第4話 だって約束したからね


「よくも! よくも邪魔したわねアシュトン!」


 水圧で転んで床に這いつくばりながら、ギラギラ妄執に憑りつかれた目を燃やしながら僕を睨む母。

 そんな母を冷めた目で見下しながら、手にした放水ポンプもどきの水を止める。おかげさまで母が持っていた松明も、部屋を照らしていた燭台の火もすべて消え、この部屋の光源は無くなった。

 暗い部屋を照らすのは、開けっ放しの地上に繋がる階段の扉だけ。恐らく母からは逆光で僕の顔など見えないだろう。


「よくもよくもよくも! お前はいつも! そうよお前はいつだって私の邪魔をする!」


 思ったより水圧のダメージがあるのか、母は起き上がらず拳を石畳に叩きつける。力仕事などしない貴婦人がそんなことをして、すぐ手を痛めると分からないのか。


「いつもいつもいつも…生まれる前から! お前がいたから! 姉様は姉様は姉様はぁっ!!」


 濡れた髪を振り乱し、母は激昂する。


「お前がいたから姉様は私を捨てたのよ!!」


 そんな産まれる前のことを言われても困る。

 この人はいつも過去ばかり見て、現実を見ない。現実を受け入れない。


「何度も言うけど、イザベラはエリザベスじゃない」

「いいえ! いいえあの子は姉様よ! あの金の巻き毛、泉を写す緑の瞳! 象牙の様に白い肌に、薔薇色の唇…全て全てお姉様と同じ! 十八歳のお姉様が帰ってきた!」


 エリザベス、享年十八歳。

 そしてイザベラも十八歳だ。

 だから余計に重なって、余計に許せない。

 姉の死因に関わる王家に嫁ぐことが許せない。


 だがそれは全て、この人の妄想でしかない。

 …間違っていない部分もあるけれど。


「似てるのは当然でしょ。伯母と姪だよ? 血縁者なんだから、顔立ちが似ているのは当然だ」

「いいえ! 同じよ! 似ているのではないの。同じなのよ! あの子は姉様なのだから!」

「話が通じないな。違うって言ってるでしょ」

「姉様だと言っているでしょう!? 私がそう産んだのだからそうなのよ!」


 怒鳴りながら、母は狂ったように笑う。口端が裂けたように歪み、真っ赤な唇が水に濡れて青ざめた顔によく目立つ。


「姉様の骨を砕いて食べた。灰を溶かして飲み下した。姉様の身体を取り込んで産まれたのだからあの子は姉様よ!!」


 禁忌の邪法。

 子が生まれるまでの間、死者の血肉を貪って、死者の身体を産む邪法。

 隣国でも倫理に反すると判断され、禁止されている儀式の一つ。

 金で呪い師を雇ってまで、この人は禁忌に手を染めた。


「それなのに…お前がお前がお前が! 邪魔をするからぁ!! 姉様が穢れてしまった!!」


 恍惚と笑っていた顔がまた歪む。打ち付ける拳から血が滲み、極度の興奮状態にあることが見て取れる。まあ、最初から情緒不安定で興奮状態だけど。


「お前が混ざるからこんなことになったのよ!」


 ―――ずっと、この人はそう言って僕を憎み続けている。


 例の火災で亡くなったのはエリザベスだけではない。

 飲食店で逃げ遅れた客、店の者が複数亡くなっている。

 エリザベスの居た貴族専用の個室は、何故か鍵がかかっていて逃げられないようになっていた。だからエリザベスは個室に一人だった―――そう思われているが、実は違う。

 そこにはもう一人、エリザベスの従僕が一緒にいた。


 エリザベスを守るように折り重なり、燃えた男がいた。


 焼け爛れた身体はまるで一つになるよう溶け合って―――完全に二人を分け離すことは出来なかった。


 そう、出来なかったのだ。


 だから禁忌の邪法を用いた時、彼女はエリザベスだけでなくその男の一部も取り込んでしまっていた。


 だから―――イザベラエリザベス一人でなく、男も一緒に産まれた。

 その従僕にそっくりな、アシュトンが産まれた。


 だから儀式は失敗したのだと、彼女はずっと喚いている。


 ―――彼女は初めから、我が子のことなど見ていなかった。

 何故なら最初から、姉を産もうとしていたのだから。その為に禁忌に手を染めて、非人道的な行為を繰り返した。


 狂っている。姉に対する執念も異常だ。


 ずっと昔からそうだった。

 姉ばかり見て、姉ばかり求めて…危機感を抱いた公爵が、早急に婿を取って家に縛り付けた。それでもずっと姉を求め、姉が死んでもずっとずっと、姉を求めている。


「何度言っても通じないね。仕方がない、病気だから。病気の夫人が王都に居てもやることなんかないし、領地に引っ込んで静養ってことで。殿下もそれをお望みだし問題ないよね」

「お前に何の権限があってそんなことを!」

「決定は公爵にあるけど殿下がそう望まれたのだから覆らない―――さようなら憐れな人。来世は狭い世界から抜け出すことを願っているよ」


 そう告げて、扉を閉める。喚く声が鈍く響くが、鍵を閉めたら問題ない。

 光源もない寒い部屋で、長時間暴れられるわけもない。荷物をまとめて公爵が帰って来る時間には疲れ果てて大人しくなっているだろう。

 階段を上り地上に戻る。意外と重い放水ポンプもどきを従僕に渡して母の荷物をまとめるよう指示を出す。

 流石に僕もびしょ濡れだから着替えないと。僕が歩くたびに廊下が濡れるから、メイドに恨めし気な目で見られている気がする。逆にうっとりした目で僕を見るメイドはなんなのさ。

 僕は部屋に戻って濡れた服を脱ぎ、着替える。

 着替えくらい一人で出来る。手伝いなんかいらない。替えのシャツを羽織って、姿見に映る自分を確認した。


 イザベラは僕を父親似だと言うけれど、色彩だけで顔のパーツは一切似ていない。

 何も知らないイザベラは、行き過ぎた母の行為を自分の所為だと思っている。自分が炎の悪夢を見るから、母が伯母の生まれ変わりだと勘違いしてしまったと責任を感じている。

 だけどそうじゃない。あの人は元から姉を産むつもりで禁忌に手を出したし、不純物として生まれた僕を我が子とは思っていない。イザベラは理不尽で意味不明だと言うけれど、母の中ではきちんと理由が存在した。非現実的な理由が。

 生まれ変わりの儀式が中途半端になったのは、僕の所為だと思っている。


 ―――それは正解であり、不正解だ。

 イザベラはエリザベスの生まれ変わりじゃない。ただの愛らしい女の子。

 エリザベスの生まれ変わりは、僕だ。


 僕がエリザベスだ。


 何故こうなったのかはわからない。

 従僕と遺体が交じり合った所為なのか、他に原因があるのかわからない。それでも僕はエリザベスの記憶を持って産まれて来た。


 赤子の頃は記憶が安定しなくて、死に際をよく夢に見た。僕は夢の原因…死の瞬間を見ていると分かっていたけれど、双子の妹は双子だから同調したのか、同じ夢をよく見ていた。

 ただの幼子だったあの子はその度に炎に怯え、炎に怯えるあの子を見た母は儀式の成功を確信して笑っていた。

 しかし成長と共にエリザベスとしての記憶がイザベラにないことを察し、中途半端な結果を僕の所為だと思い込んだ。

 僕が殺されなかったのは嫡男だから。父である公爵が僕を守っていた。

 恐らく後継ぎでなければ、僕は幼子の頃に殺されていただろう。母は成長する度に従僕に似てくる僕を見て、ますます僕の所為で儀式が中途半端だったのだと思い込んでいたから。


 僕は、エリザベスの記憶があることを誰にも伝えなかった。

 儀式が成功して死者の魂が返って来たと分かれば…どんな扱いを受けるかわからなかった。

 何より、どうでもよかった。エリザベスとしての記憶は僕にとって過去だったから。


 だから、エリザベスを裏切ったクレイアン陛下元婚約者も。

 欲望のままに生きてエリザベスを罠に嵌めたクトリーナ王妃子爵令嬢も。

 真実を語ることも、復讐する気持ちもなく―――どうでもよかった。


 ただ、僕が何も語らないことで、双子の妹がエリザベスだと判じられたのが心苦しい。

 双子で同調したから夢を見て、その悪夢に囚われて、炎を恐れるようになった可哀想な妹。

 産まれる前に巻き込まれた儀式の所為でまともに愛されない憐れな姪。

 全部僕が否定しないから。僕が名乗り出ないから―――だから僕は責任を持って、イザベラを幸せにしようと誓った。


 エリザベスが真実を語らないから宙ぶらりんな立場の王子も含め、公爵家の責任で王家の血筋を守るためにも、頑張ろうと決めた。


 もともとエリザベスは、たとえ婚約者に愛する人がいたとしても貴族として、王妃として、国の為に生きるつもりだった。

 妾は許そうと思っていた。たとえ相手が自分を愛していなくても―――自分だって他に愛する人がいたから。


 鏡を見る。

 手を伸ばして鏡に触れる。

 そこには水に濡れて青ざめた、顔色の悪い男が映っている。


 ―――最愛の人と同じ顔をした、僕が映っている。


 何の因果かな。こんなの、忘れられるわけがない。

 元婚約者も横槍を入れる令嬢のことも過去として括れるのに、これだけは無理だ。

 だって自分の顔なんだから忘れられるわけがない。ずっと蓋をし続けたのになんて惨い。これじゃ一生忘れられない。

 僕はエリザベスだけど、彼じゃない。

 わかっているけど―――無理だ。炎に巻かれながら死に際に告げられた約束を、忘れられない。


 ノックが響き、従僕の声がする。

 鏡から目を逸らす。着替えを再開して、濡れた髪を雑に拭いた。

 入室して来た彼は温かいお茶とレターセットを持ってきていた。母を領地に送る為、下準備をしなくてはならない。

 言われる前に行動出来る従僕。彼もまたそうだった。

 ああ、まだ時間がかかる。溜息をお茶で呑み込んで、ふとイザベラとアーミアンが気になった。

 従僕に問いかければ、二人揃ってくっつきながら僕を待っているとか。


 イザベラが一人でないことに安心するけど、アーミアンは僕の事とか口実だろうな。あいつ単にイザベラとくっついていたいだけだ。

 幼少期だって、わざと僕からはぐれて二人になっていたし。気づいたら好き合っていてびっくりした。

 でも将来的にイザベラは血の返還の為、王家に嫁がせないといけないって思っていたから…アーミアンを好きになってくれて、心から安堵した。あの子には、幸せになって欲しい。


 イザベラは不思議でおかしな子だ。放水ポンプもどきなんて不思議なものを思いつくし、切り替えが早くてへこたれない。

 あの母の妄執を真正面から受け止めて、よく歪まずに成長してくれた。愛らしい…エリザベスに似てしまっただけの


 エリザベスとよく似た容姿の彼女が王家に嫁ぐのは、正直自分のやり直しみたいで複雑な気持ちだけど、アーミアンにも幸せになって欲しい。かつてエリザベスがしくじったから王家で生きることになった子供だ。エリザベスの過失で今の立場に立たざるを得ない子だ。幸せになって欲しい。

 その為なら、二人の為に何でもできる。

 …出来ないこともあるけど。

 愛した男の姿で、女を抱くことなどできない。


 彼は最期まで私のものだ。


 なんて傲慢な、エリザベス


 温かな紅茶を飲み干して嗤う。

 もうとっくの昔に自分の生き方は決めている。

 だって約束したからね。


「ずっと一緒だよ」


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