一章 一度目の人生
第3話 『白い悪魔』-1
回帰する前の自分を振り返る時、『シア』は心の正しいまっとうな人間ではなかったと、心の底から断言できる。
その素行の悪さや魔塔をも凌ぐ実力のせいで、魔塔と対立している流れの魔法使い。闇社会に身を置く若い女性で、気が向けば高い報酬と引き換えにどんな仕事も請け負う、残虐非道な悪女。
それが『白い悪魔』と呼ばれたシアを評する言葉であった。
それ以外の詳しい素性や所在は、ベールに隠されていた。シアという名前と、エメラルドのようなグリーンアイ、白金のようなプラチナブロンドの外見だけが人づてに伝わっているのみだ。
一方で、その偉大な魔力と特徴的な瞳から、『緑の火』と呼ばれたアルトヴァイゼン公爵家、フエゴ・ベルデの生き残りではないかとも噂されていたのだが、噂というのはなかなか的を射ているものである。
実際、十五歳を目前にして家族を惨殺され路頭に迷うまで、シアは——いや、アーテミシア・フエゴ・ベルデは蝶よ花よと育てられた公爵家の末娘だったのだから。
執拗な追っ手をかわし、這う這うの体で一人生きのび。底辺の人生までをも経験したシアにとって、唯一の救いだったのは自身の中に魔塔の魔法使いですら恐れるほどの、膨大な魔力とセンスがあったことだろう。
以来、その魔力だけを頼りに流れるように生きてきた。
金のためには戦場へ身を投じることもあったし、「気に食わない」ただそれだけの理由で人も殺した。高額な報酬と引き換えに、喜んで誰かの人生を壊したことさえある。
そうして闇の世界に染まるうち、いつしかシアは、闇ギルドを束ねる男と肩を並べるほどの影響力を持つまでになっていた。
やがてそんな人生に退屈を覚え始めたシアの元に、家族を殺した犯人の有力な情報が入ってきたのは、すべてを失ったあの日から四年が経った、初夏の晩のことである。
* * *
その日、いつもの恒例として、情報を肴に旨い酒を酌み交わしていたシアへ、対面に座った男は重い口を開いた。
「最近、東の塔がきな臭い。どうやら魔塔の過激派が、どうやってか王后と手を組んで、ゲッシュを破ったのが教会側にばれたらしい」
「……魔塔が、王后と?」
思いもよらぬ情報に、シアは柳眉を上げた。
シュエラ王国の魔法使いは、一部の例外を除いて魔塔に所属し、独自のルールに従うことが義務付けられている。
そしてゲッシュとは、この世界を創造した女神アウラコデリスへとの誓約だ。破ればその身に、大いなる災いが降りかかる。
「王家は魔塔と取引をしてはならない、魔塔は王家の争いに介入してはならない……だっけ」
「ああ。破れば魔力どころか女神の加護すらも、失うことだってあり得るってのに、恐れ知らずなことで。シアも気を付けろよ、過激派の頭は相当な野心家だ」
そう言うと、闇ギルドを束ねる男は身をかがめ、シアの耳に声を落として囁いた。
「奴らは、四年前の公爵家の襲撃にも関わっている」
長年魔塔は王国内の魔法使いを管理することで、自分たちの存在感を示してきた。そのため、支配の及ばない公爵家の存在は目の上の瘤だったのだ。
(公爵家が滅んで以来、奴らが支配権を強めたのは誰だって知っていることだもの)
魔塔はゲッシュのせいで王家の恩恵を受けられない。そして王位争いや王家に関する有事が起きた際、重宝されるのは魔塔に所属していないフエゴ・ベルデの魔法使いか、女神の権能を授かった教会の者たちだけだった。
そんな状況でフエゴ・ベルデが消えれば、王家はお抱えの魔法使いを失い、ゲッシュを改めねばならない。
おそらくそれを狙ったのだろう。
(……そして王后は、アルトヴァイゼン公爵の持つ王命への拒否権が疎ましかった)
アルトヴァイゼン公爵家、フエゴ・ベルデはかつて北の公国を治めていた王家の子孫である。シュエラ王国が勢力を拡大し周辺諸国を統合していった折に、公国は王国へと吸収されたものの、初代シュエラ国王はダンカン・フエゴ・ベルデに敬意を示し、王命への拒否権と公爵位を与えた。
以来、王家が利用できる魔法使いという点から重宝されてきた一族だったが、王位争いなどで利用されることが増え、近年は政権から遠のいていたのだ……。
「ふうん? 仮にも北の大地を治める大貴族が『身内の魔法使い同士で争った末に滅んだ』なんて、よくもまあくだらない理由で片付けられたものだと思っていたけれど、そう。背後に王后、ね」
王権を手にしたい王后からしてみれば、おもねらないくせに拒否権を持つなど、厄介この上ない。それならば不安の芽は早々に積んでしまえと、粛清されたのも頷ける。
「……復讐だなんて考えるなよ」
憂慮を宿した瞳で、闇ギルドを束ねる男はシアを見た。
「どんな犠牲を払おうと、死んだ人間は返ってこない」
それに、シアはただ肩をすくめただけだった。
復讐だなんて、考えてもみなかった。
たった一人、この世界に取り残されたばかりの頃は、家族の無念を晴らそうという気概もあった。だがその気持ちは現実を知るとともに、しだいと薄れて消えた。
『アルトヴァイゼン公爵家が滅ぼされたのは、王権をも揺るがす力を持っていながら、安穏としていたから。政治的にうまく渡り合えず、時勢を読むことができなかったから』
いまではそう納得している。
——それに。
(家族の顔なんてもう、覚えてないし)
あれほどまでに愛していた人たちだったのに、記憶の中の顔はどれも朧気で、瞳の色やその声すら、いまはもうぼんやりと浮かぶだけだ。
郷愁や心を揺らす思い出がなければ、復讐しようなどという気力も湧かない。
(はは。だから復讐なんて正直どうでもいい、なんて……さすがに薄情、かな?)
いまや史上最凶——最強ではなく最凶。最も凶悪——の魔法使いとして魔塔にも恐れられる自分なら、奴らに一矢報いることはできるだろう。
たとえその背後に王后という手強い女狐が控えていても、だ。
(我が物顔で権威を語る魔塔を燃やし、奴らを根こそぎ嬲って、あのすました王后の顔を苦痛と恥辱に染めてやることはできる。でも……)
シアはそうしようとは思わなかった。
「復讐だなんてずいぶん物騒だね、アッシュ? 私がたかだか誇りのために、お金にならないことをすると思う? 生産性もないし、退屈そうだ」
シアが冗談めかしてそう言うと、闇ギルドを束ねる男——アッシュは、無言で灰色の瞳を細めた。
「……」
「ふふ。同意しかねるって顔してる。でも、それが私という人間だよ。酷薄で、強欲で、情のない『白い悪魔』。アッシュだって言ったじゃないか。どんな犠牲を払おうと、死んだ人間は返ってこないって。だったら楽しく生きるために、より楽に大金を稼ぐ方法に力を割くね」
(だってそれが、残酷で醜悪なこの世界を生き抜くコツでしょ)
世の中、金がすべて。金さえあれば大抵のものは買える。
快適な家も、権力も、人の命さえも……。
そう教えてくれたのは、紛れもなくアッシュ自身だ。
「まあ本音を言えば、私を見てお偉いお貴族様たちがどんな反応をよこすだろう、とか。ゲッシュを破った魔法使いの末路とか。かつて自分が切り捨てた駒にじわじわと追い込まれ、仲良く破滅していくあの女狐の姿は見てみたい気もするけどね~」
「やっぱり物騒なことを考えているじゃないか」
シアが飄々と本音を漏らすと、アッシュは頭痛を堪えるようにこめかみを揉み解した。
その姿にシアは声を立てて笑った。
「ははは。あくまで、見てみたい気がするだけだよ」
それから窓の外に視線を投じ、闇の向こうにぼんやりと浮かび上がる、荘厳な王宮の尖塔を眺める。
「まあもっとも、そんなことに大金を支払うのは第三王子一派か、噂の第四王子を後援しているタリア・モルゲナーダくらいだろうし」
元々シュエラ王国では、王后の子である第一王子と側妃の子である第三王子との間で、王太子の座を巡る争いが勃発していた。
しかし三年前の春。それまで存在すら認められていなかった、『悲劇の側妃』ロクサナの忘れ形見——ジェフリー第四王子が、東部の大貴族コラッド伯爵家とともに突如王都へ凱旋すると、状況は一変した。
正統なる後継者という地位と、優秀な人柄。
民衆の厚い支持で、王太子も確実と言われていた第一王子。
そんな彼を、第三王子の支持派と第四王子の後援者コラッド伯爵家が双方から追い落としにかかったのだ。
「タリア・モルゲナーダは王后に劣らずなかなかの策士だ。東部に封じられた伯爵家の令嬢とは思えないほどに。貴賤に関わらず第四王子と共に着実に人心を集めているし、第一王子の手柄をうまく横取りしている」
「それに加えて第三王子一派の妨害と、反王后派による反発……後ろ盾であるルヴォン侯爵家も母の息がかかって使えないと思えば、味方の少ない第一王子は不憫だねぇ」
「おい、変な気は起こすなよ」
「なにが?」
「王位争いに介入して、第一王子から大金を巻き上げようとか。厄介ごとに首を突っ込むなってことだ」
シアの呟きから不穏なものを感じ取ったのか、アッシュは普段から険しい顔を余計に険しくし、灰色の瞳で牽制する。
「王后には近づくなって言っただろ」
「ふうん? でもさ、アッシュ」
シアが向き直って核心をつくと、灰色の瞳が驚きに揺れた。
「タリア・モルゲナーダは血眼になって私を探しているんだろう?」
「知って、たのか」
「あたりまえ。私を誰だと思っているのさ」
どこかばつが悪そうなアッシュへ、シアはにんまりと口角を上げる。
「だから王后や魔塔の話を持ちだしたってのも気づいてる。これだけ厄介な奴らが揃ってるなら、わざわざ魔窟に足を踏み入れないだろうっていう気遣い? いやぁ、愛がむず痒いなぁ」
「——ッ! くそったれっ」
揶揄うようにそう言えば、アッシュは前髪をぐしゃぐしゃとかき回し、あらんかぎりの悪態を吐きだす。
そのあとで、彼はシアを睨むとこう言った。
「だったらみなまで言わなくても、わかってんだろっ。王后一派を警戒し息子を遠ざけている王にとっても、第一王子は厄介者だ。とっとと、くたばっちまえばよかったのに。無駄に優秀だからタリア・モルゲナーダが新たな切り札を求めて『白い悪魔』を探したりしやがる」
「いつかはこうなるかもってわかってたさ。ああいう輩は鼻が利くからね」
「シア……」
「あんまり心配しなくても大丈夫。王位争いに直接介入はしない。王族殺しの濡れ衣を着せて私を切り捨てようって魂胆も、ちゃんと理解してる」
(それに、利用できないとわかれば手のひらを返したように、その存在自体を葬り去ろうとすることも)
表の世界でも裏の世界でも、狡猾な人間というものは変わらない。
王后もタリア・モルゲナーダも、これまで大金を積み上げてシアを利用しようとした人たちも。『白い悪魔』と呼ばれるシアよりも、よほど悪魔めいている。
(ほんと、醜くて滑稽……)
きっとタリア・モルゲナーダは、シアが依頼を断れば仲介を担うこのギルド『月狼』すらも、根こそぎ消し去ろうとするだろう。
まるで、四年前みたいに。
「……」
シアはパチパチと静かに燻る暖炉へ視線を移し、魔法で弱まりかけていた火を燃え上がらせた。
直後、ごうっと息を吹き返した炎は、見つめるシアの瞳に独特な揺らめきを与える。
「あ~あ、一度は依頼を受けないとだめだろうね。人気者は大変だ」
「……っ」
どこかふざけた口調なのに、炎を宿した緑の瞳は、対面に座ったアッシュへひやりと首筋に刃が当てられたような、そんな危機感を覚えさせた。
「べつに、蹴ってもいいんだぞ」
思わず強張りそうになる喉を咳払いで誤魔化し、アッシュは告げた。
それに対して、シアは瞬き、ぱっと雰囲気を変えて無邪気な笑顔を浮かべる。
「んんん? まっさかぁ、こんな大金を巻き上げられるチャンスを逃すなんてもったいない。私と繋がりを持ちたいタリア・モルゲナーダは契約金を惜しまないだろうし、少しでも渋って見せれば依頼内容だって変えるさ。第四王子に貢献してくれとかっていう、無難な内容にね」
「……この守銭奴め」
「ははは。契約期限は一年くらいが妥当かな? その間私は適当に依頼をこなして、楽して稼ぎながら王位争いを特等席で観覧するさ」
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