第4話 『白い悪魔』-2

 だからその数日後。

 まるでその会話を聞いていたようにタリア・モルゲナーダがシアの前に現れこう告げた時、シアは笑いを堪えるのに苦労した。


 ——過去に復讐をしたくはありませんか?


 その表情も口ぶりも、『わたしはあなたの過去を知っています。さぞ無念でしょう』といった仕草も。

 復讐なんて興味のないシアには、まるで人形劇を見せつけられているような滑稽な気分にさせてくれた。


(ふうん? こいつがタリア・モルゲナーダ……)


 シアはギルドの一階にある酒場の片隅で、目の前に立った女を無言で観察した。


(第四王子の後援者にして婚約者。そして王子と実の父であるコラッド伯爵をうまく操作して、次々と王位に王手をかけている影の権力者)


 歳の頃は二十代前半であろうか。

 コラッド伯爵家の嫡女だというその女は、噂にたがわぬを有した、一見すると楚々とした淑女であった。


 品よくまとめられた栗色の髪。僅かに伏せられた榛色のつぶらな瞳。東部人特有の象牙色の肌。

 そのすべてが柔らかそうな印象の彼女は、落ち着いた声音に思いやりを宿した眼差しで、シアに手を差し伸べたのだ。


「ただこの手を取ってくださるだけでいいのです。今はまだ、この国は高貴なる思惑によって支配されています。ですが、あなたがこの手を取ってくだされば、悪は正され正義が統べる国へと生まれ変われる」


 静かなその演説は、ざわついた酒場の中でもよく響いた。


「圧政に苦しむ人々も、不平等に耐える人々も、力なきものが淘汰される世界すらも救えるのです。……そう、失われるべきではなかった至宝さえも、あるべきところへ元通りに」


 そうして優雅に微笑んだタリアに、それまで遠巻きに眺めていた他の客たちも、タリアの護衛らしき騎士たちですらも、思わず感嘆のため息を零していた。


 はたから見たら、慈愛深き聖女が堕落した悪魔へ救いの手を差し伸べたようにも見えただろうし、若いながらも高潔な未来を語る姿に感銘を受けた者もいたのだろう。


 しかしシアは、僅かに目を細め冷笑を浮かべただけで、その手を取ることはしなかった。


「ご冗談を」


 代わりに嘲笑の混じった一言が、差し出された手をはねのける。

 タリアと同じように演じることが得意な人間にかかれば、その美しい仮面の下に隠された本性など、お見通しだ。

 そう、シアにかかれば。


(あんたが正したいのは正義じゃなくて、一族が被った汚名。そして王后によって貶められた、自身のプライドだろう?)


 シアは聞いたことがある。

 コラッド伯爵家はかつて、第二王子マレン——つまり、第四王子ジェフリーの実の兄——の後援者であり、伯爵夫人は第二王子の乳母でもあったと。


 そして忠実な臣下であった一族は、マレン王子が七歳という幼さで溺死すると、監督不届きの汚名を被せられ、東部の領地へ追放された。

 すべては王后の、策略通りに。


(だから王后によって嵌められた者同士、仲良く復讐しようって魂胆なのだろうけど。おあいにくさま)


 シアは胸中で皮肉を呟くと、軽く首を傾げて微笑んだ。


「あいにくと、崇高な志など持ち合わせていないので、お引き取りを」


(とりあえず、冷たくあしらわないとね)


 簡単に靡かないとわかれば、どうにか関心を惹こうとやっきになるだろうし、より好条件を引き出しやすくなる。


「私に辿り着いたのは褒めて差し上げますが、取引をするには少々勉強不足のようです」


 そう言って立ち上がったシアを引き留めたのは、小さな呟きだった。


「……なにが、足りなかったのでしょう」


 押し殺したような声音にシアは艶然と微笑む。

 声が震えているのは、もちろん屈辱からだろう。


「優れた商品をお求めなら、それ相応の対価が必要だとお思いになりませんか?」

「対価……」

「ええ、私は高いですよ。少なくとも一日当たり、これくらいはもらわないと」

「っ」


 並んで立ったシアの身長が思いのほか高かったからか。それとも、シアが指で示した金額が目を瞠るような額だったからか、タリアは僅かに息を呑みこんだ。


 だが、すぐに落ち着きを取り戻し平静を装う。


「もちろん。そちらもぬかりなく用意してございますわ」

「ああ、そう。では依頼内容もぬかりないのでしょうね」

「え……?」

「私のことをお調べになったのなら聞いたこともあるでしょう? 報酬がよくても依頼を受けないこともあると」

「え、ええ。ですがわたくしの話を聞いていただければ、あなたもきっと興味が湧いて——」

「復讐なんかが?」

「……」

「残念ながら、私は過去を振り返らない主義なのです。欲しいものは手にしているし、欲しければ自らの力で掴み取ることだってできる。そのせいで人生に退屈しているけれど……暇つぶしはいつだって、簡単に見つけられる。そう、例えばあなたとか」

「——!」


 シアがふっと表情を消して真っ直ぐにタリアを見下ろした瞬間、平静を装っていたタリアの顔から仮面が剥がれた。


 恐怖は一番、人間の本性が現れやすい感情だ。

 そして普段、笑顔で身の内に潜む残虐性を隠しているシアが、その瞳から笑みを消せば、たいていの者は恐怖で竦んで身動きが取れなくなる。


 青い顔で硬直したタリアの護衛二人も然り。ギルドの人間ですら不穏な空気を察知して、一目散に逃げるくらいなのだから、ただの小娘が耐えられるようなものではない。


(まあ、これに耐えられるくらいの気概があれば、依頼は受けてやってもいいけど)


 シアの殺気にも耐えられるということは、それだけ欲深い生き物ということだ。

 本音を言えば尻尾をまいて逃げ帰ってくれる方が、後々の面倒もなくお互いのためなのだが。

 果たして、タリアは前者であった。


「ッ。い、らい、内容は……第四王子殿下を守り、地盤固めに貢献していただくことです」

「……、へえ?」


 タリアがテーブルに乗っていたグラスを叩き割り、破片を握りしめた瞬間、シアは思わず口角をあげた。

 まさか、お嬢様タリアがそんな方法で切り抜けるとは、思いもしなかった。

 しかも、深く息を吐いて整えた後で、彼女は何事もないかのように微笑んですら見せたのだ。


(は、狂ってる)


 タリア・モルゲナーダは兎の皮をかぶった悪魔だ。

 その瞬間、シアは確信した。


(この女は自分の望みのためならどんなことにも手を染める。王后以上に厄介で、危険だ)


「……期間は一年」


 だからシアは自ら条件を提示した。

 絶対服従を求められたわけではないので、依頼内容に制限は設けない。ただ『第四王子を守り、地盤固めに貢献する』とだけ約束した。

 それはタリアにもシアにも、どちらにも公平な条件だった。


(タリアは王位を手にするために、邪魔者を排除するよう仕向けるだろうが、うまく切り抜ければいいだけの話。王子二人に恨みはないしね)


 普段から何の躊躇いもなく人を殺すシアだったが、最初から殺害が目的の依頼は請け負わないと決めていた。

 それは彼女の中に残された最後の良心であり、ポリシーだった。


(あとで気付くだろうけど、まあいいか。わざわざ教えてやる義理もない)


 見抜けなかったのはタリアの落ち度であり、具体性に欠けた依頼で搾取されるのもまた、タリアの落ち度なのだから。


「ああ、それから。殿下の護衛もとなると、王宮には泊りがけになるでしょう。上質な部屋は当然のこと、誰からも指図を受けるつもりはありませんので、私の能力に見合った待遇を要求します。もちろん、すべて叶えて下さいますね?」

「……ええ。そのように」


 そうしてシアは、纏っていた謎のベールを脱ぎ捨てて、第四王子の魔法使い。史上最凶の大魔法使い『白い悪魔』として、初めて公へ姿を現した。

 

 * * *

 

(ふうん? 王宮ってまさにカモのたまり場だね。ここで得た情報をアッシュたちに売り払えば、たんまり儲けられそう)


 そんな不穏なことを思いつつ絢爛豪華な王宮を練り歩くシアに、人々が様々な思惑を抱いたのは想像するまでもない。

 シアを知っているかつての依頼主たちは、皆一様に青い顔で視線をそらしたし。噂でしか知らぬ者たちは、皆一様に『第四王子は詐欺師に騙された』と嘲笑った。


 中には、彼女の美しさに魅了され——シアは黙って微笑んでいると天使のように美しい——求婚するという猛者までいたが、意外なことにシアの容姿を目の当たりにしても誰一人、彼女の出自に言及する者はいなかった。


 あの、王后さえも。


 思えばフエゴ・ベルデの名は流れの魔法使いが箔をつけるための常套句であったし、その名の通り『緑の火フエゴ・ベルデ』と呼ばれる、瞳の中で火のように揺らめく神秘的な輝きを除けば、銀に近い金髪もエメラルドのような瞳も、特別希少というわけではない。

 魔力を抑制しその神秘的な輝きも鳴りを潜めたいま、シアをフエゴ・ベルデだと証明するものは何一つ存在しなかった。


(まあ、もともと、王宮とは程遠い一族だったしね)


 政権から遠のいたアルトヴァイゼン公爵家は、先祖が守り抜いた自領の発展だけに力を注ぐという封鎖的な生活を送っていた。

 王都から遠く遠く離れた、北の地で。


(そう言えば……『シアのデビューは王都で華々しくあげるのよ』って、お母様が張り切っていたっけ)


 シアは中庭を臨む回廊を歩きながら、ふわっと香った薔薇の香りにそんな記憶を思い出す。


 母の声も顔も忘れてしまったけれど、暖かな腕と摘みたての薔薇のように、いつもいい香りがしていたのは覚えている。

 気が付けば庭園へ足が向いていた。

 初夏の瑞々しい庭園は、薔薇を始めとした様々な花々に彩られ、懐かしい母の温室を思い起こさせる。


『赤、白、ピンク、淡い桃色に、元気の出る黄色。シアはどれが一番好きかしら』

『う~ん……』


(北部の冬は長くて、南部で生まれたお母様がいつでも楽しめる様にって、お父様が魔法をかけた『お母様の花園』——)


 そこでシアたちは長い時間を過ごした。


『お母様も、十五歳の年に王宮でデビュタントを飾ったの。わたしだけの王子様と出会ったのは、そのときでも王宮でもなかったけれど。とっても素晴らしい思い出よ』


(そんな言葉を純粋に信じていた時もあったっけ)


 結局、母の言葉が実現することはなかった。

 シアが十五歳の誕生日を迎える前夜、王后の陰謀と魔塔の手によって、すべてが炎に包まれたからだ。


(それなのに王后は、自分が消した者たちのことを少しも覚えてもいない、か)


「……少しだけ腹立たしいな」


 ぽそっと呟くと、シアは目の前の薔薇に手を伸ばす。

 鋭い棘がシアの手のひらに食い込み血を滲ませたが、胸に渦巻く黒い感情以外、痛みも感じなかった。


 ——いっそ、燃やしてしまおうか。


「王宮も、この国も、何もかも……」


(端から残らず首を刎ね、いたるところへ火を放ち、王后は……息も絶え絶えな第一王子と共にわざと逃がして。少しずつ自分の腕の中で息子が死んでいく姿を、感じればいい)

 

 そうして絶望したころに、自分が宝石で飾られたあの首に手を回す。


(私が感じた絶望と一緒に——……)


 仄暗い誘惑に、シアがその手を握りしめた時だった。


「そこで何をしている」


 強く立ち上った薔薇の香りと共に、低い声がシアを現実に引き戻した。

 

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