第11話 賭けの結末は-3

「あ、あなたはどこまで愚かなのですか!」

 

 鋭い風でインバルの群れを一掃し、クロヴィスの前に降り立ってその胸ぐらを掴んだシアは、自分でも驚くべきことにそう声を荒げていた。

 しかも、本来の瞳を隠す余裕もなく、ありのままを晒して。


 激しい剣幕で胸ぐらを掴まれ、驚きに目を見開いていたクロヴィスだったが。


「は、ははっ……はははは!」

 

 突如、声を上げて笑い出す。

 

「は?」

 

 シアはぎょっとし、おかしくなったのかとジュノーを見やった。

 しかし、彼もまたぽかんとした表情で主君の姿を見つめるばかりで、呆気に取られている。

 

(なに? なんなのさ?)

 

「ふ、は……」

 

 狼狽するシアをよそにひとしきり笑い終えると、クロヴィスはようやく落ち着きを取り戻したようだ。

 

「無礼だぞ、魔法使い」

 

 先ほどまでの笑いはどこへやら。いつもの淡々とした口調でそう言いながら、シアの手を胸元からそっと外す。

 それが少しだけ意外だった。

 クロヴィスの触れかたは思いの外優しく、手を離されてはじめて、触れられたことに気付いたほどだ。

 

「名前を呼ぶつもりなど、なかったのにな……」

 

 その言い草にシアはむっとした。

 

「は、不本意だったとでも仰るつもりですか?」

「そうだな。不本意ではある。だが、呼んでしまったものは仕方がない」

 

(言ってくれるじゃないか)

 

 自分との契約が——あるいは、賭けに負けたことが——不本意だなんて。

 

(この期に及んで素直じゃない!)

 

 端から見たら、どっちもどっちである。

 が、クロヴィスの反応が予想以上に面白くなかったので、シアはムキになって言い返す。

 

「そうですか。ですがあなたは確かに、私の名前を呼んだ。つまり、私に屈服したのです」

「いいや、俺の記憶ではそなたが先に動いていた」

「~~っ」

 

 だが今度こそ、シアは言葉を飲み込むほかなかった。それは紛れもない事実だったからだ。

 そう。シアは、クロヴィスが呼ぶよりも前に、彼に駆け寄っていた。

 それでも認めるのが悔しくて、往生際悪く反論する。

 

「あなたが無謀にも、リフ卿と心中なさろうとしたからではありませんか」

「……ああ、そうだ」

 

 思い出したようにそう言うと、不意にクロヴィスはシアから視線をそらした。

 シアの言葉に頷いたわけではない。振り返り様、リフの状態を診ていたジュノーに問いかける。

 

「リフの様子はどうだ?」

「意識を失ってはいますが、幸いなことにすぐにでも治療すれば命に別状はないでしょう」

「だ、そうだ。魔法使い」

「なんです?」

 

 シアは無視されたことと魔法使い呼びに、むすっとした声をあげた。

 それから次の『命令』に組んでいた腕をがくっと崩す。

 

「治療しろ」

「……ここまでの移動魔法と先程の攻撃で、魔力が空になったとは思われないのですか?」

「思わないな。事実そうだったとしても、俺の魔法使いなら文句を言わず遂行すべきだ」

「…………」

 

 まったく、なんて横暴な主だろう。

 そこでシアははたと気付いてしまった。自分の言葉に。

 

(——主)

 

「は、はは……」

 

(結局わたしも、フエゴ・ベルデなのか……)

 

 どれほど忘れようとしていても、この血がもたらす感情は否定しきれない。

 

 エスメラルダ公国最後の王、ダンカン・フエゴ・ベルデは攻め入ってきたシュエラ王に抵抗することなくその膝をついた。彼の崇高な志と気高き意志、そして敬服すべきその人柄に、魂を奪われてしまったからだ。

 

(きっとダンカンも、こんな気持ちだったんだろうな)

 

 目を逸らしたいのに、逸らせずに。

 抗いたいのに、抗えない。

 

「魔法使い?」

「いえ」

 

 いぶかし気なクロヴィスに首を振って答え、シアは胸の内で囁く。

 

(でも負けを認めるのは悔しいから、絶対に教えない。それに、素直に従うのは私じゃないし……)

 

「崇高で高潔なクロヴィス殿下」

 

 シアは意地悪く微笑むと、企むようにその目を細める。

 

 ——さんざん振り回された分だけ、焦らしてやる。

 

「もちろんあなたの魔法使いは、このくらいへっちゃらです。ただし、こき使うのは結構ですが、私は高いですよ?」

 

 それから一歩踏み出し、クロヴィスの耳に唇を寄せそっと囁く。

 

「それから報酬は例の条件で……私の気が向いたときに、受け取りに参ります」

「っ! …………」

「ふふ」

 

 苦虫を噛み潰したようなクロヴィスは、けれど反論しなかった。

 

『あなたと一晩だけ関係を持ちたい』

 

(本当に受け取るかどうかは決めていないけど、せいぜい焦れて、気にして、私のことを考えずにはいられなくしてあげる)

 

 自分一人が翻弄されるなど、面白くないから——。

 そしてシアは満足げな笑みをこぼし、リフの元へ踵を返すのだった。


 * * *


「こんな得体のしれん小娘をおそばに置かれるなぞ、殿下は何を考えておられるのだ!?」

 

 ほの白く染まり始めた空に野太いだみ声が響いたのは、その数時間後のことである。

 

「今に寝首を掻かれて——」

「何をおっしゃるのですか、アイガス殿。シア殿はおれと殿下の命の恩人ですよ」

 

 息まくアイガスをなだめるのは、呆れを含んだ穏やかな声だ。

 朝餉のために、夜間灯し通しだったかがり火へ新たな火種を投げ入れ、リフはお腹を空かせた熊のように、ウロウロとうろつきながら唸り声をあげている、かつての主人を仰ぎ見る。

 

「インバルを退けてくださったばかりか、こうして我々の手当までしてくださっているわけですし、礼を言えど言いがかりなどいけません」

 

 その顔は少しだけ青白い。

 シアの治療魔法によって、傷の大半は塞がったものの、失われた血までは魔法で補えないからだ。

 インバルの襲撃から一夜開けて、周囲は出立の準備に追われている。皆、寝不足と疲労の浮かんだ顔をしているが、今日を我慢すれば宿で休めるとあって、不平や不満の声は上がっていない。

 

 怪我を追ったリフは安静が言い渡されたため、こうして大鍋を前に朝餉のスープを拵えているのだが……アイガス曰く「いつ倒れてもおかしくない」とのことで、こうしてお目付け役の愚痴を聞きながら作業している。

 

「それよりもほら、手持ち無沙汰なら芋の皮むきでも手伝ってください。撤収の準備が終わればみんな腹を空かせて押し寄せてくるんですから」

「うぬ……ぅ」

 

 かつては自分の従騎士——つまり、弟子でもあった年若い部下にそう窘められ、アイガスの荒々しい顔にさらに深く皺が刻まれる。

 芋の皮むきなどという、雑用を命じられたからではない。

 クロヴィスと寝食を共にしてきた古参の騎士は、高貴な身の上でありながらも一通りの家事を習得している。

 だから、アイガスが渋面を隠さず不服を唱えるのは、そこではなかった。

 

「ええい! だまされるでないぞ、リフ! あの小娘はインバルと一緒にこのわしを丸焼きにしようとしたんだぞ! そのうえ『命を救った対価』だと言って、わしらから一人当たり金貨一枚も徴収しおった! いまだって、そら——っ」

 

 アイガスがビシッと野太い指を突き付けた先には、負傷者に治療魔法をかけているシアの姿がある。

 だいぶ前に重傷者たちの治療が終わったようで、少し前から騎士たちに用意させた丸太に座り、比較的軽症な者たちの治療を開始していた。

 シアの前には暖を取るための火がたかれ、その周りには……なぜか、深くうなだれたり、むせび泣いている者たちを慰める仲間の姿があった。

 

「くっ、傷ひとつにつき、銀貨三枚とか……悪魔か」

「それならまだいい方だ。ノーマンを見ろよ、払えないって素直に言ったら、新調したナイフを取り上げられてたぞ」

「ううっ、頑張って金を貯めて買ったのに……。でもインバルの毒に侵されて、手足を失うよりは——」

「馬鹿野郎、そんなこと言ってたら良いカモだ! どっちしろこの旅が終わる頃には、有り金を搾り取られて、身ぐるみはがされちまう」

 

 そう。彼らは、先ほど仲間の一人が口にしたように、『インバルの毒に侵されて命や手足を失うか、対価と引き換えに五体満足で生き延びるか』究極の二択を天秤に、高額な治療代を請求された犠牲者たちである。

 

 いくら第一王子が率いる『青の騎士団』が、貴族や準貴族で構成されているとはいえ、金貨や銀貨は大金。

 金貨一枚はおおよそ銀貨百枚。銀貨一枚は銅貨五十枚と同等で、金貨十枚は下級貴族の年収に相当する。

 銅貨の下にはさらに、庶民が使う半ケルマ銅貨という白銅貨が存在するので、ぼったくりもいいところだ。

 

「まったくけしからん! 魔塔の魔法使いどもが治療を渋っているのをいいことに、荒稼ぎをしおって! あれほどの大金をぼったくられて痛くも痒くもないのは、おぬしとジュノーくらいだぞっ」

 

 リフは王国の中でも裕福な南部貴族の次男だ。

 継承する爵位がないため、王都に出てアイガスの従騎士となり、第一王子の側近にまで登り詰めた人物であるが、家族仲も良好で、なんなら働かずに遊んで暮らせる身の上である。予想外の出費でも、痛くも痒くもない。

 

 インバルに肩をやられ、その爪先にあった毒で瀕死の重症を追っていたのだから、その対価は相当なもの——そう思って恨み言を吐いたアイガスだったが、

 

「対価、ですか? おれは支払っていませんが」

 

 不思議そうに眼を瞬くリフに、カッと反応したのはアイガスだけではなかった。

 

「な、何だと!?」

「一番カモになりそうな人なのに、なぜ!?」

 

 野営地は開けた場所にあるので、がやがやと騒がしくても話し声はよく通る。

 うなだれていた男たちもがばっと顔をあげ、信じられないと言いたげに、シアとリフを交互に見比べている。

 

「それは——」

 

 漏れ聞こえてくる会話を聞いていたシアは、そこでにっこりと微笑んだ。

 

「人徳の差でしょうね」

「は?」

「なに?」

「リフ卿は以前からコツコツと善行を積み上げていらしたので、貯金が貯まっていらしたのですよ。皆さんも王都につくまでに、ツケにした分を善行で支払ってくださっても構いませんが?」

 

 シア曰く、対価の価値がわかりやすいように王国の主流通貨、ケルマ硬貨で提示しているが、それに相当するものであればなんでもいいということだった。

 だが、その言葉が救いに聞こえないのはなぜなのだろう。

 

「つ、つまり……銀貨三枚分働いて返せと?」

 

 次の瞬間、期待に顔を輝かせた騎士たちが、一斉に顔を覆った。

 

「銀貨三枚分の労働って……」

「騎士団の手当は月に銀貨五枚なのに……」

「あら、意外と貰っているのですね」

 

 普通の騎士ならば、月の手当てが銀貨二、三枚。そう踏んでのことだったが、やはり第一王子の騎士団は羽振りが違うらしい。

 

「……これならもう少し、吹っ掛けてもよかったかも」

 

 シアの口から思わず本音がこぼれた。

 それにすかさず嚙みついたのは、アイガスだ。

 

「おいっ、聞こえておるぞ! やはりぼったくっておったな!」

「う~ん、どちらにしろ皆さんいいところのお坊ちゃんなのですから、この程度で破産したりしませんよ。それに世の中、等価交換が常識。いい勉強になったのではありませんか?」

 

 親指と人差し指で丸く硬貨のポーズをして見せれば、誰もかれも恨めし気な視線をシアに投げかける。

 リフだけが笑ったらいいのか窘めたらいいのか、複雑な表情を浮かべている。

 

「このっ、守銭奴め! 少しはその力を善行に使ったり、苦しんでいるものを助けてやろうとは思わんのか!」

「ははは、生憎と私は善人ではありませんので。それにみなさん簡単に治療しろ解毒しろとおっしゃいますが、魔法はそれほど簡単なものではないのですよ」

「なにおう……」

「現に魔塔の魔法使いは、あなた方を治療してはくださらなかったでしょう?」

 

 シアがそう指摘すると、心当たりのあるアイガスたちはむすっと口をつぐんだ。

 

「うぐ……まあ、魔力消費が激しいだの、これほどの人数を治療していては有事の際に魔力が枯渇するだの、ほざいておったが……」

「そのとおり。魔法は女神の権能である『神聖力』と違って治療には特化していないのです。失われた手足や血液を元通りにできないように、ただ再生速度をあげて傷口をふさぎ、体内から異物を取り除くだけ。それには膨大な魔力と集中力、繊細な技術を要するのです」

「だが貴様は、あくびしながら、ちょちょいっと治してしまったではないか」

 

 疑わし気にアイガスが見下ろすのは、リフの右肩だ。

 大きく動かすとまだ攣れたような感覚がするものの、そこに大けがを負った気配はない。

 

「それはもちろん、私が天才だからでしょうね?」

「うぬぅ、自分で言いおったわ」

 

 さらりと自画自賛すると、シアはアイガスの皮肉を黙殺し、おもむろに立ち上がる。

 先ほどの騎士でけが人は最後だ。

 

「うう~」

 

 ぐっと伸び上がると同時に、関節が鳴った。

 

「さぁて、言いつけ通り必要な治療は完了したので、殿下と最終的な報酬のお話しでも交わしてきますかね」

 

 わざとらしくそう零したのは、もちろん皮肉屋アイガスを揶揄うためだ。

 

「なっ、まて小娘! よもや殿下からも大金をせしめるつもりではなかろうな!? は、と言うかいま、治療を言いつけられていたと言ったか!?」

「もちろん。お優しいクロヴィス殿下からは、部下を治療するようにとのお達しです」

「なのに金をとったのか!?」

「ははは、無償でとは言われておりませんので。貰えるものは貰っておかなくては」

 

 クロヴィスはよもや、シアが部下たちからたんまり治療代をせしめるとは思っていなかったようだ。が、読みが甘かった。

 

(油断ならない相手は常におそばに置かれるのが最善ですよ、クロヴィス様?)

 

 実は、野営地に戻るなり「必要な者たちを全員治療しろ」と、放り捨てたクロヴィスに、シアは少しだけ腹を立てていた。

 

(もう少し「お願い」するとか、「できるか」とか聞くとか、言いようがあると思うんだけどねぇ)

 

 これではただの雑用だ。

 

(まあもっとも、あのひとがしおらしく、ひとにお願いするような性格には思えないけどもさ)

 

 そうだったら今頃、シアはこんな雑用はさっさと終わらせて、魔塔の奴らを縛り上げるのに協力していただろう。

 

(クロヴィス様は、首尾よく襲撃の原因を突き詰められたかな?)

 

 野営地に戻る前、シアはクロヴィスにあるアドバイスを耳打ちしていた。

 インバルの襲撃には仕掛けがあると。

 クロヴィスも何か心当たりがあるようで、戻って早々魔塔主を天幕に呼びつけたのだが。

 

「なかなか、出てこないな……」

 

 野営地の中央に立つ、ひときわ大きい天幕を見つめ、シアはぽつりと呟いた。

 

 

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