解している。
魔法使いにとっての魔道具とは、騎士にとっての剣や馬——つまり、自身の一部のような存在だ。
身の内に蓄積できる魔力には個人差があるため、魔法使いは魔力を込めた魔道具で不足分を補っているのである。
全ての魔道具が希少で貴重というわけではないが、少なくとも、目の前のマギステルが手首やローブの留め具として身につけている装飾品は、かなり高価で使い込まれた品である。
「そもそもなぜ急にそのようなことを言い出されるのか。……もしや、魔道具に込められた魔力がインバルを引き寄せたと、そう進言したものがおありで?」
「……」
「やれやれ。確かに魔物は魔法使いの魔力を好みますが、殿下に同行しているのは皆、一級以上の魔法使いです」
クロヴィスの沈黙を肯定と取ったマギステルは、静かに首を振ると胸を撫で下ろした様子で続けた。
「魔物に気取られないよう、魔力の気配を絶てないような未熟者は、我々の中には一人もおりません。ですから、魔道具の中の魔力が理由でインバルに襲われたのではないと、この私が魔塔を代表して進言申し上げます」
「……」
魔物は魔法使いの魔力に惹きつけられる。故に、魔法使いは魔力の制御から身に着ける——それはクロヴィスも知っている。
(だが、あの者が何の確証もなく、そう言ったとは思えない)
マギステルの主張を無表情で聞きながら、クロヴィスはそう判じた。
シアは軽薄でいてどこか掴みどころのない人物だ。だが、意味のない嘘をついたことはない。
たとえ魔塔を嫌っているのだとしても、貶めるためだけにクロヴィスを利用することも考えにくい。
(つまりマギステルでさえも知らない情報を掴んでいるのか、この男が浄化を逃れたくて誤魔化そうとしているのか……)
「インバルに襲撃された原因は、突き止める必要があります。ですが、浄化については——」
「理由があればいいのだな」
クロヴィスはマギステルの言葉を遮ると、狡猾な老人の顔をまっすぐ見つめた。
「俺の魔法使いが必要があるとそう言った。もしも浄化を拒む者、もしくは聖水によって破壊される魔道具があれば、それがインバルを呼び寄せた原因だと。それで言うと、浄化を拒むそなたは黒なのか……」
「な、滅相もございません!」
「ではすぐに動け」
「で、ですが……」
あらぬ疑いを向けられて、マギステルは口ごもった。
「ここに集められた魔法使いは、魔塔を代表する実力者ばかりです。その者たちが力の大半を失えば、王国にも影響が……」
「だが、ここにある魔道具がすべてではあるまい。それに聖水は魔道具そのものを破壊するわけではないと聞いている」
それなのに、シアは『破壊される魔道具』があれば、と言ったのだ。
その時の表情が妙に気にかかる。
この老獪が頑なに抵抗する理由は、果たして、魔塔が力を失うことだけなのだろうか。
「もしも、浄化後なんの反応も見られなければ、その損失は王室が補おう」
「殿下……」
「西の鉱山に眠る結晶石。あれならば、そなたたちが身に着けている魔道具の代わりにはなるだろう」
だからこれ以上の反論は許さない。眼差しだけでクロヴィスはそう告げる。
(さて、次はどうでるか……)
「……っ」
酷薄なまでに冷たい、アイスブルーの瞳に射抜かれたからか。それとも、破格の補償に不意を突かれたからなのか。警戒のにじんだ瞳が僅かに揺れる。
だがやがて、意を決したように表情を引き締めると、魔塔を束ねる老魔法使いはグッと背筋を伸ばして『氷の王子』を見つめ返した。
「殿下、これは殿下を思う忠臣として、そして、シュエラ王国の魔法使いを束ねる魔塔主としての忠言でございます」
「申せ」
「あの流れ者の言葉を信じ、おそばに置かれることは、殿下のためにはなりません」
「……」
「どうかお考え直しくださいませ。魔法使いは本来魔塔で管理され、倫理を学ぶもの。それなのにあの者は倫理観もなく、道徳心も薄い。恵まれた力を有していると言うのに、我々魔塔とも対立し、極めて危険です。この国の害となる前に、正しい指導者のもとで更生させる必要がございます」
「つまり俺があの者に踊らされていると、そう言いたいのか」
「……不本意ではありましょうが、殿下は我々ほどにはこちらの世界に明るくはございません」
「それで、あの者を引き取り、更生させる指導者に自分が買って出ると?」
「恐れながら。王国の魔法使いを束ねる者として、全力を尽くしましょう」
「……」
(は、あれが素直に更生されるとも思わぬがな)
クロヴィスは、巧みに隠されたマギステルの企みを汲み取って、鼻で笑った。
(話を逸らしたかと思えば、本音がこれか。素直に『権力を削がれるつもりはないし、あの者を自分たちによこせ』と、そう言えばいいものを)
ご大層な御託を並べ立てているが、つまりこの男はシアを恐れると同時に、欲しがっているのだ。
その血を、力を。
魔塔の魔法使いは神の気まぐれで産み落とされる。しかし一方で、優れた魔法使い同士の間に優れた魔法使いが生まれるという迷信もまた、信じられている。
(ましてや、妖精の子孫であるフエゴ・ベルデは、特に優れた魔力を持つ血筋)
マギステルの様な男が、本気でシアを更生させたいと思っているとは、クロヴィスには俄かに信じ難い。
(おおかた、あの者に魔法使いとの子でも産ませて、新たな家門でも作る気なのか……)
「魔塔はフエゴ・ベルデを嫌っていると聞いたが、本心は違うらしい」
国のため。人々のため——そう言いながら、魔塔が行っている『実験』や『研究』をクロヴィスは知っている。
言葉巧みに法を逃れ、魔法使いを管理すると宣いながら魔法を独占し、フエゴ・ベルデが滅んでからは、ますます影響力を高めつつある。
そして『王家の為に』、女神との約束であるゲッシュすらも見直すべきだと王に進言したのは、目の前の老獪マギステル本人であった。
(陛下が乗り気ではなかったため棄却されたものの、王家が利用できる魔法使いは必要だ。それなのに唯一利用できる魔法使いは、悪害だから諦めろと、そう言うとはな)
大人しくクロヴィスが従い、万が一、シアが魔塔の手に落ちたらどうなるのか。
(それで利益を得るのは魔塔だけだ)
なぜなら、王家は唯一利用できる魔法使いを失い、魔塔は新たな切り札を手にするのだから。
「彼女はフエゴ・ベルデの生き残りだと聞いたことがあるが、果たして魔塔に属することが出来るのか……」
「殿下もあのような噂を信じておられるのですか? 残念ながら外見が似ているだけの、紛い物にすぎません」
「なぜそう言い切れる?」
意外だとでも言いたげな表情で見つめてくるマギステルに、クロヴィスは冷たく問い返す。
「フエゴ・ベルデは王都から姿を消して久しい。それともそう断言できる根拠でもあるのか」
「ええ。流れの魔法使いが箔をつけるために、かの一族の名を名乗ることはままあることです。それに、真にフエゴ・ベルデの血を継ぐ者であれば、陛下に謁見し身元の保証を求めていたはず。悪名高き『白い悪魔』ならばこそ、付け入る隙があればその恩恵を迷わず享受していたはずです。しかし、あの者はそうしなかった。虚偽を申せば処刑を免れぬと、わかっているからです」
「……」
「あの外見ですから、僅かにでも血を継いでいるのでしょうが。王国の法によれば、フエゴ・ベルデを名乗れるのは、当主の直系六親等までと決まっております」
なるほど。
つまりこの男は、シアがフエゴ・ベルデの直系でないからこそ、利用できると踏んだわけだ。
自分が騙されているとも疑わずに。
(思えばあれは、常に猫を被っていたな)
だからこそ、王宮でも王后に見とがめられることなく、自由気ままに過ごしていた。
——あの特徴的な瞳を目にしたのは、きっと自分だけなのだろう。
そう思うと、クロヴィスは微笑んでいる自分に気がついた。
もっとも、微笑むと言っても僅かに唇の端が上がっただけだが。
「ですから——」
なおも言葉を紡いでいるところを見ると、マギステルはその変化に気付いてもいないようだ。
「……」
不意に、クロヴィスはしわがれた老人の声が耳障りに聞こえた。
「マギステル・アウディオ」
クロヴィスが感情の窺えない声で名を告げると、老魔法使いはビクッと肩をこわばらせた。
「な、なんでございましょう」
「そなたが私のことを真に思う臣下だと言うことはわかった」
「では」
「ああ。だが、あれは私の魔法使いだ。そなたが口出しするようなことではない」
「——っ。で、では、せめてゲッシュをお結びくださいませっ。あの者に絶対服従を命じられるのです」
「……」
(そうすれば、あれが自ら俺との契約を破棄すると?)
浅はかすぎて、逆に笑える。
最後の悪あがきとばかりに知恵を絞った様だが、クロヴィスにはシアがその程度で背を向けるとは思えなかった。
(むしろ、堂々と誓いそうだ……)
そうなれば、魔塔は二度とシアを手に入れられない。
だからこそ、クロヴィスはその『忠告』に素直に従う気になった。
「そうだな。そなたの忠義心に応えよう」
そう言って、クロヴィスは席を立つ。
マギステルと天幕の外で待機していたジュノーを伴って向かった先は、件の魔法使いのもとだ。
朝日を受けて透き通る彼女の髪は、金とも銀ともつかない不思議な色合いで、どこにいてもすぐに見つけられる。
「魔法使い」
クロヴィスがそう呼びかけると、シアは不満そうな表情を隠すこともなく振り返った。
「私のことをお呼びになったのでしょうか、クロヴィス殿下?」
『シア』とそう名前で呼ばないことが不満だ——暗に訴えてくる瞳は、挑発的でいて実に感情が豊かだ。
だからこそクロヴィスも、ついつい饒舌になってしまう。
(軽口など、ジュノーとすら交わさないというのに)
「そなた以外に誰がいる」
「いるではありませんか。大々的にそう名乗っている者たちが、大勢。一緒くたにされたくはありませんね」
「だが、俺の魔法使いはそなた一人だけだ」
「……ふぅん?」
真っ直ぐ見つめて言えば、シアが面白がるように瞳を煌めかせるのがわかった。
おそらく、クロヴィスの言わんとするところを察したのだろう。
(ふ、本当に、油断ならない)
クロヴィスはほんの僅か唇を綻ばせると、腰の剣に手を伸ばした。
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