第2話 ストロベリージャム 2
ドラッグストアの店長の岡野と、季依はあまり話をした憶えがない。面接のときと、初出勤の日の、モール全体の研修を受けたとき。その二回だけ、岡野と二人きりになったから、世間話をしたように思う。
岡野は店長就任二年目の、四十一歳。真面目で目配りがよく利く、人が嫌がる仕事を率先して請け負う。店長としては申し分ない人だ。
ただ、だからといって、一人の男性として好感が持てるかといえば、そうではない。
岡野を見ていると、なぜか後ろめたい気持ちになる。話をしているとき、なぜか、こちらが彼を責めているんじゃないかという疑いを抱いてしまう。
どことなく、疲れた感じを漂わせる風貌が、そう思わせるのかもしれない。長めの前髪がいつも額にぴったりくっついて、顔の印象を暗くしているせいもあるかもしれない。
だが、季依は見逃すつもりはなかった。子どもの頃から正義感は強く、間違ったことをそのままにできないタイプだ。悪い行いをしたあうるを告発しないなんて、有り得ない。
まだ、貸した五六〇円は返してもらってない。その怒りも告発に向けるエネルギーになっている。
あうるといえば、態度に全く変化は見られなかった。季依と挨拶を交わすときも、その目に後ろめたさの影など一ミリも感じられないし、売り場での働き方に変化もない。
なにもなかったんじゃないか。そう思ってしまうほど、あうるの態度は変わらない。
✩
お盆が近づき、蘇我の辞める日がきた。
有志だけ集まって、ちょっとしたお別れ会が開かれた。場所は、モールの中にある居酒屋。お酒が好きな蘇我のリクエストで決まった。
その日、就業時間が終わってから、居酒屋にやって来たのは、岡野とあうる、それからアルバイトの学生が二人。処方箋担当の薬剤師も一人、来た。季依はシフトが入っていない日だったにも関わらず参加した。蘇我に恩義も感じていたが、何より、店長の岡野と個人的に話す機会を得ようと思っていたからだ。
会は滞りなく進み、十時にはお開きになった。
居酒屋を出て、モールの通路を歩き始めたとき、蘇我に声をかけられた。
「今日は、ありがと。これからはあなたがいちばんベテランになるんだからがんばってね」
はいと応えたものの、心ここにあらずだった。会の間、結局、岡野とは話せなかった。あうるが岡野の横を離れなかったからだ。
このままじゃ、今夜来た甲斐がない。
そう思ったとき、チャンスは訪れた。岡野がドラッグストアに戻り、ちょっと仕事をしていくと言ったからだ。季依はすかさず、
「わたしもお手洗いに行ってから帰ります」
と、声を上げ、みんなの輪から逃れた。お手洗いはドラッグストアと反対方向にある。誰も、季依が店に戻るとは思わないだろう。
トイレに着くと、季依は回れ右をして、仲間たちの帰路とは違う通路を通って、ドラッグストアに向かった。心臓がバクバクしていた。この告発は正しいのだ。そう思っても何か後ろ暗く緊張する。
店舗に入るための、従業員通用口に到着した。店長の岡野が先に入っているせいで、開錠のログインは必要ない。
と、後ろから声が上がった。
「殿村さん、どうしたんですか?」
心臓を鷲掴みにされたとは、こういう瞬間を言うのだろう。
後ろには、あうるが立っていた。
「あなたこそ、どうして……」
「そうなんですけど、忘れ物をしちゃって。殿村さんも忘れ物ですかぁ?」
「そういうわけじゃないの、ちょっと店長に」
すると、瞬間だが、あうるの酔ったせいで潤んでいた瞳が光った気がした。
後悔しても遅い。あうるに気づかれたんじゃないといいが。
だが、杞憂だったようだ。あうるは「ふう、酔っちゃいましたぁ」と、季依にしなだれかかり、それから、「あたし、殿村さん、好きですよ~」と言ってしがみついてきた。
完全に酔っぱらっている。こちらの意図など気づいたはずはない。
どうしよう。
このまま帰るべきだろうか。あうるの万引きを見つけてから、もう二週間は過ぎている。その間、行動に出れなかった。だけど、だからといって、あうるの前で店長に告げ口する勇気なんか、ない。
あうるは季依から体を放し、店のほうへ行ってしまった。
ぽつんと残された季依はなかなか決心がつかない。
逡巡している間に、店のほうから、店長とあうるの笑い声が聞こえてきた。声は徐々に近づいてくる。
二人が揃って戻って来た。もう、無理だ。
何も今夜じゃなくったっていいのだ。そう自分を慰める。勇気が足りなくて、あうるの不正を見逃すわけじゃない。
二人は笑顔のまま季依の前に来ると、不思議そうな目を向けてきた。
「まだいたんですか?」
と、あうる。
「どうしたの、こんなところで」
と、岡野。
季依は曖昧な笑顔を返すしかなかった。
ところが、チャンスは突然訪れた。
「お先に失礼しま~す」
と、あうるが先に従業員出口を出ていってくれたのだ。
「これから二次会に行くんだって」
名残り惜しそうに、岡野が呟く。
今だ。
「あの、ちょっとお話が」
季依は思い切って口を開いた。
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